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中国古典

中国古典

◆尉繚子(うつりょうし)
 二十四篇五巻。兵法書。
 戦国時代の兵家、尉繚(うつりょう)の著と伝えられている。

◆易経(えききょう)
 「易」または「周易」ともいう。
 五経の一。
 卜筮(ぼくぜい)の法によって、倫理道徳を説いたもの。
 上下の「経」と、
  その注釈篇である「十翼」からなり、
  十翼は孔子(こうし)の編と伝えられる。

◆淮南子(えなんじ)
 二十一巻。
 前漢の淮南(わいなん)王、劉安(漢の高祖の孫)が幕下の学者に命じて、
  おのおのの専門について論講させて作った書。

◆管子(かんし)
 二十四巻。
 春秋時代の前期、斉(せい)の桓公(かんこう)に仕えた
  宰相管仲(かんちゅう)とその門下の撰(せん)。
 政治の大本は富民で、立法や布教はそれに次ぐということを説いている。

◆漢書(かんじょ)
 百二十巻。
 前漢の歴史を記録した正史。
 後漢の班彪(はんひょう)と、
  その子班固(はんこ)、班昭(はんしょう)の撰。

◆韓非子(かんぴし)
 二十巻五十五篇。
 戦国時代の韓非の撰。
 先秦時代の法家の学を集大成し、
  それに韓非の考えを加えたもの。
 はじめ「韓子」と称したが、
  宋以後、唐の韓愈(かんゆ)と区別するため、「非」の字を加えた。

◆近思録(きんしろく)
 十四巻。
 宋の朱熹(しゅき)・呂祖謙(りょそけん)の共著。
 宋の学者、
  周濂渓(しゅうれんけい)・
  程明道(ていめいどう)・
  程伊川(ていいせん)・
  張横渠(ちょうおうきょ)の著書や語録の中から六百二十二条を選んだ、
   初学者用のテキスト。

◆孝経(こうきょう)
 一巻。
 十三経の一。
 孔子の弟子、曾参(そうしん)の門人が、
  孔子と曾参との孝道に関する問答を筆記したものと伝えられる。

◆後漢書(ごかんじょ)
 百二十巻。
 本紀十巻、列伝八十巻は、
  南北朝時代、南朝宋の范曄(はんよう)の撰で、
  志三十巻は晋(しん)の司馬彪(ひょう)の続漢書から取っている。

◆国語(こくご)
 二十一巻。
 魯(ろ)の左丘明(さきゅうめい)の撰と伝えられている。
 春秋時代の列国(周、魯、斉、晋、鄭、楚、呉、越)の事跡を国別に編んだもの。

◆呉子(ごし)
 一巻。
 撰者は不明。
 「孫子」とならぶ兵法書。

◆古文真宝(こぶんしんぽう)
 二十巻。
 宋の黄堅(こうけん)の編。
 前集・後集からなり、
 前集には、
  漢代から宋代までの著名な詩、
 後集には、
  戦国末、楚(そ)の屈原(くつげん)から宋代までの著名な辞賦、
  文章を収めた詩文集。

◆菜根譚(さいこんたん)
 二巻。
 明(みん)の洪自誠(こうじせい)の編。前集と後集とからなり、
  前集では、
   人と交わり、事をおさめ、変に応ずる道を説き、
  後集では
   退静閑居の楽しみを論じている。

◆左伝(さでん)
 三十巻。
 「春秋左氏伝」の略。
 魯の左丘明の撰と伝えられる。
 漢代に劉きん(りゅうきん)によって校訂流布された。
 「春秋」の注釈書で「左氏伝」とも言う。十三経の一。

◆三国志(さんごくし)
 六十五巻。
 正史の一。
 漢滅亡の後、天下を三分した三国(魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく))に関する史書。
 五代(ごだい)の晋、陳寿(ちんじゅ)の著。

◆史記(しき)
 百三十巻。
 前漢の司馬遷(しばせん)の撰した、
  中国最初の通史。
 上古の黄帝(こうてい)から、
  漢の武帝に至る歴史を紀伝体によって記している。

