江戸時代

■江戸時代

●関ヶ原の戦い
 □豊臣秀吉の死後、徳川家康の勢力がまし、
   豊臣方の石田三成は兵をあげてこれをほろぼそうとした。
 □1600年、全国の大名たちが豊臣方(西軍)と徳川方(東軍)に分かれて
   関ヶ原(岐阜県)で戦った。
  「天下分け目の戦い」といわれ、家康が勝った。

●徳川家康
 □三河(愛知県)の小さな大名だったが、
  織田信長の統一事業にしたがって手柄をたて、
  ついで豊臣秀吉にもつかえて重く用いられた。
 □関ヶ原の戦いに勝ち、
  1603年、征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開いた。
  以後の約260年間を江戸時代という。

●大阪の陣
 □江戸幕府がはじまってからも、
  大阪にいる豊臣秀頼に心を寄せる大名が多く、
  家康は徳川政権を確立させるため、豊臣氏をほろぼそうとした。
 □ 大阪冬の陣(1614年)、
  大阪夏の陣(1615年)の2回にわたって大阪城を攻め、豊臣氏をほろぼした。
 □ 徳川氏が完全に天下を平定し、
  戦乱の世は終わりをつげた。

●江戸幕府のしくみと幕藩体制
 □ 中央に老中・若年寄、寺社・町・勘定の三奉行などをおき、
  京都に京都所司代をおいた。
 □ 全国を幕府領と大名領に分け、将軍と大名が土地と人民を支配した。
  幕府領は、天領(直轄領)と旗本領をあわせ、全国の4分の1をしめた。
 □ 大名は、徳川将軍家との関係から、親藩・譜代・外様の三つに区分された。
  将軍直属の家臣として、旗本・御家人がいた。

●参勤交代
 □ 3代将軍徳川家光のとき、武家諸法度のなかに参勤交代の制度が定められた。
 □ 全国の大名を1年おきに江戸と領地に住まわせ、その妻子を江戸に住まわせた。
 □ 往復で大名行列が行われ、交通が発達し、文化が地方に広まった。

●士農工商
 □ 江戸時代初期に身分制度が整った。
 □ 武士をいちばん上の身分とし、順に百姓(農民)、
  町人(職人・商人)とするもの。さらに低い身分の者もおかれた。

●武家諸法度
 □ 1615年に、大名を取りしまるために定めた。
 □ 将軍の代替わりごとに発せられ、違反者はきびしく罰せられた。

●禁中並公家諸法度
 □ 幕府は、朝廷が大名と組んで政治力をふるうことを警戒し、
  1615年に禁中並公家諸法度を定め、天皇や公家の生活をこまかく制限した。

●郡代・代官
 □ 勘定奉行の下におかれ、郡代は大きな天領を、代官は小さな天領を支配した。

●朱印船貿易
 □ 徳川家康は、海外渡航を許可する朱印状を発行し、貿易を保護した。
 □ 九州の大名や角倉、茶屋、末吉などの京都・大阪の大商人が、
  東南アジアに朱印船を派遣した。

●日本町
 □ 朱印船の活動にともなって、東南アジアに移住する日本人がふえ、日本町ができた。
 □ 山田長政は、シャム(タイ)のアユタヤの日本町の長となり、国王にも重く用いられた。

●キリスト教の禁止
 □ 徳川家康は、貿易の利益を重くみて、
  はじめはキリスト教を認めたため、宣教師が多く来日し、
  キリシタンも増大した。
 □ オランダが、
  スペインやポルトガルが布教によって領土をうばうつもりであると告げ、
  幕府もキリシタンが団結して反抗するのをおそれた。
  そして、1612年、家康は直轄地でのキリスト教の禁止を命じた。

●踏み絵
 □ キリシタンを発見するため、キリストやマリアの像をふませた。

●海外渡航の禁止
 □ 幕府は、禁教を強めるとともに、貿易の統制をきびしくしていった。
  宣教師の密航や大名たちの経済力が強まることを警戒したもの。
 □ 3代将軍徳川家光のときの1635年、日本人の海外渡航と帰国を禁止した。

●島原の乱
 □ 1637年、九州の島原(長崎県)・天草(熊本県)地方の農民が、領主の圧政に対し反乱を起こした。
 □ 16歳の天草四郎を頭(かしら)とし、原城にたてこもったが、翌年、幕府軍にしずめられた。

