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花は桜木、人は武士

花は桜木、人は武士

 (はなはさくらぎ、ひとはぶし)

【意味】
 花の中では桜が一番優れている。
 人間の中では侍が最高である、という諺。


新渡戸稲造は
 武士道こそ
 日本人の考え方の原点があるとしました

宗教教育のない日本で
 どのように道徳心を養うのかと聞かれた

新渡戸は
 武士道や封建制度が道徳心を育んだとした

武士とは
 戦闘を職業とする集団

 戦士が日常生活の中で行う
 義務 おきて

日本にこそ
 ノブレス・オブリージュがあった

「ノブレス・オブリージュ」とは
 高い身分に伴う義務

 という意味のフランス語です。

江戸時代は
 武士が支配階級として存在していた

武士は
 農民よりも道徳に高い

身分が高いがゆえに普通の人間より
 厳しい義務 倫理にしばられている

武士の最大の徳は
 忠義

忠義とは
 ちゅう‐ぎ 【忠義】
 主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。

新渡戸稲造と「武士道」

16.最後に 武士道は甦るか
 
上記のように、
 武士道は「武士」と呼ばれた階級に属した人々により形成され、
 その心は日本人全体に受け継がれていった。

しかし、
 明治維新によって「武士」階級は姿を消し、
 武士道が育まれた土壌は消え去ってしまった。

では、
 武士道はこのまま消えてしまうのか?

答えは「否」である。

欧米諸国から「小さなジャップ」と侮られた日本人は、
 この数十年間で様変わりした。

「小さなジャップ」が弱くか細い存在でないことは、
 先の日清戦争の勝利で証明されている。


日清戦争の勝利は、
 近代軍備の力とか近代教育の効果とか言われているが、
 それらは事実の半分にも到達していない。


武器だけで戦争に勝てるだろうか。

学問だけで勝てるだろうか。

何より大切なものは、
 民族の精神であろう。


維新を進め、
 新たな近代国家「日本」を作り上げた原動力となった人々は、
 紛れもない「侍」たちであった。


武士道は、
 一個の独立した道徳として復活することはないかもしれない。

はっきりとした教義を持たないからである。

しかし、
 武士道が残してきた徳目の数々は、
 決して消え去ることはないだろう。

西洋諸国の文化の中にも、
 武士道と同じ徳目が息づいているからだ。
 
時代が流れ、
 武士道は城郭・武具と共に崩壊した。

既に、
 その役目を終えたかのようでもある。

しかし、
 不死鳥は自らの灰からのみ甦ることができるのだ。

武士道の栄誉は再び息を吹き返し、
 散った桜の花のように風に運ばれ、
 その香りは人々を祝福し続けるだろう。

新渡戸稲造と「武士道」

15.大和魂
 
武士は一般庶民を超えた高い階級に置かれていた。

かつてどの国でもそうであったように、
 日本にも厳然とした身分社会が存在していた。

その中で、
 武士は最上位に位置づけられていたのである。

江戸時代、
 日本人の総人口における武士階級の割合は決して多くはなかったが、
 武士道が生み出した道徳は、
 その他の階級に属する人間にも大きな影響を与えたのである。

農村であれ都会であれ、
 子供たちは源義経とその忠実な部下である武蔵坊弁慶の物語に傾聴し、
 勇敢な曾我兄弟の物語に感動し、
 戦国時代を駆け抜けた織田信長や豊臣秀吉の話に熱中した。

幼い女の子であっても、
 桃太郎の鬼が島征伐のおとぎ話などは夢中で聞いていた。

このように、
 大衆向けの娯楽や教育に登場した題材の多くは武士の物語であったのである。

武士は自ら道徳の規範を定め、
 自らそれを守って模範を示すことで民衆を導いていったのである。

「花は桜木、人は武士」という言葉が産まれ、
 
 侍は日本民族全体の「美しい理想」となった。

「大和魂」は、
 武士道がもたらしたもの、
 そのものであった。
 
日本民族固有の美的感覚に訴えるものの代表に「桜」がある。

桜は、
 古来から日本人が好んで来た花であった。


桜を愛でる心は、
 西洋人がバラの花を愛でる心と通い合えるところはほとんどない。

まず、
 バラには桜が持つ純真さが欠けている。

さらに、
 甘美さの裏にトゲを隠している。

桜はその裏にトゲを隠し持っているようなことはない。

そして、
 バラは散ることなく茎についたまま枯れ果てる。

 それはあたかも生に執着し、
  死を恐れるかのようである。


しかし、
 桜の花は散る。

 自然のおもむくままに、
  散る準備ができている。


 その淡い色合は華美とは言えないが、
  そのほのかな香りには飽きることがない。

 このように
  美しく、
  はかなげで、
  風で散ってしまう桜が育った土地で、
  武士道が育まれたのもごく自然なことであろう。

新渡戸稲造と「武士道」

14.武士道が求めた女性の理想像
 
武士道は男性のために作られたものである。
その武士道が求めた女性の理想像は、
 家庭的であると同時に、
 男性よりも勇敢で決して負けないという、
 英雄的なものであった。

