改善魂やまず(24)――自力で考える若手を育てよ

トヨタ自動車元技監 林南八氏

2016/4/1

 常に現地現物。

 大野耐一氏、鈴村喜久男氏は我々に何を残してくれたのかをお話ししたくて、私がどんな環境で育ち、どんな指導を受けてきたかを述べてまいりました。総括してみますと、両氏は我々に手段や方法を教えてくれたことはただの一度もありません。常に現地現物、自分の頭で考え編み出していく習慣を身につけさせてくれたのだと思います。

 近年、豊田章男社長の「お客様に感動と笑顔を。もっといい車を造ろうよ」の号令一下、トヨタのラインアップも大きく変貌しつつあり、設計から抜本的見直しを図るTNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)も着実に進行中です。

 いずれにしてもベースは「TOYOTA WAY」であり「トヨタ生産方式」で、それを支える人材なくしては成り立ちません。顧みるに本当の意味で人材育成ができているでしょうか。「最近の若い者は指示待ち族でいかん」という話をよく耳にしますが本当にそうでしょうか。

 「最近の若者は……」のセリフはローマ時代からありました。それが事実なら代々繰り返されて現在はアホばかりになっているはずですが、決してそんなことはありません。指示待ち族を作っているのは己であるという反省が必要でしょう。

 マニュアル化、標準化は重要ですが、それをうのみにしたまま使わせてはいませんか。仕事にカーナビを持ち込んではいないでしょうか。ナビを使ってから道を覚えなくなり、ナビがないとどこへも行けない人が増殖しています。現地現物、自分の頭で考えて探り当てていくマインドを呼び起こすことが大切です。

 もう一つ強調しておきたいことは、有り物で何とか解決するというマインドが薄らいではいないかという点です。現在は全てにわたって精緻に原単位が把握されており、何か行動を起こそうとすると瞬時にコンピューターから何工数が不足するといったデータが出てくる。これも必要ですが、有り物で何とかするというマインドも大切です。


若手には難しい課題を与えよ。

 豊田英二さんや大野さんは、金もない、時間もない中で勝負したことを思い起こしてほしい。大野さんが「知恵は一対百でも一対千でも伝えることができるが、意識は一対一でしか伝わらない」とよく言われました。今の時代、パワーハラスメント、時間管理などやりにくさはあると思いますが、最近若手に難しい課題を与え任せると、我々が想像もしなかったやり方で解決する例も出てきました。

 要は課題の与え方とフォローの仕方です。シーラカンスと言われようが、信念を持って体力の続く限りトヨタの、そして日本のモノづくりを支える人材の育成に貢献していきたいと思っています。

(聞き手は中西豊紀)

=この項おわり


【この記事は2013年7月25日付の日経産業新聞の記事を転載】
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武士道

サムライにとって、
 卑怯な行動や不正な行動ほど
 恥ずべきものはない。

(第三章 義-あるいは正義について)


武士道は、
 われわれの良心を
 主君の奴隷となすべきことを要求しなかった。

(第九章 忠義)


武士道は
 経済とは正反対のものである。
 それは貧しさを誇る。

(第十章 武士の教育)


心の奥底の思いや
 感情—特に宗教的なもの—を
 雄弁に述べ立てることは、

日本人の間では、
 それは深遠でもなく、
誠実でもないことの
 疑いないしるしだと受け取られた。

(第十一章 克己)


女がその夫、
 家庭そして家族のために身を捨てることは、
男が
 主君と国のために身を捨てるのと同様、
 自発的かつみごとになされた。

(第十四章 女性の教育と地位)

恥の文化

武士が借金をした。

借用書には
次のように書かれていた。

「恩借の金子御返済相怠り候節は
  衆人の前にてお笑いなされ候とも不苦候」
 (新渡戸稲造著「武士道」より)

