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トヨタ自動車 歴代社長

トヨタ自動車 【輸送用機器】

正式社名 トヨタ自動車(株)
略称 トヨタ自動車
読み方 とよたじどうしや
グループ トヨタグループ
業界ピックアップ 自動車大手10社
業種分類 輸送用機器

特色
国内自動車メーカー最大手、生産・販売世界首位。国内登録車シェア45%前後

歴代社長

氏名 就任 生年月日 出身地
かな 退任 没年月日 出身大学等


初代 豊田 利三郎 1937/8就 1884/3/5生 滋賀県彦根市
とよだ・りさぶろう 1941/1退 1952/6/3没 一橋大学(旧東京高等商業学校)専攻科
※豊田佐吉の婿養子(長女愛子の夫)

2代 豊田 喜一郎 1941/1就 1894/6/11生 静岡県
とよだ・きいちろう 1950/6退 1952/3/27没 東京大学(旧東京帝国大学)工学部機械工学科
※トヨタ自動車創業者。トヨタグループ創業者・豊田佐吉の長男

3代 石田 退三 1950/7就 1888/11/16生 愛知県知多郡小鈴谷村(常滑市)
いしだ・たいぞう 1961/8退 1979/9/18没 滋賀県県立第一中学校(現県立彦根東高等学校)
※トヨタ中興の祖、旧姓澤田

4代 中川 不器男 1961/8就 大阪府堺市
なかがわ・ふきお 1967/10退 1967/10/13没 神戸大学(旧神戸高等商業学校)
※三井銀行出身

5代 豊田 英二 1967/10就 1913/9/12生 愛知県
とよだ・えいじ 1982/7退 東京大学(旧東京帝国大学)工学部機械科
※豊田佐吉の弟・平吉の次男

6代 豊田 章一郎 1982/7就 1925/2/27生 愛知県
とよだ・しょういちろう 1992/8退 名古屋大学(旧名古屋帝国大学)工学部機械科
※豊田喜一郎の長男

7代 豊田 達郎 1992/9就 1929/6/11生 愛知県名古屋市
とよだ・たつろう 1995/8退 ニューヨーク大学(米)大学院経営学修士(MBA)
※豊田喜一郎の次男、豊田章一郎は兄

8代 奥田 碩 1995/8就 1932/12/29生 三重県津市
おくだ・ひろし 1999/6退 一橋大学商学部


9代 張 富士夫 1999/6就 1937/2/2生 東京都
ちょう・ふじお 2005/6退 東京大学法学部


10代 渡辺 捷昭 2005/6就 1942/2/13生 愛知県豊田市
わたなべ・かつあき 2009/6退 慶應義塾大学経済学部


11代 豊田 章男 2009/6就 1956/5/3生 愛知県名古屋市
とよだ・あきお バブソン大学(米)経営大学院修了(MBA)
※豊田章一郎の長男、豊田喜一郎の孫

関連人物

豊田 佐吉 1867/3/19生 静岡県湖西市(遠江国山口村)
とよだ・さきち 1930/10/30没
※トヨタグループ創業者

神谷 正太郎 1898/2/29生 愛知県古屋市
かみや・しょうたろう 1980/12/25没 名古屋市立名古屋商業高等学校
※トヨタ自動車販売社長・会長、販売の神様

大野 耐一 1912/2/29生 中国大連
おおの・たいいち 1990/5/28没 名古屋工業大学機械科
※トヨタ自動車工業副社長、トヨタ生産方式の生みの親



会社略歴
昭和8年9月
 ㈱豊田自動織機製作所(現㈱豊田自動織機)内で自動車の研究を開始
昭和12年8月
 ㈱豊田自動織機製作所(現㈱豊田自動織機)より分離独立しトヨタ自動車工業㈱を設立
昭和24年5月
 東京、名古屋、大阪の各証券取引所に株式を上場
 (その後、福岡、札幌、ニューヨーク、ロンドンの各証券取引所に株式を上場)
昭和25年4月
 トヨタ自動車販売㈱を設立し販売業務を移管
昭和57年7月
 トヨタ自動車販売㈱と合併し社名をトヨタ自動車㈱に変更

創業の経緯
昭和10年、
 トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎は苦心の末A1型試作車を完成させました。
昭和12年、
 父の豊田佐吉が作った「豊田自動機織製作所 」から「トヨタ自動車」が独立しました。

