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仕事に生かす

【仕事に生かす】

天の時は地の利に如かず
 地の利は人の和に如かず

   「孟子

事業(仕事)を成功させるためには、
 3つの条件が揃わなければならないという。

3.天の時 ── 実行のタイミング
2.地の利 ── 立地条件
1.人の和 ── 内部の団結


興味深いのは、
 「孟子」はこれに優先順位をつけ、

 「人の和」がもっとも重要だとしている。

理由はこう述べられている。

「小さな城を包囲攻撃しても、
  容易に陥落しない場合がある。
 攻撃している以上、
 当然、天の時をとらえているはずだ。

 それでも勝てないのは、
  天の時も地の利に勝てないからだ。

 城壁も高い。

 濠も深い。

 装備もすぐれ、
  兵糧も十分にある。

 それでいて、
  城を捨てて敗走する場合もあるのは、
  地の利も人の和に及ばないからだ」

それでは
「人の和」を
 勝ち取るにはどうすればよいか?


「孟子」によれば

「正しい「道」に則ること、

つまり、
 みんなに支持されるちゃんとした目標を提示すること


だと言う。
我々の仕事に当てはめれば、
 「人間力」とか「マネジメント力」といったところだろうか。


その次に大切な
「地の利」は、
 仕事に必要な知識やノウハウ、スキル
といったところか・・・これが2番目。

そして3番目の
「天の時」はそのまま、
 「実行タイミング」である。


「天・地・人」と
 3つの言葉に凝縮させた深い意味に関心するばかりである。
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己を枉ぐる者にして、いまだ能く人を直くする者はあらず

己を枉ぐる者にして、
 いまだ能く人を直くする者はあらず


『己を枉(ま)ぐる者にして、
  いまだ能く人を直(なお)くする者はあらず』

<孟子>

「己を枉ぐる」とは、
 
 自分の原則を曲げて
  相手に迎合すること、
 
 そういう人間が
  指導的立場に立ったのでは
  相手を正しい方向に導くことができない。


 というのである。

 孟子という人は、
 仁義に立脚する王道政治を主張し、
 なんとかそれを実現しようと、
 各国の王に働きかけてまわつた。

 だが、
 各国とも現実の利益追求に余念がなく、
 孟子の理想は容易に聞き入れられない。

 それを見た、弟子の一人が、
 もう少し融通をきかせて相手と妥協したほうがよいのではないかと言ったところ、
 
 孟子は、
 このことばを引いて、
 逆に弟子をたしなめたという。

※ たしかに孟子の語るように、
 指導的立場にある者には、
 自分が正しいと信じた原則には
 あくまでも堅持するという毅然とした姿勢があるべきだ。

 とくに、
 教育の場にある者にはこれが望まれる。

 だが、
 現実の立場においては、
 これと同時に、
 柔軟な融通性を併せ持ったほうがよいかもしれない。

道は近きに在り、しかるにこれを遠きに求む(孟子)

道は近きに在り、
 しかるにこれを遠きに求む (孟子)


職場の人間関係が
 上手く行かず
 暗い雰囲気が、
一人の社員が
 大きな声で「おはよう」と挨拶を始めた。

それまで、
 朝から挨拶を
 ほとんどしない会社だったのですが、
 やがてみんなが
 「おはよう」と声を掛け合うようになり、
ギスギスした雰囲気が
 明るくなったそうです。

生きて行くうえでの
 原理・原則というものは、
案外に平凡で
 常識的であることが多い。


孟子曰く 
人間の踏むべき「道」は、
 実は日常の身近なところに
 あるのかもしれません。
ところが人は、
 この「道」をわざわざ、
 高遠なところに求めようとする
ことさら
 難しいことをありがたがったり
常識的なことを無視して
 枝葉末節に走ったりし
そして
 結局は実行できないで終わる



誰にでも実行でき
 しかも
  大事なことというのは、
 
例えば
 朝の「おはよう」と声をかける、

そうした
 ごく平凡で些細なことにある。

「できないこと」と「しないこと」

孟子は
 斉の宣王から
 
 「どうすれば道徳を用いて
  真の王となれるのか?」
 


 と問われ、

 「ただ人民を愛護する仁政を行えばよい」と答えた。

それに対して、
 
宣王は
「自分は暗愚で未熟であり、

 とても儒学が理想とする仁政を
 実践することなどできない」
 
と自信なさげに答えた。

王道政治を宣王に期待する孟子は、
 厳しく、

 「できないこと」と「しないこと」

 の違いを分かりやすい比喩(メタファー)を用いて説明した。

孟子は、
 宣王は仁政が本当に
  できないのではなく

 ただ単に
  しないだけなのだ
  と詰め寄るように語り、

 斉という大国を指導する宣王自身が
  やる気にさえなれば
 簡単に人民や老人を愛護することが出来ると
  確約したのである。

「孟子」

性善説は四書の一つである「孟子」

すなわち孟子と弟子の問答集の第三巻「公孫丑章句」

すなわち公孫丑との対話の中に出てくる。

孟先生がいわれた。
「人間はだれでも、
 他人の悲しみを見すごすことのできない同情心をもっている。

昔のりっぱな王様は、
 他人の悲しみに同情する心をもつばかりでなく、
 他人の悲しみに同情する政治をもたれた。

他人の悲しみに同情する心で、
 他人の悲しみに同情する政治を実行することができたならば、
 天下を治めるのは、
 まるで手のひらの上でころがすように、
 自在にできるであろう。

人間はだれでも、
 他人の悲しみに同情する心をもっているというわけは、
 今かりに、子供が井戸に落ちかけているのを見かけたら、
 人はだれでも驚きあわて、
 いたたまれない感情になる。

子供の父母に懇意になろうという底意があるわけではない。

地方団体や仲間で、
 人命救助の名誉と評判を得たいからではない。

これを見すごしたら、
 無情な人間だという悪名をたてられはしないかと思うからでもない。

このことから考えてみると、
 いたたまれない感情をもたぬ者は、
 人間ではない。

羞恥の感情をもたぬ者も、
 人間ではない。

謙遜の感情をもたぬ者も、
 人間ではない。

善いことを善いとし、
 悪いことを悪いとする是非の感情をもたぬ者も、
 人間ではない。

このいたたまれない感情は、
 仁の端緒である。

羞恥の感情は、
 義の端緒である。

謙遜の感情は、
 礼の端緒である。

是非の感情は、
 智の端緒である。

人がこういう四つの端緒をそなえていることは、
 人間が四肢をそなえているようなものである。

この四つの端緒をもちながら、
 自分で仁義礼智を実行できぬというのは、
 自殺者である。

自分の君主が仁義礼智が実行できないという人は、
 自分の君主の殺害者である。

すべて、
 この四つの端緒を自分の内にそなえた者は、
 だれでもこれを拡大し充実することができる。

火がはじめて燃えだし、
 泉源から水がはじめて流れ出すように、
 これを拡充すれば、
 じゅうぶんに世界を支配することができるし、
 もしこれを拡充することができなければ、
 父母にさえじゅうぶんにつかえることはできないのである」

孟子、貝塚茂樹訳、世界の名著3 孔子 孟子、中央公論社、1966、p.440. より
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