なはみむめも

故事成語

泣いて馬謖を斬る
 ないてばしょくをきる


蜀(しょく)の国の武将の馬謖(ばしょく)は
 宰相(さいしょう)の諸葛孔明(しょかつこうめい)の信頼が厚く、
 その命令を受けて、
 戦いに向かった。
しかし、
 諸葛孔明(しょかつこうめい)の戦争の指揮に従わなかったために、
 敵の魏(ぎ)の国に大敗をしてしまった。
諸葛孔明(しょかつこうめい)は、
 軍の規律が厳しいことを知らせるために、
 自分がかわいがり信頼していた馬謖を泣く泣く死刑にしたことから、
この語ができた。
  (一八史略)



背水の陣
 はいすいのじん


決死の覚悟で敵に立ち向かうこと全力をつくして、
 仕事などにあたること

「背水の陣(はいすいのじん)」とは、
 川や沼などを背(せ)にして陣ををつくること。
こうすることによって、
 後ろが川であるため、
 敵を前にしても逃げ場がないため、
 兵士が必死になって戦うようにし向けること。
漢(かん)の国の王の劉邦(りゅうほう)のもとに
 名将として名高い韓信(かんしん)という武将がいた。
この韓信(かんしん)が趙(ちょう)の国と戦ったときにこの方法を利用して、
 見事に勝利を収めたということから、
 この語ができた。
  (史記)

破天荒
 はてんこう


今までだれもできなかったようなことを、
 初めて成しとげること

「天荒(てんこう)」は天がまだ開けない状態にあることを言う。
唐(とう)の時代、荊州(けいしゅう)という地方からは
 役人の試験に合格した者はいなかったので、
 「天荒(てんこう)」と言われていた。
だから、
 劉蛻(りゅうぜい)と言う人の家の者が初めて合格した時、
 天荒(てんこう)だった状態を破ったとしてほめたたえたということから、
この語ができた。
   (北夢瑣言 ほくむきげん)


水は方円の器に随う
 みずはほうえんのうつわにしたがう


人は友人関係や周りの環境によって、
 善くも悪くもなる。

「方」は四角形を意味し、
 「円」は円形を意味する。
水は入れる器の形によって、
 四角形にも円形にもなる。
故事では、
 君主を器に、
 人民を水に例えて、
 君主によって人民が善くも悪くもなるということ表している。

韓非子[外儲説左上]


矛盾
 むじゅん


つじつまがあわないこと

楚(そ)の国に矛(ほこ)と盾(たて)を売り歩く者がいた。
その者が自分の矛(ほこ)と盾(たて)とをほめて、
 「私の矛(ほこ)はどんな固い盾(たて)でも突き通す。」
「私の盾(たて)は、
 堅固でどんな矛(ほこ)でも突き通せない」といって自慢(じまん)した。
そこで、
 ある人が、
 「おまえの矛(ほこ)でおまえの盾(たて)を突いたらどうなるのか。」とたずねた。
すると、
 この売り手は答えられなかったということから、
この語ができた。
  (韓非子 かんぴし)



明鏡止水
 めいきょうしすい


心にわだかまりがなく、
 ありのままに物事をとらえる心のこと落ち着いた心持ちのこと

「明鏡(めいきょう)」とはくもりのない鏡のこと。
「止水(しすい)」とは
 波の立たない静かな水面のこと。
どちらも、
 ありのままに姿や形を写し出すことができたことから、
この語ができた。
  (荘子 そうし)



孟母三遷の教え
 もうぼさんせんのおしえ


子どもの教育には、
 環境を選ぶことが大切であるということ
   
孟子(もうし)の母は、
 孟子(もうし)を育てる時に、
 三度も引っ越しをした。
はじめ墓地(ぼち)の近くに住んでいたが、
 孟子(もうし)が葬式(そうしき)のまねばかりするので、
町の市場の近くに引っ越した。
すると、
 今度は商売のまねばかりして遊ぶので、
 今度は学校の近くに引っ越した。
すると、
 孟子(もうし)はここでは生徒のまねをして、
 本を読んだり、
 文を書いたりして勉強をするようになったので、
やっと、
 ここを住居としたということから、
この語ができた。
    (列女伝 れつじょでん)