社名の由来
創業者・豊田(とよだ)喜一郎の姓に由来し、
 濁点がないほうがスマートだという多数の意見により「トヨタ」になった。

沿革
昭和8年9月
 ㈱豊田自動織機製作所(現在の㈱豊田自動織機)内で自動車の研究を開始
昭和10年11月
 トラックを発売
昭和11年9月
 乗用車を発売
昭和12年8月
 ㈱豊田自動織機製作所(現在の㈱豊田自動織機)より分離独立(会社創立)
 (社名 トヨタ自動車工業㈱、資本金 12,000千円)
昭和15年3月
 豊田製鋼㈱(現在の愛知製鋼㈱)設立
昭和16年5月
 豊田工機㈱(現在の㈱ジェイテクト)を設立し、精密工作機械の製造事業を移管
昭和18年11月
 中央紡績㈱を吸収合併
昭和20年8月
 トヨタ車体工業㈱(現在のトヨタ車体㈱)を設立し、自動車車体の製造事業を移管
昭和21年4月
 関東電気自動車製造㈱(現在の関東自動車工業㈱)設立
昭和23年7月
 日新通商㈱(現在の豊田通商㈱)設立
昭和24年5月
 東京、名古屋、大阪の各証券取引所に株式を上場
 (その後、福岡、札幌、ニューヨーク、ロンドンの各証券取引所に株式を上場)
昭和24年6月
 愛知工業㈱(現在のアイシン精機㈱)設立
昭和24年6月
 名古屋ゴム㈱(現在の豊田合成㈱)設立

昭和24年12月
 日本電装㈱(現在の㈱デンソー)を設立し、自動車用電装品の製造事業を移管
昭和25年4月
 トヨタ自動車販売㈱を設立し、販売業務を移管
昭和25年5月
 民成紡績㈱(現在のトヨタ紡織㈱)を設立し、紡績事業を移管
昭和28年8月
 東和不動産㈱設立
昭和31年3月
 トヨタ自動車販売㈱が産業車両を発売
昭和32年10月
 米国トヨタ自動車販売㈱設立
昭和35年11月
 ㈱豊田中央研究所設立
昭和41年10月
 日野自動車工業㈱・日野自動車販売㈱(現在は合併し、日野自動車㈱)と業務提携
昭和42年11月
 ダイハツ工業㈱と業務提携
昭和50年12月
 店舗用住宅を発売
昭和52年2月
 個人用住宅を発売
昭和55年3月
 ティース トヨタ㈱(現在のトヨタ モーター コーポレーション オーストラリア㈱)を株式取得により子会社化
昭和57年7月
 トヨタ自動車販売㈱と合併し、社名をトヨタ自動車㈱に変更
昭和57年10月
 トヨタ モーター クレジット㈱設立
昭和59年2月
 当社とGM社との間で合弁会社ニュー ユナイテッド モーター マニュファクチャリング㈱を設立
昭和61年1月
 トヨタ モーター マニュファクチャリング U.S.A
 .㈱(現在のトヨタ モーター マニュファクチャリング ケンタッキー㈱)
 およびトヨタ モーター マニュファクチャリング カナダ㈱を設立
平成元年12月
 トヨタ モーター マニュファクチャリング(UK)㈱設立
平成3年2月
 トヨタ自動車九州㈱設立
平成8年2月
 トヨタ モーター マニュファクチャリング インディアナ㈱設立
平成8年9月
 北米における製造・販売会社の資本関係再編成に伴い、
 トヨタ モーター ノース アメリカ㈱(現在は同地域の子会社と合併)を設立
平成8年10月
 北米における製造統括会社トヨタ モーター マニュファクチャリング ノース アメリカ
 ㈱(現在のトヨタ モーター エンジニアリング アンド マニュファクチャリング ノース アメリカ㈱)を設立
平成10年3月
 日本移動通信㈱を株式取得により子会社化
平成10年9月
 ダイハツ工業㈱を株式取得により子会社化
平成10年10月
 欧州における製造統括会社トヨタ モーター ヨーロッパ マニュファクチャリング㈱
 (現在は同地域の販売統括会社、持株会社と合併)を設立
平成12年7月
 金融統括会社トヨタファイナンシャルサービス㈱を設立
平成12年10月
 日本移動通信㈱は、第二電電㈱およびケイディディ㈱と合併し、
 ㈱ディーディーアイ(現在のKDDI㈱)となり、子会社から除外
平成13年4月
 ㈱豊田自動織機製作所(現在の㈱豊田自動織機)に産業車両および物流システム事業を譲渡
平成13年8月
 日野自動車㈱を株式取得により子会社化
平成14年3月
 当社とプジョー シトロエン オートモービルズ 
 SAとの間で合弁会社トヨタ プジョー シトロエン オートモービル チェコ㈲を設立
平成14年4月
 欧州における持株会社トヨタ モーター ヨーロッパ㈱
 (現在は同地域の販売統括会社、製造統括会社と合併)を設立
平成14年8月
 中国第一汽車集団公司と中国での自動車事業における協力関係構築に基本合意
平成16年9月
 当社と広州汽車集団股?有限公司との間で合弁会社広州トヨタ自動車㈲を設立
平成17年10月
 欧州における販売統括会社トヨタ モーター マーケティング ヨーロッパ㈱は、
 同地域の製造統括会社、持株会社と合併(合併後社名 トヨタ モーター ヨーロッパ㈱)
平成18年3月
 富士重工業㈱と業務提携
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デンソー 歴代社長

