「能率」と「効率」はどう違う?

「能率」と「効率」はどう違う?
 
「能率」と「効率」は意味が似ており、
 あまり意識して使い分けていない人もいると思われます。

しかしよく見ると
 両者には微妙な使い分けが見られることがあります。

一般的に
「能率」は
 一定の期間でこなせる仕事の絶対量を表すのに対し、

「効率」は
 仕事の成果とそれに要するさまざまなコストとの
 相対的な比較を表す傾向があります。

  a. 一時間で書類を10枚処理できる → 一時間で書類を15枚処理できる
  b. 費用1000万で1200万の売り上げ → 費用500万で1000万の売り上げ

a.の例は一定の時間を基準に絶対的な仕事量が増えています
 (10枚→15枚)が、
 
このような場合は
 一般に「能率が上がった」と言います。
一方 b.の例では絶対的な成果は減少しています
 (1200万→1000万)が、
 相対的に見るとより少ないコストで多くの成果を得ています。

普通このようなときは
 「効率が良くなった」と言います。

このように
「能率」には
 絶対的な使い方が、
「効率」には
 相対的な使い方がそれぞれ多く見られます。

また、
 「効率」は
 仕事に要するさまざまなコストを計りますが、
 「能率」は主に時間を基準にしているようです。
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「苦い」と「渋い」はどう違う?

「苦い」と「渋い」はどう違う?
 
いずれの言葉も味覚を表す語彙であり、
 こうした感覚語彙を言語で伝達するのは困難です。

したがって
 日本語教育でも感覚語彙の学習は
 難しい課題のひとつであると思われます。

日本語母語話者であれば
 「苦み」と「渋み」が異なる感覚であることを
 直観的に理解できると思われますが、

実際に「苦み」と「渋み」を感じる
 感覚器の部位も異なっているようです。

特に「渋み」に関しては、
 「苦み」が主に舌で感じられているのに対し、

 「渋み」のほうは舌以外の部位でも感じられていると言われています。

また「渋み」には
 独特の「ひっかかり感」のようなものが伴いますが、

実際「渋み」の感受には味覚だけでなく
 触覚も関係しているようです。

このように科学的にも異なる
 「苦み」と「渋み」ですが、

表現の上にも両者のこの違いが反映しているようです。
すなわちこれらを比喩的に用いた場合、
 「苦い」は
  「苦い経験」「苦い思い」のように
  マイナスイメージの形容が多くを占めますが、

 「渋い」の方は
  「渋い色合い」「渋い俳優」のように
  中立的かプラスイメージの形容も多く見られます。

「渋い返事」などは
 マイナスイメージの形容ですが、

いずれにしても「渋い」には
 先に見た「ひっかかり」「抑え」といった感覚が共通しています。

「派手さを抑えた」色ならば
 「渋い色合い」ですし、

「なかなかはっきりした返事を出さない」ならば
 「渋い返事」ということになるわけです。

「隣」「横」「側」はどう違う?

「隣」「横」「側」はどう違う?
 
これらの違いについて考えるには、
 これらに対立する

「隣でない」
「横でない」
「側でない」とは

何かということについて
それぞれ考えるとわかりやすいかもしれません。

まず「隣でない」とは、
 「二つの個体の間に何かが存在する」ということになります。

すなわち「隣」というのは
 個体を数え上げていくときに、

二つの個体の間に
 何も存在しないような関係にあるということです。

その際個体同士の位置や距離は問題になりません。

たとえば
 日本と韓国は海を隔てて離れてはいますが、
 その間に国は存在しないので
 「隣の国」と言うことができます。

次に「横でない」は、
 「縦」や「斜め」などが挙げられます。

「横」「縦」「斜め」は
 いずれも個体同士の位置関係を表す語です
 (これとは別にひとつの個体の姿勢を表すこともあります)。

すなわち「横」は
 個体同士のある位置関係を表した語ということになります。

「隣」とは違い、
 間に何かが存在するか否かは問題となりません。
 また距離も問題となりません。

また「側でない」は、
 「遠く」ということになると考えられます。

つまり「側」は
 個体同士の距離を中心に見た語ということになります。

「隣」とは
 違い間に何かが存在するか否かは問題となりません。

また「横」とは違い、
 位置関係も問題となりません。

「隣」「横」「側」には
 以上に見たような点において
 本質的な違いが存在すると考えられます。

「準備」と「用意」はどう違う?

「準備」と「用意」はどう違う?
 
「準備」「用意」には、
「作業・行動などにとりかかれるように、
 あらかじめ整えておくこと」という意味があり、

以下のような文脈ではいずれも同じように用いることができます。

  旅行の 準備/用意 が整った。
  式典の 準備/用意 に取りかかりましょう。

ところが、
 「準備」は
 上記の意味のみならず、
 精神的な作用について言及する、
 以下のような文脈でも用いることが可能です。

○心の準備ができないでいる。

×心の用意ができないでいる。

この文の
 「準備」を「用意」に置き換えることは
 難しいように思われます。

逆に、
 物品を用立てるという意味に解釈される
 以下のような場面では
 「準備」は用いられにくいようです。

 (誘拐犯が家族に)
○100万円用意しろ。
×100万円準備しろ。

したがって、
 「準備」「用意」が同意語として用いられるのは、

「ある作業・行動などにとりかかれるように、
 あらかじめ行う行為」を漠然と表す場合であるといえます。

「のぼる」と「あがる」の違いは?

「のぼる」と「あがる」の違いは?

両者は、
 どちらも何かが低いところから高いところへ動く
 という意味では共通していますが、
 いくつかの違いがあります。

たとえば、
 「空に太陽がのぼる」とは言えても
 「空に太陽があがる」とは言えません。

また
 「空に花火があがる」とは言えますが、
 「空に花火がのぼる」とは言えません。

ここでの違いは、
 「花火」は誰かが「あげた」結果、
  空に「あがった」のに対し、

 「太陽がのぼる」のは
 そうした人為的なものではなく
 自然現象であるという点にあります。

つまりこれらの場合は、
「あげる」という作用が働いた結果として
  高いところへ動くのが「あがる」であるのに対し、

おのずから動いているのが
 「のぼる」であるという違いがあります。

ただし、
 「あがる」が「おのずから動く」
 という解釈になる場合も存在します。

たとえば「階段をあがる」は、
 だれかが「あげた」結果「あがる」わけではありません。

このように
 他動詞的に用いられる場合は
 「あがる」も自ら動作する解釈となります。
この場合は
 「階段をあがる」でも
 「階段をのぼる」でも意味の差は少なくなります。

ただし、
 「あがる」は位置変化全般を指し示し得るのに対し、
 「のぼる」は「山を頂上へのぼっていく」とは言えても
 「海中を浅瀬へのぼっていく」では不自然となるように、
 使われる場面が限られてきます。
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