●鎖国
 □ 幕府は島原の乱が起こったことから、
  ますますキリスト教を警戒し、
  3代将軍家光は、1639年、ポルトガル船の来航を禁止して、鎖国を完成させた。
 □ ついで1641年、オランダ商館を平戸から長崎の出島に移し、オランダ人を出島にとじこめた。
 □ 鎖国後の貿易は、オランダと中国の2国になった。
 □ 鎖国により、江戸幕府の封建支配が確立、平和が続き、
  独自の文化が発達したが、海外への発展が停止し、国際的視野が失われ、近代化がおくれた。

●寺受制度(宗門改め)
 □ すべての人を、檀家(だんか)としていずれかの寺に所属させ、
  宗門人別改帳に登録して、キリシタンでないことを証明させた。

●慶安の御触書
 □ 1649年、3代将軍徳川家光が、農民に生活の心構えを示した法令。
 □ 32か条からなり、日常生活から農業生産のことまで、細かな注意が書かれている。

●五人組
 □ 村は、だいたい数十戸からなっていたが、
  幕府や藩は、5戸ぐらいを1組とする五人組をつくらせ、
  年貢の納入や防犯、キリスト教の禁止などに共同責任をおわせた。

●年貢
 □ 検地帳に登録された農民(本百姓)は、領主に年貢を納める義務があった。
 □ 年貢は米で納めるのが原則で、収穫高の4割前後(四公六民)、
 5割前後(五公五民)など、藩によって、年によってちがいがあった。

●助郷役
 □ 参勤交代などで、街道の宿場の近くの村々が人足や馬を負担すること。
 □ 助郷役は農民の重い負担となり、しばしば反対の一揆が起こった。

●農村のしくみと生活
 □ 農業技術の進歩・・・備中ぐわ、千歯こき、千石どおしなどの農具の発達と、油かす、ほしかなどの肥料。
 □ 農村のしくみ・・・有力な本百姓から名主(庄屋)、組頭、百姓代などの村役人を選ばせた。
 □ 本百姓と水呑百姓・・・本百姓は地主・自作農で、年貢を納めた。水呑百姓は土地を持たない小作人で、検地帳には記載されなかった。

●玉川上水・箱根用水
 □ 玉川上水・・・17世紀半ば、玉川庄右衛門・清右衛門兄弟が、多摩川の水を江戸に引いた。
 □ 箱根用水・・・17世紀後半、箱根の芦ノ湖の水を、富士山麓の深良村へトンネルで引いた。

●三都
 □ 江戸・・・「将軍のおひざもと」として発達。18世紀の中ごろの人口は100万人をこえていた
  (当時では世界最大)。
 □ 大阪・・・「天下の台所」とよばれ、全国の大名が蔵屋敷をたて、
  全国の物資が集まる経済都市としてさかえた。
 □ 京都・・・朝廷があり、古い歴史と文化、工芸(西陣織など)が発達していた。

●五街道
 □ 江戸を起点に、五つの幹線道路(五街道)がととのえられた。
  →東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道
 □ 街道ぞいに、宿場・一里塚がもうけられた。

●関所
 □ 交通の要所におき、通る人を通行手形によってきびしく取りしまった。・・・「入り鉄砲に出女」

●商業の発達
 □ 幕府や藩は、年貢米を貨幣にかえて商品を買ったので、貨幣経済が発達した。
 □ さまざまな商人が生まれ、武士や町人、農民までも貨幣なしには暮らせなくなった。
 □ 両替商・・・貨幣の交換、預金や貸しつけなど、現在の銀行のようなしごと(金融業)を行った。
 □ 大商人の台頭・・・紀伊の紀国屋文左衛門、伊勢の三井高利など。
 □ 株仲間・・・幕府や藩が許可した、大商人や手工業業者の同業組合。

●蔵屋敷
 □ 各藩が、年貢米その他の物産を売りさばくためにもうけた倉庫および取引所で、大阪に最も多かった。
 □ 蔵元や掛屋が管理し、売りさばいた。

●札差
 □ 江戸の商人で、大阪の蔵元・掛屋にあたるもの。旗本・御家人の米(俸禄米)を、
  手数料をもらって売りさばいた。
 □ 米を担保に、旗本・御家人に金融を行った。