そのため武家の若い娘は、
 感情を抑制し、
 神経を鍛え、
 薙刀を操って自分を守るために武芸の鍛錬を積んだ。

この鍛錬の目的は戦場で戦うためではなく、
 個人の防衛と家の防衛のためであった。
武家の少女達は成年に達すると「懐剣」と呼ばれる短刀を与えられた。
その短刀は、
 彼女達を襲う者に突き刺さるか、
 あるいは彼女達自身の胸に突き刺さるものであった。

多くの場合、
 懐剣は後者のために用いられた。
女性といえども、
 自害の方法を知らないことは恥とされていたのである。
さらに、
 死の苦しみがどんなに耐え難く苦しいものであっても、
 亡骸に乱れを見せないために
 両膝を帯紐でしっかりと結ぶことを知らなければならなかった。
 
武家の女性には、
 家を治めることが求められた。
彼女達には、
 音曲・歌舞・読書・文学などの教育が施されたのも、
 その目的は、
 普段の生活に彩と優雅さを添えるためであった。
父や夫が家庭で憂さを晴らすことができればそれで十分だった。
娘としては父のため、
 妻としては夫のため、
 母としては息子のために尽くすことが女性の役割であった。
男性が忠義を心に、
 主君と国のために身を捨てることと同様に、
 女性は夫、家、家族のために自らを犠牲にすることが、
 たいへん名誉なことであるとされた。

自己否定があってこそ、
 夫を引き立てる「内助の功」が認められたのである。
ただし、
 武士階級の女性の地位が低かったわけではない。
女性が男性の奴隷でなかったことは、
 男性が封建君主の奴隷ではなかったことと同様である。
対等に扱われなかったのは事実であるが、
 それは男女の間に差異が存在するためであり、
 不平等ではなかった。
例えば戦場など、
 社会的、政治的な存在としては、
 女性はまったく重んじられることはなかったが、
 妻として、母としての家庭での存在は完全であった。
父や夫が出陣して家を留守にしがちな時は、
 家の中のことはすべて女性がやりくりしていた。
子女の教育もその仕事の一つである。
 時には、家の防備を取り仕切ることもあった。
 
日本の結婚観は、
 キリスト教の結婚観よりもはるかに進んでいると思われる。
アングロ・サクソン系の個人主義のもとでは、
 夫と妻は別の二人の人間である、
 という考え方から抜けることができない。
そのため、
 二人がいがみ合う時は、
 それぞれに「権利」が認められることになる。

日本の場合、
 夫と妻は独りでは「半身」の状態であり、
 夫妻がそろうことで一個の形になると考えている。
言わば、
 お互いがお互いの一部になっているようなものである。

社交上、
 夫が自分の妻を「愚妻」と表現することがあるのは、
 妻に対して蔑みの言葉を投げているのではなく、
 自分の半身を謙遜しているからなのである。
 
このような武士道独特の徳目は、
 武士階級だけに限られたものではなかった。
時と共に、
 それ以外の階級の日本人たちも武士道に感化されていき、
 日本の国民性というものが形成されていったのである。

新渡戸稲造と「武士道」

13.武士の魂「刀」
 
「刀は武士の魂である」

 という言葉はあまりにも有名である。

刀は、
 武士道の力と武勇の象徴として扱われた。

刀を作るのは刀匠と呼ばれる鍛冶屋であるが、
 刀匠は単なる鍛冶屋ではない。


彼らは、
 仕事を始める前に必ず神に祈りを捧げ、
 身を清めていた。


その作業場は神聖な領域といっても過言ではないだろう。

彼らが刀を鍛える作業は、
 ただの物理的な行為に留まらなかったのである。

そのように作られた刀は、
 持ち主に深く愛され、
 さらには尊崇の対象にも成り得た。

そのため、
 刀に対する侮辱は持ち主に対する侮辱とみなされ、
 他人の刀を跨いだりすることは、
 持ち主に対する大きな侮辱にもなったのである。
 
このように、
 武器以上の意味を持った刀に対して、
 武士道は適切に扱うことを強調している。

不当な使用を激しく非難し、
 やたらと刀を振り回して威を見せる者は、
 卑怯者、
 虚勢をはる者として蔑まれた。


心が洗練されている武士は、
 自分の刀を使うべき時をしっかりと心得ていた。


また、
 その時はめったに訪れない稀な場合であることを知っていた。

幕末の混乱期に活躍した傑物に勝海舟(かつ かいしゅう)という人物がいた。

彼は身分の低い武士であったがその実力を認められ、
 幕府の要職を歴任した。

そのため、
 多くの暗殺者に命を狙われたが、
 後に彼はこの頃の様子を回顧録にこう記している。

 「私は一人も斬ったことがない。
  腕の立つ河上彦斎は
  何人も斬ってきたが、
  最後は人に斬られて殺された。

  私が殺されなかったのは、
  一人の刺客も殺さなかったからだ。」

 「負けるが勝ち」
 「血を流さない勝利こそ最善の勝利」
 という格言がいくつかある。


 幾人もの人を斬り続ける道は、
  真の勝利にはたどり着かないことを意味している。


つまり、
 武士道が求めた究極の理想とは「平和」だったのである。

しかし残念なことに、
 武士は武芸に励むことばかりが優先され、
 究極の理想について追求することはほとんどなかった。

そういう仕事は、
 僧や道徳家が担っていた。

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