金を借りた人間が返さなかったら
 衆人の前で「笑われ」ても苦しからず、
 という借用書を書いて証文にしたのだから凄い。

現代なら
 「笑われる」くらいで借金を返さず済むなら
 「いくらでも借りるぞ!」の世界であろうが、

江戸時代の武士は
 「笑われる」くらいなら借金は返す。
 死んでも返す。
  といった心境を持ちつづけて生きていたのだ。

笑われることは
 武士にとっては
 死に値する重大な事であった。


武士は嘲笑される
 「恥」を「死」と同等においていた。


そこには
 武士達の築いてきた
 恥文化
があったのである。


だからこそ、
 この借用文で商人は
 武士に金を貸したのである。

笑われるという恥を
 許容できないのが武士であって、
まことの武士ならば、
 貸した金は必ず返してくれる。

武士達の世界の恥文化を、
 その階級において
 最下位におかれた商人達が共有したのである。

そのような生き方が
 武士「道」として認知されて、
 はじめて「約束を守らなかったら、
 どうぞお笑いください」

あなた様から笑われた自分は、
 もうこの武士の世界では生きていけません。
潔く腹かき切って死にましょう。
 の世界を出現させたのだ。

先の「葉隠」の項で述べた
 「武士道とは
 死ぬこととみつけたり」とは
 まさにここにあったのである。

そしてこの武士道に代表される恥文化は
 明治になってからも、
 日本人の精神的支柱となって、
 つい最近まで生き続けていたのだが、
 気付いてみれば、
 あっという間に消えてしまった。

最近とんと見かけない。

見かけないどころか
 この国では「恥」は大手を振って歩いている。

借金は「恥」ではないらしい。

日本国中に設置された
 「自動借金機」は
 テレビの派手なCMで借金を奨励している。

多額の借金で
 自己破産者の数は増えつづけているし
 借金地獄は家庭を破壊し、
 挙句犯罪とも結びついていく。

借りた金は返すのが当たり前である。

しかし、
 借金が「恥」でないのだから、
 借りまくってしまう。

貸すほうは
 企業間の競争もあって、
 なるべく貸そうとする。

だからまた借りる。

借りた方も何とかなるだろう、
 位いの軽い気持ちだから始末に悪い。

そしてこの国では
 そんな消費者金融と呼ばれる業界のトップが
 最高額納税者となっている。


借金ばかりではない。

車内でのマナーの悪さは
 何も中高生ばかりではない。
車運転中のタバコや空き缶の投げ捨ては後を絶たない。
学級崩壊もマナーの悪さである。

この原因の一つに
 家庭でのしつけがあるとおもう。
一番駄目なのが
 子供の親達である。


試みに悪戯している子供に注意してみるといい。
「すみません、ご注意頂いてありがとうございます」と
 謝意を表す人は皆無であろう。
子の親から鬼のような顔で睨みかえされるのが落ちである。

子供が駄目なのは
 親が駄目だと言うことである。


私はそんな光景に出くわす時、
 いつも後ろにいる、
親や連れ合いや家族の事を思い浮かべ
 絶望するのである。

大和魂

武士は
 一般庶民を超えた
 高い階級に置かれていた。

かつてどの国でもそうであったように、
 日本にも厳然とした身分社会が存在していた。

その中で、
武士は
 最上位に位置づけられていたのである。

江戸時代、
 日本人の総人口における武士階級の割合は決して多くはなかったが、
 武士道が生み出した道徳は、
 その他の階級に属する人間にも大きな影響を与えたのである。