●工業の発達
 □ 家内工業・・・職人や農家の副業としてすすめられた。
 □ やがて、問屋制家内工業や工場制手工業(マニュファクチュア)の様式を取り入れるようになった。

●海上交通の発達
 □ 東北や裏日本の米を江戸や大阪に運ぶ必要から、東回り航路と西回り航路が開かれた。
 □ 江戸と大阪を結ぶ航路はとくにたいせつで、菱垣廻船や樽廻船などの定期船が行き来した。

●徳川綱吉
 □ 5代将軍で、学問を好み、朱子学の精神にもとづく規律ある政治(文治政治)を行った。
 □ 孔子をまつる聖堂を湯島に移した(湯島の聖堂)。
  のち、昌平坂学問所として幕府の学問の中心となった。
 □ 仏教への厚かったが、ゆきすぎた信仰から、
  生類憐れみの令を出して、きょくたんな動物愛護を人々におしつけた。
 □ 財政悪化により貨幣の質を悪くしてきりぬけようとしたが、かえって経済を混乱させた。

●新井白石
 □ 朱子学者で、6代・7代将軍につかえ、政治改革(正徳の治)を行った。
 □ 生類憐れみの令をやめ、貨幣の質をよくし、幕府の制度や儀式を簡略化、
  長崎貿易の貿易額を制限し金銀の海外流出をふせいだ。

●元禄文化
 □ 17世紀末~18世紀はじめの徳川綱吉の時代、
  上方(大阪・京都)を中心に明るく活気にみちた町人文化がさかえた。
 □ ・浮世草子・・・井原西鶴(日本永代蔵)
  ・俳諧・・・松尾芭蕉(奥の細道)
  ・浮世絵・・・菱川師宣(見返美人図)
  ・浄瑠璃・・・近松門左衛門(曾根崎心中)

●朱子学
 □ 鎌倉時代に伝来した儒学の一派。林羅山が徳川家康に登用され、幕府の学問(官学)として保護された。
 □ 身分秩序を重んじたので、封建体制を守るのに都合よかった。

●国学
 □ 日本の古典を研究し、日本古来の考え方を究明する学問。江戸中期以降に発達した。
 □ 本居宣長が「古事記伝」を書き、国学を大成した。
 □ 幕末の尊皇攘夷論に影響をあたえた。

●蘭学
 □ オランダ語を通じて学ばれたヨーロッパの学問や文化。
  8代将軍徳川吉宗が、キリスト教に関係のない洋書の輸入を許可した。
 □ 関孝和・・・数学(和算)
  杉田玄白・前野良沢・・・「解体新書」
  平賀源内・・・エレキテル
  伊能忠敬・・・「大日本沿海輿地全図」

●寺子屋
 □ 農民や町民の子の教育施設。僧や浪人などが、読み・書き・そろばんなどを教えた。

●大日本史
 □ 水戸藩主の徳川光圀が編集した歴史書。尊王を基本にし、幕末の尊王論に影響をあたえた。

●川柳・狂歌
 □ 川柳・・・俳句の形式で、世相や人情をこっけい、皮肉に表現したもの。
 □ 狂歌・・・和歌の形式で、世相を風刺したもの。

●享保の改革
 □ 貨幣経済がすすむと、幕府の財政が悪化し、
  旗本や御家人たちへの俸禄米も十分に払えないほどになっていた。
  8代将軍徳川吉宗は、この幕府財政のたてなおしに全力をあげ、
  さまざまな改革を行った(享保の改革)。
 □ 武断政治へのきりかえ・・・武芸と質素・倹約をしょうれい。
 □ ・目安箱の設置・・・人々に意見を投書させた。
  ・公事方御定書・・・裁判の公平をはかった。
  ・上米の制・・・大名に米を献上させた。
  ・新田開発・・・・五公五民に。青木昆陽にさつまいもを研究させた。
 ・足高の制・・・人材の登用。
 □ (結果)財政の再建に一時的に成果を上げたが、きょくたんな増税で、
  民衆の不満は高まり、百姓一揆が増加した。

●百姓一揆・打ちこわし
 □ 百姓一揆・・・農民が年貢の軽減や村役人の不正などをうったえて、集団で領主に反抗した。
 □ 打ちこわし・・・都市部で、町人や農民が集団で米屋や大商人をおそい、家屋や家財を破壊した。
 