デンソー 【輸送用機器】

正式社名 (株)デンソー
略称 デンソー
読み方 デンソー
グループ トヨタグループ
業種分類 輸送用機器

特色
トヨタグループ、自動車部品メーカー国内最大手、1949年トヨタの電装部門が分離・独立

歴代社長

氏名 かな 生年月日 出身地
就任 退任 没年月日 出身大学等
※備考

白井 武明  しらい・たけあき  1912/3/31生 愛知県豊橋市
1973/2就 1977/3退 2002/10/16没 浜松市高等工業学校機械学科


戸田 憲吾  とだ・けんご 1919/6/20生
1982就 1987退 1995没 浜松高等工業学校


石丸 典生 いしまる・つねお  1928/7生 三重県
1991/3就 東京大学工学部


岡部 弘 おかべ・ひろむ 1937/5/19生 愛知県刈谷市
1996/6就 2003/6退 名古屋大学経済学部


深谷 紘一  ふかや・こういち 1943/12/3生 愛知県
2003/6就 2008/6退 東京工業大学理工学部機械工学科


加藤 宣明  かとう・のぶあき 1948/11/3生 愛知県知多郡
2008/6就 慶應義塾大学商学部



会社略歴
昭和24年12月
 トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車株式会社)から分離独立し、
 資本金1,500万円をもって日本電装株式会社設立
昭和26年12月
 株式を名古屋証券取引所に上場
昭和28年1月
 株式を東京・大阪の各証券取引所に上場
平成8年10月
 株式会社デンソーに商号変更

沿革
昭和24年12月
 トヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車株式会社)から分離独立し、
 資本金1,500万円をもって日本電装株式会社設立
昭和26年12月
 株式を名古屋証券取引所に上場
昭和28年1月
 株式を東京・大阪の各証券取引所に上場
昭和28年11月
 ロバートボッシュ社(ドイツ)と電装品に関する技術導入契約を締結
昭和34年7月
 愛知電装株式会社を吸収合併
昭和36年11月
 品質管理の最高権威であるデミング賞を受賞
昭和40年5月
 刈谷市に池田工場建設
昭和42年7月
 安城市に安城製作所建設
昭和43年10月
 IC研究室開設
昭和45年8月
 西尾市に西尾製作所建設
昭和45年11月
 株式会社日本自動車部品総合研究所(現連結子会社)を設立
昭和46年3月
 米国に初の海外現地法人ニッポンデンソー・オブ・ロスアンゼルス株式会社
 (現デンソー・セールス・カリフォルニア株式会社:連結子会社)を設立
昭和47年8月
 タイにニッポンデンソー・タイランド株式会社
 (現デンソー・タイランド株式会社:連結子会社)を設立
昭和48年2月
 オランダにニッポンデンソー・ヨーロッパ
 (現デンソー・インターナショナル・ヨーロッパ株式会社:連結子会社)を設立