農村であれ都会であれ、
子供たちは
 源義経とその忠実な部下である武蔵坊弁慶の物語に傾聴し、
 勇敢な曾我兄弟の物語に感動し、

戦国時代を駆け抜けた織
 田信長や豊臣秀吉の話に熱中した。

幼い女の子であっても、桃
 太郎の鬼が島征伐のおとぎ話などは夢中で聞いていた。

このように、
大衆向けの娯楽や教育に登場した題材の多くは
 武士の物語であったのである。

武士は
 自ら道徳の規範を定め、
 自らそれを守って模範を示すことで
 民衆を導いていったのである。

「花は桜木、人は武士」

 という言葉が産まれ、

侍は
 日本民族全体の「美しい理想」となった。

「大和魂」は、
 
 武士道がもたらしたもの、そのものであった。
 
日本民族固有の美的感覚に訴えるものの代表に

 「桜」がある。

桜は、
 古来から日本人が好んで来た花であった。

西洋人は
 バラの花を好む


バラには桜が持つ純真さが欠けている。

バラは、
 その美しさの下にトゲを隠し持つ
 
朽ち果てる時は、
 生に執着するがごとく
 
そのしかばねを
 枝の上に残す


日本人が愛するのは
 桜の花だ


淡い色彩と 
 ほのかな香り

その美しさの下には
 やいばも毒も隠していない

散り際のいさぎよさ
 まさに死をものともしない

自然のおもむくままに、
 散る準備ができている。


 武士道の精神である

これが日本の姿


その淡い色合は
 華美とは言えないが、
 そのほのかな香りには飽きることがない。

このように美しく、
 はかなげで、
 風で散ってしまう桜が育った土地で、
 武士道が育まれたのもごく自然なことであろう。

武士道

新渡戸稲造が伝えた「武士道」

「義」

「義」とは、
 サムライの中でも最も厳しい規律である。
 
裏取引や不正行為は、
 武士道が最も忌み嫌うものである。

 幕末の尊攘派の武士・
 真木和泉守
 (まき いずみのかみ:筑後久留米水天宮の祠官であったが、
  尊王攘夷論の影響を受け、
  脱藩して尊攘活動の指導者となる。
 蛤御門の変に敗れて自刃)は、
  義について以下のように語っている。

 「士の重んずることは節義なり。
  節義はたとへていはば、
  人の体に骨ある如し。
  (中略)
  されば
  人は才能ありても学問ありても、
   節義なければ世に立つことを得ず。
  節義あれば不骨不調法にても
   士たるだけのことには事かかぬなり。」

また、
 孟子は
 「仁は人の安宅なり、
  義は人の正路なり」と言った。

つまり
「義」とは、
 人が歩むべき正しい、
 真っ直ぐな、
 狭い道なのである。

封建制の末期、
 長く続いた泰平の世が
  武士に余暇をもたらし、
 
 悪辣な陰謀と
  まっかな嘘が
  まかり通っていた時代に、

 主君の仇を報じた
  47人の侍がいた。


私たちが受けた大衆教育では、
 彼らは義士であり、
 その素直で正直で男らしい徳行は
 最も光輝く宝の珠であった。
 
しかし、
 「義」は しばしば
 歪曲されて大衆に受け入れられた

 それは「義理」という。


「義理」とは
「正義の道理」なのであるが、
 それは人間社会が作り上げた
 産物といえるだろう。

人間が作り上げた慣習の前に、
 自然な情愛が引っ込まなければならない社会で生まれるものが、
 義理だと思うのである。

この人為性のために、
「義理」は
 時代と共にあれこれと物事を説明し、
 ある行為を是認するために用いられた。

人間の自然な感情に反する行為でも、
 それを社会が求めているのならば、
 その行為を正当化する道具として
 「義理」があらゆる場所で用いられたのである。

もし「武士道」が、
 鋭敏で正当な勇気と、
 果敢と忍耐の感性を持っていなかったとすれば、
 
「義理」は
 臆病の温床に成り下がっていただろう。

「勇」
 
孔子は論語の中で
 「義を見てせざるは勇なきなり」 
と言っている。

肯定的に言い換えると
 「勇気とは正しいことをすることである」となる。

つまり、
 「勇」は「義」によって発動されるものである。

 水戸光圀(黄門)は、こう述べている。

「一命を軽んずるは
 士の職分なれば、
 さして珍しからざる事にて候、
 血気の勇は盗賊も之を致すものなり。

 侍の侍たる所以は
  其場所を退いて忠節に成る事もあり。

 其場所にて討死して忠節に成る事もあり。
 
 之を死すべき時に死し、生くべき時に生くといふなり。」

つまり、
 あらゆる危険を冒して
 死地に飛び込むだけでは
 「匹夫の勇」であり、
 武士に求められる「大義の勇」とは別物なのである。
 
勇とは、
 心の穏やかな平静さによって表現される。
勇猛果敢な行為が動的表現であるとすれば、
 落ち着きが静的表現となる。
真に勇気のある人は、
 常に落ち着いており、 
 何事によっても心の平静さを失うことはない。
危険や死を目前にしても平静さを保つ人、
 詩を吟じる人は尊敬される。
その心の広さ(余裕という)が、
 その人の器の大きさなのである。
優れた武将として名高い
 太田道灌(おおた どうかん:
 室町時代の関東の武将。
主家である扇ヶ谷上杉家を支えて武威を奮った。)は、
 讒言によって暗殺された時も、
 槍を突き刺した刺客が投げかけた上の句を受けて、
 息も絶え絶えの状態で下の句を続けたという挿話がよく知られている。