孟子(もうし)(紀元前372~紀元前289)
「性善説(せいぜんせつ)を唱え、
 人はみな善(ぜん)へ向かうものと説明した。
武力で人を支配しようとする政治を批判し、
 人への思いやりをもった王道政治(おうどうせいじ)を主張した。
もし、
 王が民衆の支持を受けなくなった時には、
 支持されている王に変わるべきであるという
 「易姓革命(えきせいかくめい)を唱えた。
50才のころ、
 弟子をつれて諸国を歩いてまわったが、
 この孟子(もうし)の理想は受け入れられなかった。

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故事成語

桃源
 とうげん


今住んでいる社会の悩みや心配ごとからはなれた
 別の天地のこと


晋(しん)の時代のこと。
武陵(ぶりょう)のある漁師が川をさかのぼっていくと、
 桃の花の咲く林に出た。
さらにさかのぼると、
 思いがけない別天地にたどり着いた。
そこには、
 戦争もなく、
 幸福にくらせる生活があった。
後日、
 もう一度、
 漁師はそこに行こうとしたが、
 とうとう見つからなかったという。
このことから、
 この語ができた。
  (桃花源記 とうかげんき)



登龍門
 とうりゅうもん


立身出世(りっしんしゅっせ)をするための関門のこと

黄河(こうが)の上流に龍門(りゅうもん)があり、
 ここをのぼることができた鯉(こい)は
 龍(りゅう)なることができたという伝説がある。
漢(かん)の国の李膺(りよう)はりっぱな役人で、
 彼の目にかなった者は
 立身出世(りっしんしゅっせ)を約束されたようなものだから、
 たとえの鯉(こい)が龍門(りゅうもん)をのぼったのと
 同じようなものだということから、
この語ができた。
  (後漢書  ごかんしょ)


蟷螂の斧
 とうろうのおの


力のない者が、
 自分の力量も考えずに
 力の強い者に立ち向かうこと。
むだな抵抗のこと。


「蟷螂」とは
 カマキリのこと。
カマキリがその前足を斧(おの)のように振り上げて、
 大きな車に襲(おそ)いかかろうとする様子から、
 この語ができた。
  (韓氏外伝 かんしがいでん)



虎の威を借る狐
 とらのいをかるきつね


力のある者や権力のある者の力を利用して、
 いばることのたとえ

   
虎(とら)が狐(きつね)をつかまえた。
狐(きつね)は
 「自分は天の神様からすべての動物の長になるように命令されているから、
 食べてはならない。
もし、
 信じられないのなら、
 私の後からついてきなさい。
動物たちは、
 私の姿を見れば、
 みんな逃げていきます。」
と言った。

動物たちは
 虎(とら)を見て逃げたが、
虎(とら)は、
 自分の姿を見て逃げたことに気がつかず、

狐(きつね)の言葉をまんまと信じてしまったことから、
 この語ができた。
  (戦国策)

たち

故事成語

大器晩成
 たいきばんせい


大人物は早くから目立たず、
 晩年(ばんねん…年をとること)になってから、
 大成(たいせい)したり、
 りっぱになったりするということ。

崔林(さいりん)はあまり目立たず、
 人々からはおろか者と言われていた。
しかし、
 いとこの崔えん(さいえん)という人だけは、
 「大きな鐘(かね)は、そうそう、やすやすとはできない。
   大きな才能もそれと同じで完成までに年月がかかる。」と言った。
崔林(さいりん)は成人すると、
 その才能をりっぱに開かせ、地位の高い人物になった。
 (老子 ろうし)


老子(ろうし)(?~?)
春秋時代(しゅんじゅうじだい)の思想家。
道家思想(どうけしそう)を起こした。
周(しゅう)の国の役人となる。
道徳や礼法(れいほう)を大切にしながらも、
 「無為自然(むいしぜん)」を重んじ、
 「自然のままの態度が本当の生き方である」
 という道家思想(どうけしそう)を唱えた。
この考え方は、
 後に荘子(そうし)にひきつがれた。