◆詩経(しきょう)
 現存するものは三百五篇。
 中国最古の詩集。
 周(しゅう)初から春秋時代中ごろまでの詩を集めている。
 五経の一。
 初めは単に「詩」といったが、宋代以後「詩経」と呼ばれるようになった。

◆十八史略(じゅうはっしりゃく)
 二巻。
 元(げん)の曾先之(そうせんし)の撰。
 十八史略とは、十八史(宋史と十七史)の要略の意で、
  太古から南宋までの四千年間の史実を簡略に記し、
  中国史初学者の課本に供したもの。

◆荀子(じゅんし)
 二十巻。
 戦国時代末期の学者、荀況(じゅんきょう)の書。
 前三世紀頃成立。荀況は孟子に次ぐ大儒(たいじゅ)。
 孟子の性善説に対して、性悪説を唱えた。

◆貞観政要(じょうがんせいよう)
 十巻。
 唐の呉兢(ごきょう)の著。
 唐の太宗(たいそう)と重臣とが政治に関して論じたものを、
  四十門に分けて類編した書。

◆書経(しょきょう)
 二十巻。
 「尚書」のこと。
 五経の一。
 尭(ぎょう)、舜(しゅん)の伝説時代から、夏(か)、殷(いん)を経て、
  周代に至る間の政治に関する記録。
 初めは単に「書」といったが、宋代になって、
  「書経」と呼ばれるようになった。

◆説苑(ぜいえん)
 二十巻。
 前漢の劉向(りゅうきょう)の撰。
 前賢先哲の逸話集。

◆戦国策(せんごくさく)
 三十三篇。
 周の元王(げんおう)から秦(しん)の始皇帝(しこうてい)までの戦国時代の謀臣、
  策士らの活躍を各国別に編んだもの。
 前漢の劉向(りゅうきょう)の編。

◆荘子(そうじ)
 三十三篇。
 戦国中期の道家荘周(そうしゅう)とその一門の思想を記したもの。
 荘周の撰。
 外篇・内篇・雑篇から成り、
  うち内篇七篇以外の大部分は、
  後人の仮託によるものといわれる。
 「南華新経(なんかしんぎょう)」ともいう。

◆宋名臣言行録(そうめいしんげんこうろく)
 二十四巻。
 前集十巻、後集十四巻は南宋の朱熹(しゅき)の撰。
 続集八巻、別集二十六巻、外集十七巻は李幼武(りようぶ)の補。
 宋代名臣の言行を集めた書。

◆孫子(そんし)
 一巻。
 春秋末期の呉の孫武(そんぶ)の撰した兵法書。

◆大学(だいがく)
 一巻。
 もと「礼記」中の一篇(第四十二)であったが、
  宋代以後、単行本として独立し、
  朱熹(朱子)がこれを四書の一としたことから、
  特に広く読まれるようになった。

◆中庸(ちゅうよう)
 もと「礼記」中の一篇であったが、
  後に四書の一に数えられた。
 孔子の孫の子思(しし)の撰と伝えられている。

◆通俗編(つうぞくへん)
 三十八巻。
 清の翟灝(てきこう)の撰。
 日常使っている語を集めて分類し、
  その出処を明示したもの。
 天文・地理・時序以下三十六類に分けている。

◆伝習録(でんしゅうろく)
 三巻。
 明の王陽明(おうようめい)の語録を、
  門人らが編集したもの。
 陽明のとなえた知行合一の趣旨が述べられており、
  陽明学を学ぶには必見の書。

◆唐詩選(とうしせん)
 七巻。
 唐代の詩人百二十七名の詩の選集。
 明の李攀竜(りはんりょう)の撰といわれているが、偽託説もある。

◆南斉書(なんせいしょ)
 五十九巻。
 南朝梁(りょう)の蕭子顕(しょうしけん)の撰。
 南朝斉(せい)の正史。「斉書」ともいう。

◆文章軌範(ぶんしょうきはん)
 七巻。
 宋の謝枋得(しゃぼうとく)の編。
 科挙受験者のために軌範となりうる文を集めたもの。
 諸葛孔明の「出師表(すいしのひょう)」と
  陶淵明(とうえんめい)の「帰去来辞(ききょらいのじ)」以外は、
  唐宋の文を選んでいる。