 同様の例は他にもある。

戦国時代、
 武田信玄と上杉謙信という二人の戦国大名が激しく争っていた。
ある時、
 他国が信玄の領地に塩が入らないように経済封鎖を行い、
 信玄が窮地に陥った。
この信玄を救ったのが、
 宿敵であるはずの謙信であった。
彼は 
 「貴殿と争うのは弓矢であって、
   米塩ではない。
  今後は我が国から塩を取り給え。」と手紙を寄せ、

 自国で取れた塩を商人の手によって、
  信玄の領地にもたらしたのである。
 
「勇」がこの段階まで高まると、
 価値ある人物のみを平時に友とし、
 そのような人物を戦時の敵として求めるのである。

「勇」には、
 相手と競い合うようスポーツのような要素を含んでいる。

そのため、
 合戦とは単なる凄惨な殺し合いではなく、
 命を懸けた競争のような要素を含んでおり、
 戦の最中に歌合戦を始めたり、
 当意即妙な応対を讃えるなど、
 凡人には理解しがたい知的な勝負でもあった。

「仁」

「仁」とは、
 思いやりの心、憐憫の心である。

 それは「愛」「寛容」「同情」という言葉でも置き換えられるものである。
 「仁」は人間の徳の中でも至高のものである。
孟子は
 「不仁にして国を得る者は之有り。
  不仁にして天下を得る者は未だ之有らざるなり」と言い、

 「仁」が王者の徳として必要不可欠なものであることを説いた。

 「仁」は優しい母のような徳である。

だから、
 人は情に流されやすい。
しかし、
 侍にとって「仁」があり過ぎることは
 歓迎できないことだった。

伊達政宗は
 「義に過ぐれば固くなる。
  仁に過ぐれば弱くなる」と言い、

 慈愛の感情に流されすぎることを戒めている。

「武士の情け」とは、
 盲目的な衝動ではなく、
 ある心の状態を表現しているものでもない。

生殺与奪の力を背景に持ち、
 正義に対する適切な配慮を含んでいるものであった。

一の谷の戦いで、
 熊谷直実
  自分の子と
  同年代の若き武者
 平敦盛を泣く泣く斬る場面は、
  その代表例である。


歴史家は、
この話は作り話めいていると言うが、
 か弱いもの、
 敗れた者への仁は
侍にふさわしいものとして奨励され、
 血なまぐさい武勇伝を彩る特質であった。
 
武士には
 詩歌音曲をたしなむことが奨励された。
合戦におもむく武士が歌を詠んだり、
 討死した武者の鎧や衣服から
 辞世の歌を記した書付が見つかることは
 珍しいことではない。

日本では、
 音楽や書に対する親しみが、
 「仁」の心、
 すなわち他人に対する思いやりの気持ちを育てた。

「礼」
 
 「礼」とは

長い苦難に耐え、
 親切で人をむやみに羨まず、
 自慢せず、
 思い上がらない。


自己自身の利益を求めず、
 容易に人に動かされず、
 およそ悪事というものをたくらまないということである。

「礼」には、
 相手を敬う気持ちを目に見える形で表現することが求められた。

それは、
 社会的な地位を当然のこととして尊重することを含んでいる。
言い換えれば、
 「礼」は
 社交上必要不可欠なものとして考えられていた。
品性の良さを失いたくない、
 という思いから発せられたならば、
 それは貧弱な徳であると言えるだろう。
ただし、
 「礼」も度が過ぎることは歓迎されないことであった。