太公望
 たいこうぼう


つりをする人、
 つりの大好きな人

周の国の王の西伯(せいはく)が狩りに出かけ、
 つりをしている老人に出会った。
その老人を呂尚(ろしょう)といった。
呂尚(ろしょう)という老人と話をしているうちに、
 その老人の知識と徳の高さを知った西伯(せいはく)は、
 父の太公が、「やがて、りっぱな人物が現れて、
 この国は栄えるだろう。」
と言っていた人物こそが、
 この呂尚(ろしょう)だと思い、
 この呂尚(ろしょう)を先生とあおいで、尊敬した。
そして、
 この呂尚(ろしょう)を太公望(たいこうぼう)と呼んだ。
このことから、この語ができた。
  (史記)


太公望(たいこうぼう)(?~?)
本名を呂尚(ろしょう)という。
周(しゅう)の国の文王(ぶんおう)を助けて、
 殷(いん)の国を討ち周の国の天下を定めた。
後に斉(せい)の国を与えられ、
 斉の国の初代の王となる。



他山の石
 たざんのいし


他人の話しぶりや行動を、
 自分の成長のための参考として役に立たせること
 自分よりもおとったものでも、
  自分を向上させるのに役に立つということ

他の山からとれた石が自分の持っている玉(宝石)よりも、
 価値が低いものでも、
その石は、
 自分の持っている玉をみがく石として
 役に立てることができるということから、
この語ができた。
    (詩経)



蛇足
 だそく


必要のない物、
 あっても何の得にもならないもの

楚(そ)の国の人が数人が集まって、
 1つの酒の入ったつぼをもらった。
みんなでその酒を飲むと少ししか飲めないので、
 早く蛇(へび)の絵をかき上げた人が
 その酒をぜんぶ飲むことにした。
最初に蛇(へび)の絵をかき上げた者が、
 ひまになって蛇にはない足をつけ足してしまったため、
「その絵は、蛇の絵ではない。」と言われ、
2番目にかき上げた者にせっかくの酒を取られてしまったことから、
 この語ができた。
    (戦国策)



断腸の思い
 だんちょうのおもい


はらわた(小腸のこと)がちぎれるほどの大変つらい思い
 深い悲しみ

晋(しん)の国の桓温(かんおん)が船に乗って谷を過ぎる時に、
 その家臣が猿(さる)の子どもを捕まえた。
母親の猿(さる)が子どもを追って百里(ひゃくり)あまりもついてきたが、
 家臣はその子どもの猿(さる)を殺してしまった。
これを見た、
 母親の猿(さる)は泣きさけんで死んでしまった。
その腹をさいてみると、
 腸がちぎれていたことから、
 この語ができた。
 (世話新話 せわしんわ)


朝三暮四
 ちょうさんぼし


① うまいことを言って、人をだますこと
② 目先の違いに気をとられ、結果が同じことに気がつかないこと

宋(そう)の国の狙公(そこう)は、
 多くのさるを飼っていた。

ところが、
 食料が減ってきたので、
さるに
 あたえるえさのトチの実を減らそうと考えた。

狙公(そこう)は、
 さるが自分になつかなくなることを心配し、
まず、
さるに
 朝にトチの実を3つ、
 夕方にトチの実を4つやろうと持ちかけた。


すると、
 予想通り、
 さるは怒りだした
ので、

今度は
 朝に4つに
 夕方に3つやろうという
と、
 
さるは
 みんな頭を下げて喜んだ
ということから、

この語ができた。
 (列子)

しすせ

故事成語

水魚の交わり
 すいぎょのまじわり


たいへん親密な関係のこと

魚が水とは離れられないように、
 親しく交際すること..。 蜀(しょく)の
    
国の王の劉備(りゅうび)が
 自分と軍師(ぐんし)の諸葛孔明(しょかつこうめい)
 との交際をさしていった言葉。

 (蜀志 しょくし)