◆墨子(ぼくし)
 十五巻五十三篇。
 墨翟(ぼくてき)とその学派の学説を記したもの。
 墨翟の撰といわれているが、その門人の撰であると現在では考えられている。

◆孟子(もうし)
 七篇。
 戦国中期の儒家孟軻(もうか)の言行や学説を編集したもの。
 性善説や主道論は有名。四書の一。

◆文選(もんぜん)
 三十巻。
 南朝梁の蕭統(しょうとう)(昭明太子(しょうめいたいし))の撰。
 周から南北朝時代の梁にいたる約千年間、
  百三十余名の詩賦文章のほか、作者不明の古詩や古楽府を若干収録。

◆礼記(らいき)
 四十九篇。
 周末秦漢時代の礼に関する理論及び実際を記録編集したもの。
 前漢の戴聖(たいせい)(小戴(しょうたい))によって伝えられた。
 一に「小戴礼」また「戴記」とも呼ぶ。五経の一。

◆列子(れっし)
 八巻。
 戦国初期の鄭(てい)の列禦寇(れつぎょこう)の撰とされているが、偽作説もあり。
 一名「冲虚真経(ちゅうきょしんけい)」。

◆老子(ろうし)
 二巻八十一章。
 道家の祖、老耼(ろうたん)の撰と伝えられるが、
  老耼が実在したか否かは明かではない。
 人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。
 一名「道徳経(どうとくきょう)」。

◆論語(ろんご)
 十巻二十篇。
 孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
 儒家の聖典とされている。四書の一。
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水清ければ大魚なし

水に関する格言

水清ければ大魚なし
   「後漢書」

菜根譚の「水清ければ魚棲まず」など、
 昔から中国では
 「完璧・潔癖すぎないこと」を説く言葉が多く使われたらしい。


細かいことにまで目くじらを立てるようでは、
 人々の支持は得られない・・・


人間関係、
 組織管理に共通する鉄則だと本書では紹介されている。

~ 身につけるべき資質 ~

ふだんから頭を使う

水に関する格言


智はなお水のごとし、
 流れざるときは則ち腐る


   「宋明臣言行録」

「明鏡止水」とは
  逆の例えであり、面白い。

「水はたえず流れていないと腐ってしまい、
  飲み水としては使えなくなる。

 『智』もそれと同じように、
  たえず使っていないと、
  サビついて使いものにならなくなる」


 のだという。

 そしてこうも語られているのだという。

「大小の事、
  皆すべからく智を用うべし。

 凡百、
  智を用いずんば、
  大事の際に臨みて、
  いずくんぞ智の来たるあらんや」


ふだんから頭を使っていないと
 いざというとき名案など浮かんでこないというのだ。

頭だけではなく、
 心も体もそうなのだろう。

日々の鍛錬、
 継続が大切だと理解した

中国の歴史

BC4000 原始農耕始まる
BC2300 獣骨を使った占い
BC1600 甲骨文字による占い
BC1100 周王の時代始まる
    陰陽説始まる
BC770  春秋時代始まる
BC552  孔子生まれる  
    五行説始まる
BC403  戦国時代始まる
BC372  孟子生まれる
BC221  秦の始皇帝中国統一
    (万里の長城)
BC202  漢中国統一
BC136  儒教が国教になる
    五経定まる・陰陽五行説
AC220  三国時代始まる


AC1894 日清戦争始まる
AC1912 清王朝滅亡


歴史の本を見ると 中国では紀元前4000年 くらいの新石器時代に黄河流域で 農耕生活が始まった そうです。農耕生活が始まるということは、人々が食べる物を求めて移動していた時代から作物を育てるために定住することを意味します。ただ定住するだけではありません。機械が発達していない昔の場合は人手が必要でどうしても集落ができることになります。中国ではそれが今から約6000年程前に起こったことになります。

 紀元前2300年以降の現在山東省と呼ばれている地域では獣骨を使った占いが行われていたそうです。それは今から約4300年ほど前になります。中国4000年の歴史というのはこのことなのでしょうか?