伊達政宗は
 「度を越えた礼は、
  もはやまやかしである。」と言い、

仰々しいだけで心のこもっていない
 「礼」を軽視した。

「礼」は細分化され、
 挨拶や座り方なども細かく決められており、
 特殊な場合は礼の専門家によって指導されることもあった。
西洋人の一部は、
 これらの決められた行儀作法を、
 自由な発想を奪うもの、
 として批判している。
確かにそのような面があることは
 私も認めざるを得ない。
しかし、
 「礼」を厳しく遵守する背景には
 道徳的な訓練が存在しているのである。
 
代表的な例は
 茶道である。

茶道は
 喫茶の行儀作法以上のものである。


それは
 芸術であり、
 詩であり、
 リズムを作っている理路整然とした動作
である。


そして、
 精神修養の実践方式なのである。
礼とは
 動作に優雅さを添えるものであるが、
 礼に乗っ取った動作は
 礼儀のほんの一部分に過ぎない。
かつて
孔子は
 「音が音楽の一要素であるのと同様に、
  見せかけ上の作法は、
  本当の礼儀作法の一部に過ぎない。」と言った。
動作も重要なものであるが、
 それだけでは「礼」ではない。

「礼」に必要な条件とは、
 泣いている人と共に泣き、
 喜びにある人とともに喜ぶことである。

「礼」とは
 慈愛と謙遜から生じ、
 他人に対する優しい気持ちによって
 ものごとを行われるので、
 いつも優美な感受性として表れる。

その感受性は、
 日常生活の些細な動作の中に顔を出すのである。

「誠」

 「誠」とは
 「言」と「成」という
 表意文字の組み合わせである。


武士にとって、
 嘘をつくことやごまかしなどは、
 臆病なものと蔑視されるべきものであった。


商人や農民よりも
 社会的身分が高い武士には、
より高い水準の
 「誠」が求められていると考えていた。

「武士に二言はない」

 という有名な言葉があるが、

この言葉には、
 嘘偽りがない言葉、
 という意味も持っている。

断言した
 武士の言葉は、 
 真実であるということを
 十分に保障するものであった。


「二言」のために、
 壮絶な最期を遂げた武士の話は、
 いくつも存在している。
 
そのため、
 武士同士の約束は
 たいてい証文などはとらなかった。


 言葉に嘘がない以上、
 改めて
 証文をとる必要がないからである。


むしろ、
 証文を書かされることは
 武士の体面に関わることである、
 と考えられた。


真のサムライは「誠」に対して
 並々ならない敬意を払っていたのである。
 
しかし、
 武士が「誓いを立てる」という行為を
 一切行わなかったわけではない。
八百万の神々に誓いを立てることもあれば、
 誓いを補強するために血判を押すこともあった。

ただし、
彼らの誓いは
 決してふざけた形式、
大げさな祈りなどには
 堕落しなかった。
 
キリスト教世界と異なるところはもう一点ある。

武士にとって嘘をつくことは、
 罪悪というよりも
 「弱さ」の表れであると考えられたことである。


そして、
 「弱い」ということは
 武士にとってたいへん不名誉なことであった。

言い換えるなら、
 「誠」がない武士は
   不名誉な武士であり、
 「誠」がある武士こそが
   名誉ある武士、


 と言えるのである。

「名誉」

「名誉」は、
 幼児の頃から教え込まれるであり、
 侍の特色の一つである。

武士の子供は
 「人に笑われるぞ」
 「体面を汚すなよ」
 「恥ずかしくないのか」という言葉で、

 その振る舞いを矯正されてきた。


「名誉」という言葉自体は
 あまり使われなかったが、
 その意味は

 「名」
 「面目」
 「外聞」

 などの言葉で表現されてきた。

新井白石は
「不名誉は
 樹の切り傷の如く、
 時はこれを消さず、
 かえってそれを大ならしむるのみ」

と言った。

名誉は、
 誠と同様に、
 武士階級の特権を支える
 精神的な支柱の一つであった。

 
しかし、
武士の名誉の名の下に、
 些細な事件や侮辱されたという妄想から、 
 悲惨な刃傷事件が発生することも多かった。

その多くは、
 武士という階級に重きを置くための創作であったが、
 武士の「名誉」に端を発する事件は数多く起きていた。

そうなると、
 名誉はかえって武士を残忍にさせるものに成りかねなかったが、
 それは
 「寛容」と「忍耐」で補足されていった。

些細なことで腹を立てたりすることは
 「短気」という言葉で嘲笑される素となったのである。

寛容、
 忍耐の境地に達した人は稀であるが、
 その一人の西郷隆盛は

 「道は天地自然の物にして、
  人はこれを行なふものなれば、
  天を敬するを目的とす。

  天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、
  我を愛する心を以て人を愛する也」

 と、教訓を残している。

「忠義」

忠義の観念は、
 個人主義思想の西洋と
 武士道が育った日本では
 幾分異なっている。

西洋の場合、
 父と子、
 夫と妻という家族関係の間柄にも、
 それぞれ個別の利害関係があることを認めていた。

この思想の下では、
 人が
 他に対して負っている義務は
 著しく軽減されている。

個々に権利が認められると同時に、
 責任が負わされるためである。

武士道の場合、
 一族の利害と
 一族を形成する個々の利害は一体のものであった。

この、
 侍の一族による忠義が、
 武士の忠誠心に最も重みを帯びさせているのである。

ある個人に対する忠誠心は、
 侍に限ったものではなく、
 あらゆる種類の人々に存在するものである。

武士道では、
 個人よりもまず国が存在する。


つまり、
 個人は
 国を担う構成成分として生まれてくる、
 と考えているのである。

同様の考え方は、
 古代ギリシャの高名な哲学者・
 アリストテレスや
 現代の社会学者の一部にも見られるものである。


換言すれば、
個人は
 国家のために生き、
 そして死なねばならないのである。


同じく、
 古代ギリシャにおいて先駆の哲学者であったソクラテスは、
 国家あるいは法律に次のように言わしめた。

「汝は我(国家・法律)が下に生まれ、
 養われ、
 かつ教育されたのであるのに、
 汝と汝の祖先も我々の子および召使でない、
 ということを汝はあえて言うか」

武士道が抱えていた思想は、
 西洋においても
 それほど突飛な思想とは言えない。

ただ、
 武士道の場合、
 国家や法律に相当するものは
 主君という人間の人格であった。
 
グリフィスは
 「中国では、
  儒教の倫理は
   父母への従順を人間の第一の責務としたが、

  日本では忠義が優先された」と言ったが、

 正しい表現であろう。

 「忠」と「孝」の板ばさみに合った時、

 多くの侍は「忠」を選んだ。

 また、
  侍の妻女たちは、
  忠義のためには

  自分の息子を諦める覚悟ができていたのである。

 また、
  そのような逸話は
  数多く日本に存在しているのである。
 
真の忠義とは
 何であろうか?

武士道は
 主君のために生き、
 そして死なねばならない。


しかし、
主君の
 気まぐれや
 突発的な思いつきなどの
 犠牲になることについては

武士道は
 厳しい評価を下した。


無節操に
 主君に媚を売ってへつらい、

※媚を売・る
 へつらって相手の機嫌をとる。
 商売女などが客の相手をする。
 おべっか。
※おべっか
 上の人の御機嫌をとったり、
 へつらったりすること。


主君の
 機嫌をとろうとする者は
 「佞臣」と評された。


※ねい‐しん【佞臣】-日本国語大辞典
 主君に口先うまくこびへつらう臣下。
 悪がしこく、心の不正な臣下。


また、
奴隷のように追従するばかりで、
 主君に従うだけの者は
 「寵臣」と評された。

※ちょうしん【寵臣】
 気に入りの家来。寵愛の深い家臣。

※ちょうあい【寵愛】
 上の人が下の者を非常にかわいがること。


家臣がとるべき
 忠節とは、
 
 主君が進むべき
 正しい道を説き聞かせることにある。


※かしん【家臣】
 家に仕える臣。
 家来(けらい)。

※ちゅうせつ【忠節】
 変わりなく尽くす忠義。

※しゅくん【主君】
 自分が仕えている君主・主人など。
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