『幸せとは、心に余裕をもつこと』

「ここに金貨の入った袋がふたつあります。
 
片方の袋には、
 もう一方の2倍の金貨が入っています」



ある慈善家があなたの前に現れて、こう言ったとします。
「どちらかひとつを選んでください。それを差し上げましょう」

あなたは、
 左の袋を選びました。
 中には10枚の金貨が入っていました。

「袋を変更することもできますよ。どうしますか」
左の袋が金貨10枚だったということは、
 右はその倍の20枚か、半分の5枚のどちらかです。

さて、あなたは、
 そう言われたとき、右の袋を選び直すでしょうか。

ここが、幸福と不幸の分かれ道です。

幸せな人とは
 「左の袋を選んでよかったのだ」と思える人のことである。


不幸な人とは
 「右を選んだほうがよかったのではないか」と悩み、
 くよくよと後悔する人のことでしょう。


右の袋を選び直すなら、
 はじめから右を選ぶのと同じことです。

そういう人は、
 もしはじめに右を選んでいたなら、
 やはり左に変更していたでしょう。

右の袋が左の倍だったのか、半分だったのか。
それはたいして重要ではありません。


どちらにしろ、
 多い金貨が入っているほうの袋を選ぶ確率は2分の1なのです。

重要な問題は、
 どちらを選ぼうかと考えているうちはわくわくしていたのに、
 金貨10枚という具体的な数字を示されれば、
 それがとたんに色あせて見え、
 新たな欲が出てきてしまうということです。

もしふたつの袋から選ぶという方法ではなく、
 単に「金貨10枚を差し上げましょう」と言われていれば、
 悩むことも悔やむこともなく、
 心からありがたいと思えたことでしょう。

多いほうを選ばなかったからといって、
 損をしたのではありません。
金貨10枚をもらえたことがまるまる幸運だったのです。

もっと金持ちの家に生まれたかった。
もっと美しい容貌に生まれたかった。
もっと頭がよかったら。
もっと親に愛されていたら。

不運を嘆き、
 「別の人間に生まれ変わりたい」という
 叶わぬ夢を見ている人もいるかもしれません。

しかし、
 「今の自分の境遇が気に入らないから」という理由でそう思うのであれば、
 仮にその願いが叶ったとしても、
 神様はきっと、
 そのごう慢さに気づかせるために、
 半分の金貨の袋、
 すなわちさらに厳しい運命を与えるでしょう。

そのときになって、
 はじめて自分がどれだけ恵まれていたかを思い知るのです。
失ってはじめて気づくことを思えば、
 失わないうちに気づくことがどれだけ幸せかが判ります。




「貧しい家に生まれるのと、
 生まれてすぐに病気で死ぬのと、
どちらを選ぶか」と言われれば、
 誰でも貧しい家に生まれることを望むはずです。

「今、自分は幸せである」と思えなければ、
 どれだけ別の人生を選び直しても、
 崖のふちを歩いているような不安に悩まされ続けるだけです。

幸せは、
 「もっとほしい」と願うことでえられるのではありません。

「もし、今より恵まれない状況にあっても、
 幸せを感じられるだろうか」と考えてみることで、
 現在の幸せがくっきりと浮かび上がってくるのです。

誰かを憎んでいる人は、
 「世の中には、もっとひどい仕打ちを受けているのに、
 それを許している人もいる」と考えてみてください。

「毎日が退屈で、
 将来の希望もない」とこぼしている人は、
 「もし自分が明日死ぬと判ったら、
 何をするだろうか」と考えてみてください。

「もっと恵まれた状態にあれば」という欲望には、きりがありません。
「今でも充分に恵まれている」と思う以外に、幸せになる方法はないのです。

「恋人がもっと私を愛してくれたらいいのに」といくら願っても、
 よけいに愛されることはありません。
要求してえられた愛は、
 しょせん本物の愛ではないのですから。
逆に「もう充分です。
ありがとう」と感謝すれば、
 相手はもっと愛したいと思うようになるのです。

自分の心に余裕ができると、
 他人に優しくなれます。
他人に優しくできる人は、
 感謝され、認められ、
 ますます心に余裕が生まれます。


心に余裕をもつために、
 背伸びをしたり、自分をごてごてと飾りつけたりする必要はありません。
電車で席を詰めて座るように、
 ちょっと隙間をあけてやればよいのです。
そこには、まだまだ多くの幸せが入り込む余地があるのです。
私たちの心には、自分でも気づいていない余分の隙間がたくさんあるのです。
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