和敬静寂(わけいせいじゃく)

千利休の茶の精神をあらわしたのが
 「和敬静寂(わけいせいじゃく)」という標語。

茶の湯と禅の真髄や
この四文字で表現されているといってもいいでしょう。

それぞれの意味は、

…人にも自然にも和み、逆らわないこと

…すべてに敬いの心を持つこと

…一点の塵も汚れもない清い佇まいと心でいること

…煩悩にとらわれず、静かで動かない心でいること、となります。
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一期一会

茶の湯では、
 
亭主、席、客、道具がまったく同じでも、
 それぞれが一回限りのものと考えます。

同じ茶会は二度とないため、
 全身全霊を傾けて準備を整え、
 打ち水や活ける花、
 香や掛け軸にまで、
 できるかぎりの配慮を尽くします。

さて、
私たちは一期一会の心を持って、
 相手と向き合っているでしょうか。
ふだんよく顔を合わせる人には、
 「また、会える」とタカを括っているところもあるでしょう。
これでは、
 相手への思いが疎かになり、
 人間関係は希薄になる一方です。

一期一会

一期一会(いちごいちえ)とは

茶道に由来することわざ

『あなたとこうして出会っているこの時間は
  二度と巡ってこないのである。

 だから、この一瞬を大切に思い
  今できる最高のおもてなしをしましょう』


と言う意味

千利休の茶道の筆頭の心得である。

これからも何度でも会うことはあるだろうが
  もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で
    人には接しなさいということである。


「おもてなし」の語源

『おもてなし』は
 「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉です。


「もてなし」の語源は
 「モノを持って成し遂げる」という意味です。

別にお客様に応対する扱い、
 待遇とも言われています。

「おもてなし」のもう一つの語源は 

「表裏なし」
 つまり表裏のない「心」でお客様をお迎えする事です。


この「おもてなし」には
 目に見える「もの」と、
 目に見えない「こと」があります。

この「もの」「こと」を、
 
お茶の世界で例えますと
「お客様」をおもてなしする際に、
 季節感のある生花、
 お迎えするお客様に合わせた掛け軸、
 絵、茶器、匂い(御香)など
 具体的に身体に感じ、
 目に見える「もの」、
 
おもてなしをする人の瞬時に消えてしまう
 言葉、表情、仕草など、
 目に見えない心を「こと」と言います。


この茶道の《おもてなし》は
 【究極の接客】と言っても過言ではないでしょう。

おもてなしとは
 思い遣り(おもいやり)を出来る限りの
 「もの」と「こと」で裏表の無い心で誠実に伝えることです。

これは、
 茶道の【一期一会】にも通じます。

千利休の美学(8)

利休切腹する

1591年2月28日
利休のもとに秀吉の使者が訪れた。

伝えられた伝言は「切腹せよ」。

使者の任務は、
 利休の首を持って帰ることだった。

ところが、
 利休は静かに口を開いた。
  「茶室にて茶の支度が出来ております」。

使者に最後の茶をたてた後、
 利休は一呼吸ついて切腹した。

享年69歳。
 利休の首は、はりつけにされた木像の下にさらされた。

なぜ、秀吉は、利休に切腹を命じたのか
 二人の茶の湯に関する考えは間逆 
  秀吉が愛したのは、ド派手な「黄金の茶室」
   利休が理想とするものは、木と土の素朴な草庵

秀吉は自分なりに茶に一家言を持っているだけに、
 利休との思想的対立が日を追って激しくなっていった。

千利休の美学(7)

千利休は、
 何も削るものがないところまで無駄を省いて、
  緊張感を作り出すという
   わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。

“侘び”の対象を茶道具のみならず、
 茶室の構造やお点前の作法など、
  茶会全体の様式にまで拡大した

当時は茶器の大半が中国・朝鮮からの輸入品であったが、
 利休は新たに樂茶碗など茶道具を創作し、
  掛物は禅の「枯淡閑寂」の精神を反映させた水墨画を選んだ。

“これ以上何も削れない”という極限まで無駄を省いて
 イブシ銀の緊張感を生み出し、
  村田珠光から100年を経て侘び茶を大成させた

ろくろを使用しない独自の陶法で樂長次郎ら楽焼職人に造らせた。
 武骨さや素朴さの中に“手びねり”ならではの温かみを持つ「樂茶碗」を、
  人々はこれまで人気があった舶来品よりも尊ぶようになり、
   利休の名声はさらに高まった。
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