最初のほうと
後のほうが合っていない文のことを
「ねじれ文」と言います。とちゅうでねじれている文なので「ねじれ文」です。
ねじれた文を与えてそれを修正させました。
出典は、麦の芽出版の「たのしい国語中学1年生」です。
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× 父が玄関で靴を脱ぎながら、「あした、映画を見につれていってやる。」と言われて、うきうきした。これは、
最初「父が玄関で靴を脱ぎながら、
『あした、映画を見につれていってやる。』と言った。」
という文を作ろうとしたのでしょうね。
それが途中まで書いて
「『あした、映画を見につれていってやる。』と言われて、
うきうきした。」という文に変ったのでしょう。
話をしているときは、
最初に言ったことを忘れてしまうので、
途中でねじれてしまうのです。
だから、書いてあとでねじれているかどうか、
チェックすることが大切です。
しかし、
ねじれ文をつくる人は、
この文のどこがねじれているのかよくわからないようです。
「直しなさい」と言っても、
何をどう直せばいいのかわからないのです。
「この文の述語は何?」と問うと、
「うきうきした」だと分かります。
「では、主語は?」
「父が」
「父が、うきうきしたのか?」と問われて、
「いや、そうではないな」と気付きます。
○ 「父が玄関で靴を脱ぎながら、「あした、映画を見につれていってやる。」と言った。それを聞いて、私はうきうきした。」 とすればねじれはなくなります。
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× 私は、体育の時間に、とんだりかけたりすることが好きなので、授業の中でいちばん楽しい。 もそうです。
何が楽しいか、
この文では「体育の時間がいちばん楽しい」と書きたかったはずです。
「体育の時間」を後半に持っていき、
○ 私は、とんだりかけたりすることが好きなので、授業の中で体育の時間がいちばん楽しい。 とすればいいのです。
子どもたちの中でよくあるのは、「~すること」で始めるねじれ文です。
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× このクラブに人ってよかったと思っているのは、小学校のころ弱かったからだが丈夫になってきた。
× 私は今年やりたいことは、勉強とクラブをー生懸命やりたい。「~すること」「~するのは」
という形の主語で始めているのに、
動詞や形容詞で終わっているからおかしいのです。 「思っているのは、丈夫になってきた。」
「やりたいことは、やりたい。」
主語と述語だけを並べるとおかしいことに気付きます。
「~ことは」という主語にしたら、
「~ことです」で終わるようにします。○ このクラブに人ってよかったと思っているのは、小学校のころ弱かったからだが丈夫になってきたことです。または、
○ 小学校のころ弱かったからだが丈夫になってきたので、このクラブに人ってよかったと思っている。
「やりたい」がだぶっているので、それを一つにして、
○ 私は今年、勉強とクラブをー生懸命やりたい。
とすれば、ねじれはなくなります。*************
× 真夜中、通りで一匹の犬がほえていた。近所の人たちは外に出てきて、二階から見ていると、近所の人たちが犬を追っばらおうとしていた。この文では、他と主語がちがう「二階から見ていると」が途中にはいりこんでしまって、ねじれているのですね。
○ 真夜中、通りで一匹の犬がほえていた。(私が)二階から見ていると、近所の人たちが外に出てきて、犬を追っばらおうとしていた。 とすればいいですね。
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× 家の近くで小さくて美しい花を見つけた。その花をそこでは狭くて日当りがよくないので、広い場所に移し変えようと思い、シャベルですくった。 これは、「その花を」が変です。入る場所が悪いのです。
○ 家の近くで小さくて美しい花を見つけた。そこでは狭くて日当りがよくないので、その花を広い場所に移し変えようと思い、シャベルですくった。または、
○ 広い場所に移し変えようと思い、その花をシャベルですくった。
にすればいいですね。**********
× 文化祭の劇を見て感じたことは、一年よりニ年、二年より三年というように、上級生の方が演技がうまかったが、どの学年も、毎日練習した成果が、十分ではないかもしれないが、発揮できたと思う。 だらだら文を書いていると、
文がねじれてしまう可能性が高まります。
だから、
短い文を書くように注意します。この文も長いためにねじれてしまっています。
○ 文化祭の劇を見て、一年よりニ年、二年より三年というように、上級生の方が演技がうまいと感じた。
どの学年も、毎日練習した成果が、十分ではないかもしれないが、発揮できたと思う。 とニつの文にして直せばねじれはなくなります。
こういうねじれ文を与えて、
修正させる練習をさせることによって、
ねじれているのかどうか意識し、
ねじれ文がなくなるのではないかと期待しています。
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