----------

昭和49年6月
 安城市に高棚製作所建設
昭和53年10月
 小型モータを田中計器工業株式会社
 (現アスモ株式会社:連結子会社)に生産委託
昭和57年4月
 三重県員弁郡大安町(現三重県いなべ市)に大安製作所建設
昭和59年3月
 社会福祉法人太陽の家と合弁でデンソー太陽株式会社(現連結子会社)を設立
昭和60年12月
 米国にニッポンデンソー・アメリカ株式会社
 (現デンソー・インターナショナル・アメリカ株式会社:連結子会社)を設立
昭和62年2月
 豊橋市に豊橋製作所建設
昭和62年5月
 愛知県額田郡幸田町に幸田製作所建設
平成2年2月
 愛知県知多郡阿久比町に阿久比製作所建設
平成2年11月
 愛知県愛知郡日進町(現愛知県日進市)に基礎研究所建設
平成5年7月
 北九州市八幡西区に北九州製作所(現株式会社デンソー北九州製作所:連結子会社)建設
平成8年10月
 株式会社デンソーに商号変更
平成10年5月
 オーストラリアにデンソー・インターナショナル・オーストラリア株式会社
 (現連結子会社)を設立し、オーストラリアの関係会社を統括
平成10年9月
 西尾市に善明製作所建設
平成10年12月
 シンガポールにデンソー・インターナショナル・アジア株式会社
 (シンガポール)(現連結子会社)を設立し、東南アジアの関係会社を統括
平成11年4月
 イタリアのマニェティ・マレッリ社の回転機器事業部門
 (現デンソー・マニュファクチュアリング・イタリア株式会社:連結子会社)を買収
平成13年3月
 イタリアのマニェティ・マレッリ社の空調機器事業部門
 (現デンソー・サーマルシステムズ株式会社:連結子会社)を買収
平成13年3月
 サウジアラビアにデンソー・アブドゥル・ラティフ・ジャミール有限会社
 (現持分法適用会社)を設立
平成13年7月
 チェコ共和国にデンソー・マニュファクチュアリング・チェコ有限会社(現連結子会社)を設立
平成14年11月
 国内全14事業所で埋立廃棄物をゼロとする「ゼロエミッション」を達成
平成15年2月
 中国に電装(中国)投資有限公司(現連結子会社)を設立し、中国の関係会社を統括
平成17年5月
 南アフリカ共和国のスミス・マニュファクチュアリング株式会社(現持分法適用会社)に資本参加
平成19年2月
 タイに豪亜の統括拠点としてデンソー・インターナショナル・アジア株式会社(タイランド)(現連結子会社)を設立

世界最古の文明はどこ

英国の歴史家トインビー

 文明論には、
  衛星文明説というのがある

 「衛星文明」というのは、
   独立文明(世界四大文明)の刺激を受けて発生し、
   独立文明に依存した、自立していない文明を指します。

 彼は、日本文明は、
  支那の文明の衛星文明であり、
 日本は、
  西暦645年の大化の改新によって、
  漢字や支那の冠位を取り入れて、
  はじめて文明国家となった、と説いた。

  それが昭和40年頃です。

 要するに、
  支那が親、
  朝鮮が兄で、
  日本が末子という、

  支那文明日本渡来説の根拠になっています。

これはじつはとんでもない話で、

日本には
 大化の改新よりもはるかに昔から、
 国体があった
 
そのことを知ったトインビー博士は、
 後年、日本文明は、
 独立した一個の文明であると自説を訂正している。

にもかかわらず、
 都合の良いところだけを切り取って、
 いいように歴史を捏造するのが、
 反日左翼主義者の特徴です。

おかげで、
 2010年の今日においてもなお、
 日本の世界史の教科書には「世界四大文明」なる用語が登場しているし、
 これは必ず「試験に出る」問題です。

これによって多くの子供たちは、
 世界四大文明なる、
 世界中の歴史学者にとっくの昔に否定されつくしている説を、
 無批判に教え込まれ、
 なんとなく支那が日本文明の親であると思わせられている。

 ところが、
  実は文明の現出は、
  支那よりも日本の方がはるかに古い。

新たな事実が発見された
 支那の黄河文明が、
  いまから約4千年の昔です。
 長江文明が
  約7千年前の文明です。

 これに対し、
  日本では、
  なんといまから1万6500年前という
  世界最古の土器の遺跡が見つかっている。???

 場所は青森県蟹田町の西端に位置する
 「大平山元|遺跡(おおだいやまもといちいせき)」です。

 世界最古です。

 しかも
  土器があるということは、
  すでに火を使い社会的分業制度を持っていたことが同時に類推されるわけである。

 こうなると、
  もしかすると、
  日本は世界最古の文明国だった可能性すらある。

 なにせ、
  支那で最も古い長江文明より、
  さらに1万年もの太古の昔の文明の痕跡がでてきちゃった。

 さらに、
  大平山元遺跡群の2遺跡からは、
  約16,000年前の石で囲った炉の跡、
  石蒸し料理に使った焼けた石なども見つかっている。

 ところが、
  この「大平山元|遺跡」で
  世界最古の遺跡が発掘されたことがよほどくやしいようである。




青森県 外ヶ浜町 大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)(縄文時代の遺跡)
 出土した土器片この遺跡から発掘された縄文土器に付着した
  炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法[1]の算定で
 16,500年前(暦年較正年代法による)とされ、
 世界最古の縄文土器とも言われている。