推敲
 すいこう


詩や文章などの語句を
 何度も練り(ねり)直し
 よりよいものにすること


唐(とう)の国の詩人賈島(かとう)は、
 自分の作品中の語句の「僧は推す(おす)月下の門」の一句を
 「僧は敲く(たたく)月下の門」にするべきか迷っていた。
ロバに乗って考えにふけっていた賈島(かとう)は、
 有名な詩人の韓愈(かんゆ)の行列につっこんでしまった。
韓愈(かんゆ)は、
 その非礼(ひれい)を怒るどころか、
 「敲く(たたく)」の方がよいと教えてくれたことから、
この語ができた。

(唐詩紀事 とうしきじ)



杜撰
 ずさん


詩文や書物の内容に誤りが多いこと。
物事がおおざっぱで、そまつなこと。


「杜」とは
 宋(そう)の国の杜黙(ともく)のこと。
「撰」とは、
 詩文を作ること。
杜黙(ともく)の作った詩は、
 その多くが詩の規則に合っていなかったという。
このことから、
 この語ができた。
 (野客叢書 やかくそうしょ)



折檻
 せっかん


主君をきびしくいさめること
きびしく叱る(しかる)こと

漢(かん)の国の皇帝の成帝(せいてい)のとき、
 朱雲(しゅうん)という家臣が
 上役の悪だくみを知り、
 成帝(せいてい)に何とかするようにといさめた。
成帝(せいてい)は
 たいへん怒り、
 朱雲(しゅうん)を御殿(ごてん)から引きずりおろそうとした。 
朱雲(しゅうん)は、
 欄檻(らんかん…てすり)につかまって必死に訴えた。
欄檻(らんかん…てすり)は折れ、
 地面に落とされても朱雲(しゅうん)は
 訴え続けたことから、
この語ができた。
  (漢書)



切磋琢磨
 せっさたくま


自分の持つ素質をさらに努力してみがくこと。
仲間同士がはげまし合ってお互いの向上をめざすこと


「切磋(せっさ)」とは
 角(つの)の細工(さいく)をするのに
 骨などを刀で切り、
 やすりでみがくこと。

「琢磨(たくま)」とは、
 宝石を打って形を整え、
 石などでみがきをかけること。

どちらも長期間をかけて、
 みがいてりっぱな作品に仕上げることから、
この語ができた。
 (詩経 しきょう)



千里眼
 せんりがん


遠い場所の出来事などを直感的に知る能力のこと。

魏(ぎ)の揚逸(よういつ)と言う人は、
 広い情報網をはりめぐらしていて、
 部下の行動をすべて心得ていた。
人々は揚逸(よういつ)が
 千里(せんり…とおくまで)もかなたのことまで
 見ぬく眼を持っていると言って恐れたという。
    (魏書 ぎしょ)

さし

故事成語

塞翁が馬
 さいおうがうま


人生の運・不運や幸・不幸は
 予測できないものだということ


国境のとりで(塞 さい)の近くに
 住んでいた老人(翁 おう)は
飼っている馬に逃げられるという
 不運にあったが、
やがてその馬が
 別のりっぱな馬をつれて帰ってくるという
 幸運となった。
ところが、
 今度はそのりっぱな馬に乗っていた老人の息子が
 馬から落ちて足の骨を折るという不運になった。
人々はその不運を同情したが、
 やがて今度は
 戦争が起こり若い人はみんな兵隊に連れて行かれ、
 死んでしまったのに、
老人の息子は
 骨折のおかげで戦争に行かずに助かるという幸運となった。
このことから、
 不運が幸運になったり、
 幸運が不運になったりするため、
 人生は予測できないというこの語が出来た。 

 
 (淮南子 えなんじ)

人間万事塞翁が馬
 (にんげんばんじさいおうがうま)ともいう。



先んずれば人を制す
 さきんずれば ひとをせいす


人の先手を打つことで、
 他人に勝つことができるということ
人よりも先に行動を起こせば、
 有利な立場に立つことができるということ


秦(しん)の国に対する反乱が起きた時、
 殷通(いんとう)と言う人が、
 自分の部下に「先んずれば即ち(すなわち)人を制し、
 後る(おくる)れば則ち(すなわち)人の制する所となる。」
 