 さらに、紀元前1600年頃に建てられた殷(いん)の時代の遺跡に残された甲骨文字(こうこつもじ: 後に漢字になる)が解読され、王はこの文字を使った占いで神権政治を行ったようです。何を占ったのかと言えば祭司、戦争、農業などです。

 紀元前1100年以降になると周王の時代(周代)になり、さらに紀元前770年になると周の勢いが弱まり、春秋時代に入ります。孔子が生まれたのは紀元前552年の魯の国(現在の山東省)。当時は下の者が上の者を倒す下克上(げこくじょう)の時代で孔子は理想的な君主が必要だと訴えたのですが相手にされずに69歳のときに故郷に帰って弟子の教育に力を入れることになります。そのなかで論語・書経・詩経・春秋が生まれることになります

 春秋の時代が終わって戦国時代が始まる紀元前403年以降に、人間は生まれながらにして善を行う性質を持っているという”性善説”を唱える孟子(もうし)が現れれます。しかし、孔子の教えも、孟子の教えもこの時代には時の権力者には届きませんでした

 戦国時代が終わるのは秦(しん)の始皇帝が中国を統一する紀元前221年です。秦の始皇帝の時代には有名な『万里の長城』が築かれます。これは隣国が攻め入らないようにするための壁と言えます。それだけでは安心できなかったのでしょうか? 『攻撃は最強の武器』とばかりに、隣国に攻め入みました

 もともと秦は6国を滅ぼし中国を統一するくらいの力があったとのことですが、その力は敵を滅ぼすための力、つまり破壊するための力であって、国を治めるための力、つまり秩序(平和)をつくるための力では無かったとも言えます。

 攻め込まれる前に敵を攻めるために、その力を民衆の犠牲に頼っていたようです。秦は「言うことを聞かない奴は厳罰に処す」という『厳罰主義』を貫き、民衆に負担を強いたため反感を持った豪族や農民らによる反乱が起きてしまい、わずか15年で秦の時代は終わります敵に攻め入られる前に、内部から崩壊したことになります。

 紀元前202年には反乱兵等によって、中国は再び統一されて漢の時代に入ります。秦の時代厳罰主義では国を治められないという反省から、「人を殺したり、傷つけたり、あるいは人の物を盗んだりしない限り罰しない」という具合に法律による取り締まりをゆるめました。

 そして、紀元前136年にはついに孔子が祖となる儒教が国教となります。

 儒教を国教とした漢の時代は、220年に日本では有名な魏志倭人伝の『魏』が建国されるまで続くことになります。この間に儒教は儒学として完成し、儒学の根本的な教典である『五経』が定まります。この五経とは易経(えききよう)(周易)・書経・詩経(毛詩)・春秋(しゆんじゆう)・礼記(らいき)から成ります。

 春秋時代の孔子とその弟子の時代に出来たのは書経・詩経・春秋でした。つまり漢の時代に加わったのが易経と礼記ということになります。漢王朝の時代の後は魏・呉・蜀(蜀漢)からなる三国が抗争する時代が220年に始まります。儒教は中国の国教として、最後の王朝である清が滅びるまで、つまり1912年まで続きます清が滅んだのは 農民反乱の続発したり、欧米列強の外圧があった後、辛亥革命(1911年)によって中華民国が建国されたためです。

 中国の歴史を振り返ってみると、儒学が中国の国教であったのは春秋戦国時代という力の時代が終わって、中国が統一されてから、欧米列強による植民地支配という力の時代が訪れる清の王朝の時代までということになります。欧米列強が中国に外圧をかけたのは日清戦争で日本に敗北し、その弱さを欧米列強に示してしまったためとされています。

 これは破壊の時代であるとも言える力がものを言う時代には儒教はなじめず、国を治め続ける必要がある平和な時代にこそ儒教の真価が生きるという事でしょうか?
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