群馬県みどり市笠懸町にある『岩宿遺跡』は、
 今から約2万5千年以上前
 旧石器時代の遺跡です。

 岩宿遺跡(いわじゅくいせき)は、
  群馬県みどり市笠懸町にある旧石器時代の遺跡である。

 1946年(昭和21年)頃、
  当時在野の考古学者であった相沢忠洋によって発見された。

 この発見によって、
  日本の旧石器時代の存在が証明された。

 これ以降、
  日本全国において旧石器時代の遺跡の発見が相次ぐことになる。




最古、2万年前の土器片 
 中国の洞窟遺跡、料理に使用か

 産経ニュース 2012.6.29 07:21

 世界最古となる約2万年前の土器片を、
  中国・江西省の洞窟遺跡で発見したと、
  北京大や米国などの研究チームが
  29日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 これまで日本を含む東アジア各地で見つかっていた、
  最古級の土器より2千~3千年古いという。

 洞窟からは280個以上の土器の破片が出土。
 多くに焦げた跡があり、
  チームは「現生人類の祖先が、
  料理に使ったのではないか」と推測している。

 チームは、
  破片が見つかった地層を詳しく調べ、
  地層に含まれる動物の骨や炭などの炭素を解析。

 古い地層は氷河期とされる
  1万9千~2万年前と結論付けた。
 

世界四大文明の嘘

「世界四大文明」といわれているものがあります。

エジプト文明、
メソポタミア文明、
インダス文明、
黄河文明の四つです。

これが世界の文明の黎明であると
 学校では「世界史」の授業で教えています。

しかし
 「世界四大文明説」なるものは、
 とっくの昔に世界の歴史学会で、
 完膚なきまでに否定されきっている説です。

考えてみてください。

 ギリシャ、中東、インド、支那の文明の黎明をいうなら、
 南米のインカやアンデス文明は、どうなるのですか。

 文明ではないのですか?

 北米のインデアンの文明はどうするのですか?
 ヒンズー文明は、どうなるのか?



そもそも「世界四大文明説」というのは、
 1900年に、
 清朝末期の支那の政治家梁啓超(りょうけいちょう)が
 日本に亡命中に唱えた政治論です。歴史論ではない。

どういうことかというと、
 1900年頃というのは、清王朝の末期です。
支那は欧米列強に植民地として国土を食い荒らされていた。

そんな折に、
 日本に亡命していた支那人政治家の梁啓超が、
 日本で、支那には「黄河文明」という欧米に匹敵する古い文明があったのだ
 (当時はまだ長江文明は発見されていなかった)という話を教わり、
 「そうだ! 支那には誇るべき歴史があるのだ。
 そのことを支那の民衆に教えねば!」と、これを本に書いた。

 要するに、梁啓超は、植民地化され、
  欧米人の家畜化されようとしている支那人たちに、
  「俺たちには欧米に匹敵する誇るべき歴史があるのだ」
  という誇りに目覚めてもらうために、きわめて政治的な産物として、
  世界四大文明切なるものを唱えたのです。

 つまり、
  世界四大文明説なるものは、
  もとから政治用語であって、歴史用語ではない。

日本の国はいつどうやってできたの

日本の国はいつどうやってできたの

日本には、
 もともとたくさんの国があって、
 それぞれがいろいろな名前でよばれていました。
これらの小国がたくさんあったのは、
 今から1900年以上も昔のことです。
当時は、
 まだ日本というひとつの国にまとまってはいませんでした。
その後、
 これらの国がしだいにまとまってきたのです。
それらは一度にまとまったわけではなく、
 だんだんとひとつの国にまとまっていきました。
こうしてできた国は、
 最初はヤマトという名前でした。
ところが、
 このころ中国人は
 日本を「倭の国」とよんでいました。

「倭」というのは、
 中国語で「非常に小さい」
 あるいは「ちっぽけな」という意味の言葉です。
日本よりはるかに長い歴史をもつ中国から見ると、
 そのころの日本というのはまだそれほど存在感のない小さな国にすぎなかったのです。
ところが、
 だんだんヤマトの国も大きくなり、
 国としての力をつけてくるようになりました。
そうして、
 となりの中国に「ちっぽけな国」といった意味の言葉でよばれているのが
 しだいにいやになってきたようです。
そこで
 今から1400年ほど前、
 ヤマトの国の聖徳太子という人が
 中国に手紙を書きました。


この手紙には、
 まだ日本という言葉はでてきませんでした。

しかし、
 ヤマトの国ではなく、
 「日いづるところ」という言葉を使ったのです。
「日(のたま)いづるところ」というのは、
 太陽が出るところという意味です。
中国から見て東にある日本は、
 太陽がのぼるところの国ですよという意味だったのです。
この「日いずるところ」が、
 「ひのもと」、
 そして「日本」というように変わっていったのではないかと考えられています。



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