(人よりも先に行動を起こせば
  人の先頭に立って指示を出せるが、
 人の後から行動を起こせば、
  人に指示され支配されることになる。)


と言った言葉からできた語。 
 (史記)



四面楚歌
 しめんそか


自分の周囲がみな敵であること

秦(しん)の国をほろぼした楚(そ)の国の項羽(こうう)が
 宿敵(しゅくてき)の漢(かん)の国の劉邦(りゅうほう)の軍に敗れて、
 包囲されている時に、
深夜になって、
 劉邦(りゅうほう)に味方する将軍の韓信(かんしん)が
 漢軍(かんぐん)に楚の国の歌を歌わせた。
それを聞いた楚(そ)の国の項羽は
 楚(そ)の国の兵が降伏してしまったと思い、
 絶望(ぜつぼう)してしまったことから、
この語ができた。




守株
 しゅしゅ


いつまでも古い習慣にこだわって、
 進歩がないこと


宋(そう)の国の農夫が偶然(ぐうぜん)にも
 田の中の切り株(かぶ)に衝突(しょうとつ)して
  死んだうさぎを拾った。
それ以来、
 彼ははたらくことをやめ、
また、
 うさぎがかかるのを待って株(かぶ)の番をしてくらし、
 みんなの笑い者になったという。

  (韓非子 かんぴし)



出藍の誉れ
 しゅつらんのほまれ


教えを受けた者が、
 教えた師(し…先生のこと)よりも優れていること


荀子(じゅんし)が
 学問の重要性を説明するために使った言葉からできた。
「学問は奥深く終わりがない。
 勉強をおこたらず、はげむことが大切だ。

 青は藍(あい)よりとりて藍(あい)よりも青く、

 氷は水よりつくりて水よりも冷たし。」

 青色の染料(せんりょう)は
  藍(あい)という草から作られるが、
  その色は
  藍(あい)という草の色よりもさらに青い。


 氷は水から作られるが、
  その水よりも冷たい。

 つまり、
  もとになった物よりも、
  それからできた物の方が優れている。
 このように学問も積み重ねよって、
  さらに発展するということ。
 (荀子 じゅんし)

荀子(じゅんし)(紀元前310~紀元前230)
 戦国時代(せんごくじだい)の思想家。
 孟子(もうし)の
  性善説(せいぜんせつ…人はみな善(ぜん)へ向かうという説明)に反対し、
  性悪説(せいあくせつ…人はそのままでいると悪の方へ向かうという説明)を唱えた。

だから、
 法律のようなルールで人をしばり、
 規範(きはん)を作らないといけないという、
 法治主義(ほうちしゅぎ)を唱えた。



助長
 じょちょう


援助して早く完成させようとして、
 かえって逆効果になり、害を与えること


孟子(もうし)が弟子(でし)に、
 ゆったりとした精神を育てるためには、
 心の成長にしたがって育ててゆくべきだとして、

このような話を弟子(でし)にした。

「宋(そう)の国の農夫が
 苗(なえ)の成長が遅いのを待ちきれず、
 茎をひっぱって伸ばしたために、
 みんな枯(か)れてしまった。」


このことから、この語ができた。
  (孟子)

孟子(もうし)(紀元前372~紀元前289)
「性善説(せいぜんせつ)を唱え、
 
人はみな善(ぜん)へ向かうものと説明した。

武力で人を支配しようとする政治を批判し、
 人への思いやりをもった
 王道政治(おうどうせいじ)を主張した。


もし、
 王が民衆の支持を受けなくなった時には、
 支持されている王に変わるべきであるという
 「易姓革命(えきせいかくめい)を唱えた。
50才のころ、
 弟子をつれて諸国を歩いてまわったが、
 
この孟子(もうし)の理想は
 受け入れられなかった。


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