“性善説” と “性悪説

古く中国儒教の中心概念としてある

“性善説” 
 (人は生まれつき善だが、成長すると悪行を学ぶ)

これに対して唱えられた

“性悪説”
 (人は生まれつき悪だが、成長すると善行を学ぶ)

いずれも善悪が人間には備わっているので
 努力して正しいことをしなさいという考えであるが、
 人間の本質から言うとやはり、

この世は“性悪説”だと私は思っている。

(ここで言う悪とは欲のことを示す。

つまり欲深いことが人間を悪行へ導くということ。)

私はこの世の中は本当にどこまで行っても
 残酷なところだと覚悟して生きている。

世界は愛で救われる的な考えもあると言えばあるが
 (確かに事実かもしれない)、
 毎日世界中では考えたくもないくらいの悲しい事件・事故然り、
 私たちの日常生活でも些細なことから
 大きなことまで苦しい・辛いと感じることは多く存在している。

「何故、こんな惨い事件が起きるのだろうか・・・」と
 ニュースを見ながら考えることもあるが、
 それでもやはり悲しい出来事は今この瞬間も起きている。

それを認めて受け入れていく他ないのが、
 この世の中なのだ・・・ と、私は覚悟している。

年々、
 その問題が増加していると言われる
 
“心の病 (うつ)”は、
 比較的に完璧主義であるとか真面目な人に起きやすい。


何事に対しても、
 自分自身が求める理想に向けて頑張り過ぎてしまい
 疲れやすい傾向がある。


自分の身の回りをさっと見渡してみても、
 仕事がうまくいかないとか、
 上司に怒られるとか、
 売上が悪いとか、
 忙しすぎて疲れるとか、
 人間関係でストレスを感じるとか、
 自分の外見にコンプレックスが強くあるとか・・・、

 
ほとんどの人がどれかには必ず当てはまっていると言えるだろう。

いわば、
 人は常に“苦”と共に生きていると言えるのである。
スポンサーサイト

性善説と性悪説のよくある誤解

「性善説」「性悪説」という言葉を誤解している人は結構多いようです。

その誤解とは、要するにこういったものです。

性善説
(人の本性は善であり)人を信じるべきだという考え方

性悪説
 (人の本性は悪であり)人は疑ってかかるべきだという考え方
  これは間違った理解です。
 性善説を唱えた孟子はそのような能天気な人ではなかったでしょうし、
  性悪説を唱えた荀子は別に人間不信だったわけではないでしょう。


【性善説】
 人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、
  悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。

 正統的儒学の人間観。孟子の首唱。


【性悪説】
 人間の本性を利己的欲望とみて、
 善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。

 孟子の性善説に対立して荀子が首唱。


 要するに、

性善説
 「人は生まれつきは善だが、
   成長すると悪行を学ぶ」
という

性悪説
 「人は生まれつきは悪だが、
   成長すると善行を学ぶ」
という

つまり、
 どちらの見解でも結局
 「人は善行も悪行も行いうる」のであって、
 これは人を信じるかどうかとは関係のない話なのです。

性悪説

次が性悪説である。
これは同じく儒家の荀氏の唱えたもので、
 「荀氏」第十七巻第二十三性悪篇に以下のように書かれている。

人間の本性すなわち生まれつきの性質は悪であって、
 その善というのは偽すなわち後天的な作為の矯正によるものである。

さて考えてみるに、
 人間の本性には生まれつき利益を追求する傾向がある。

この傾向のままに行動すると、
 他人と争い奪いあうようになって、
 お互いに譲りあうことがなくなるのである。

また、
 人には生まれつき嫉んだり憎んだりする傾向がある。

この傾向のままに行動すると、
 傷害ざたを起こすようになって、
 お互いにまことを尽くして信頼しあうことがなくなるのである。

また、
 人には生まれつき耳や目が、
 美しい声や美しい色彩を聞いたり見たりしたがる傾向がある。

この傾向のままに行動すると、
 節度を越して放縦になり、
 礼儀の形式や道理をないがしろにするようになるのである。

以上のことからすると、
 人の生まれつきの性質や心情のおもむくままに行動すると、
 きっと争い奪いあうことになり、
 礼儀の形式や道理を無視するようになり、
 ついには世の中が混乱に陥るようになるのである。

だから、
 必ず先生の教える規範の感化や礼儀に導かれて、
 はじめてお互いに譲りあうようになり、
 礼儀の形式や道理にかなうようになり、
 世の中が平和に治まるのである。

以上のことからすると、
 人の生まれつきの性質は悪いものであることは明瞭である。

したがって人の善い性質というのは、
 後天的な矯正によるものなのである。

荀氏、沢田多喜男・小野四平訳、
世界の名著10 諸子百家、中央公論社、1966、p.395. より
検索フォーム
最新記事
最新コメント
カテゴリ
リンク
FC2オンラインカウンター ここから --> 現在の閲覧者数: