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短所は「長所の肥やし」

お大師さまは、
「仏は山の彼方に有るのではない。」
「自信の心の中にある。」


(般若心経秘鍵)
 と、唱えました。

真理は、
 遠い所に有るのではない。
自分のうちにあるのだ。

磨くべき長所。
伸ばすべき長所が自信の中にみつからない
人などいないのです。

ものごとがうまくいかなくなると
 短所ばかりが意識されてしまうのではないでしょうか

短所がクローズアップされるあまりに
 長所のほうはぼやけてしまう


この世には
 どうにもならない
 ダメ人間などいないのです

意識されなかった長所に気付き
 それをどんどん輝かせていきます


磨くべき長所
 のばすべき長所が
 自分の中に見つからない人などいないのです



長所を伸ばして
 「大樹」にする


樹木を育てることを考えれば
 雑草は無用のもの
はびこれば
 樹木の栄養分を奪ってしまうことにもなるし
 さっさと刈り取ってしまえばいい
 ということになります
しかし
 それは短絡的な見方でしょう


じつは
 雑草はひとまずほっておいて
とにかく樹木を育てることを考えるのがいいのです

雑草に栄養分を取られるなら
 その分余計に手をかければいい

もちろん
 雑草も育っていくわけですが
樹木が大樹となり
 枝一杯に葉を茂らせるようになったら
 雑草は日陰の中で衰え
 やがては枯れてしまいます

樹木は長所
雑草は短所です

つまり、短所に目を向けるより
 長所を伸ばし活かす生き方のほうが
長期的に見れば
 いい結果をもたらすものです
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「奇跡のリンゴ」を知っていますか?

奇跡のリンゴとは

無農薬、無肥料という、
 いわゆる自然栽培によって作られたリンゴなのです

 
これはとある日本の農家が世界で初めて成功させるまでは、
 リンゴの自然栽培は不可能とされてきました。
 
そんな世界初の偉業を成し遂げたのが
 木村秋則さんです。

木村さんの自然との向き合い方、
 接し方が一貫していらっしゃいました。
その一貫した軸を持ち続ける
 方法や気持ちの持ち方について教えていただけますか?

いろんなことをよく観察する、
  ということでしょうか。
 当たり前のことが当たり前であるために、
  何がどう関わって成り立つのか、
  そういう視点で物事を見つめてみるんです。

 リンゴ畑で土とまみれ、
  風に吹かれながら、
  私はよく自然を観察します。

 すると、
  いろんな発見をします。

 たとえば、
  
害虫が大量に孵化してしばらくたつと、
 それを食べる虫が孵化する。

互いに食ったり食われたりの関係でありながら、
 それぞれ全滅もしない。
 
長いスパンで見ると、
 バランス良く落ち着くようになっているんです。

 
でも、
 私たちは一日、一カ月、一年という、
 自然の大きな流れに比べるとずっと小さなサイクルで物事をとらえがちです。

目先の欲にかられて、
 ゆったりとした目線をもてないのです。
人間が小手先で全体のバランスを崩すようなことをすると、
 そこに組み込まれている自分の存在も同時に危うくなると気づけないんですね。

人間は、
 どんなに踏ん張っても、
 自分の体にはリンゴの実一つも米粒一つもならせられません。
 
いくら力んだところでコップ一杯の水も出せない。
 土を掘っても、
 そこに水脈がなければ水は湧いてはこないんですから。
 
結局は、
 置かれた状況で自分がどのように周囲からのはたらきかけを受け、
 自分もまたどうはたらきかけていくかということを見つめる

コップ一杯の水を飲む時にも、
 その状況をあえて俯瞰して物事を観察する習慣をつけると、
 狭くなりがちな視野を広く保てるのかもしれませんね

私の実家が農家で、
 なおかつ山の中にあることもあり、
 人間の自然との接し方について、
 少し人間が傲慢になっているのではないか、
 人間が自然を管理してやっているという気持ちが強いのではないかと感じます。

木村さんはそう思われることはありますか? 

もしそうならば、
 どんな時ですか?

まさに、そう思います。
代表的なものが、
 現在の農業のあり方でしょう。

リンゴの慣行栽培では、
 通常、農薬を
 年に十数回も散布します。


その農薬は、
 直接肌にふれると皮がベロリとむけてしまうほど強い薬品です。
私はある時、
 人の皮膚と同じようなことが畑の土の中でも起こっているんじゃないかと思いました。
だって、
 木の根っこは、
 農薬を散布している時の私たちのように衣類などで覆われているわけじゃなくて、
 直接薬が触れるわけですから。

そこで、
 紆余曲折の末に、
 
畑の土を
 山の土のような
 自然の状態に戻しました。


雑草も生え放題です。
すると、
 リンゴの木から落ちた葉が草に絡まるので風で飛ばず、
 自然の堆肥となって木の養分となり、
 実を太らせるわけです。

山の木々は、
 だれも雑草を取ってくれませんよね。


けれど木々には毎年いろんな実がなり、
 山の生き物たちを生かしている。


その生き物の糞が、
 木々の養分になる。

自然では、
 すべてのものがつながり合って互いを生かし合うという、
 過不足なくバランスのとれたサイクルが完成しているじゃないですか。

また、
 自然栽培農法に慣れてきたリンゴの木は、
 自然治癒力が高まるんです。

葉に病気の菌がついても、
 そこにだけ養分が行かないようにして、
 病変部分だけが丸く抜け落ちてそれ以上広がらないようになるんです。

そうしたことを思うと、
 人間が『収穫量を上げよう』という欲から農薬や除草剤を散布する
 
実はそういうサイクルを壊しているように見えてきます。

人間はもっと自然に対して謙虚な“わきまえ”ある姿勢でそのサイクルの一部として参加する、
 というくらいの気持ちでいるのがいいと思います

高野山

およそ1200年前に、
 弘法大師によって開かれた、
 真言密教の修行道場であり、
 全国に広がる高野山真言宗の総本山です。

標高およそ900m。
山の上の盆地に、
 壇上伽藍と称する聖地があり、
 そこにはさまざまなお堂や塔が立ち並び、
 仏像や曼陀羅が参拝者を迎えます。

また、
うっそうと杉の樹の茂る奥の院には、
 太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、
 さまざまな人々のお墓が立ち並んでいます。

弘法大師

空海(くうかい)」(774~835)

弘法大師(こうぼうだいし)の名で知られる平安時代初期の僧

日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)とともに、
 旧来のいわゆる奈良仏教から新しい平安仏教へと、
 日本仏教が転換していく流れの劈頭に位置し、
 中国から真言密教をもたらした人物。

また、
能書家としても知られ、
 嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。
偏見邪執を離れる中道と言えるでしょう。



弘法大師・空海は、
 774年(宝亀5年)6月15日讃岐国(さぬきノくに、
 香川県)多度郡(たどノごおり)屏風浦(びょうぶがうら)の
 「善通寺(ぜんつうじ)」で生まれる

 父は郡司で、
  佐伯直田公(さえきノあたえたきみ)、善通(よしみち)、
 母は
  阿刀(あと)氏の出で、
  阿古屋(あこや)、玉依御前(たまよりごぜん)、
 兄二人は
  幼少に他界し、
  三男空海は幼少の頃から佐伯家(先祖は大伴氏の分家)の跡取として育てられ、
  幼名を真魚(まお)と云い、
  貴物(とうともの)と呼ばれました。

なお、
 6月15日は
 密経経典をセイロンから唐へ最初に伝えた真言密教付法第六祖
 「不空(ふくう)三蔵」が入滅した日で、
 空海は不空の生まれ変わりと云われています。

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