●田沼意次
 □ 9、10代将軍の老中となり、子の意知とともに政治の実験をにぎった(田沼時代)。
 □ 商業資本を積極的に利用し、利根川下流の干拓、蝦夷地開発、
  長崎貿易の新興、株仲間の奨励など、産業の発展につとめた。
 □ わいろ政治が批判を浴び、天明のききんなどの天災があいつぎ、失脚した。

●寛政の改革
 □ 田沼意次がしりぞけられると、徳川吉宗の孫で白河藩主の松平定信が老中にむかえられた。
 □ 享保の改革にならい、質素倹約と文武を奨励した。
 □ ・寛政異学の禁・・・朱子学以外を禁止。
  ・棄捐令・・・武士の借金を帳消し。
  ・囲い米の制・・・ききんに備え、領主に米を貯蔵させた。
 □ (結果)あまりにきびしく急だったので、反感を買い、6年間で失職させられた。

●化政文化
 □ 元禄時代にさかえた町人文化は、11代将軍徳川家斉の時代(19世紀前半)に、
  江戸を中心として全盛期をむかえた。
 □ 小説・・・十返舎一九(東海道中膝栗毛)
  俳諧・・・与謝蕪村、小林一茶
  浮世絵・・・喜多川歌麿、葛飾北斎(富嶽三十六景)、安藤(歌川)広重(東海道五十三次)

●大塩平八郎の乱
 □ 1837年、元幕府の役人で陽明学者の大塩平八郎が、同志の人々約300人とともに、
  ききんで苦しむ人々を救うよう幕府にせまる乱を大阪で起こした。
 □ 乱は半日で鎮圧され、大塩は自殺したが、幕府や社会にあたえた影響はひじょうに大きかった。

●天保の改革
 □ 老中水野忠邦が、享保・寛政の改革にならって、質素・倹約を奨励し改革を行った。
 □ ・株仲間の解散・・・米や諸物価を下げるため。
  ・人返し令・・・農民が都市に行くことを禁じ、すでに出かせぎにきている者を強制的に村へ返し、
   田畑の荒廃をふせいだ。
  ・上知令・・・江戸・大阪周辺の大名領などを、幕府の直轄領にしようとした。
 □ (結果)きびしすぎて猛反対にあい、2年余りで失脚した。

●外国船の接近
 □ 18世紀後半にはいると、ロシア・イギリス・アメリカの船が、通商を求めてやってくるようになった。
 □ 幕府は沿岸の警備を強め、1825年に異国船打払令を出し、清・オランダ以外の外国船を撃退するように命じた。
 □ 幕府は、外国船に備えるため、近藤重蔵に千島、間宮林蔵に樺太を探検させた。
  また、伊能忠敬は蝦夷地(北海道)を測量した。

●蛮社の獄
 □ 1837年、日本人の漂流民を助けたアメリカの商船モリソン号が浦賀に来航した際、
  幕府は砲撃して追い返した。
 □ 1839年、幕府の態度を批判した渡辺崋山や高野長英らが罰せられた。

●アヘン戦争
 □ 1842年、アヘン戦争で中国(清)がイギリスに敗れた後、幕府は異国船打払令をゆるめた。

●ペリーの来航
 □ 1853年、アメリカの東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦4せきをひきいて浦賀(神奈川県)に来航。
 □ 幕府に国書を提出して、日本の開国を強く求めたが、
  幕府は翌年に回答することを約束して、ひとまずペリーを帰らせた。

●日米和親条約
 □ 1854年、ペリーが再び来航し、幕府に強く回答を求めた。
  幕府はやむなく日米和親条約を結び、下田(静岡県)・函館(北海道)を開港した。
 □ これによって、約200年間の鎖国が終わった。

●日米修好通商条約
 □ 1858年、大老の井伊直弼とアメリカ総領事ハリスが日米修好通商条約を結び、
  函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫の5港を開いた(下田は閉鎖)。
 □ アメリカの治外法権を認め、日本に関税自主権のない不平等な条約だった。
 □ つづいて、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同じような修好通商条約を結んだ
  (安政の5カ国条約)。

●安政の大獄と桜田門外の変
 □ 井伊直弼は、幕府の政治を批判した吉田松陰・橋本左内らを罰した(安政の大獄)。
 □ しかし、これは反対派をますます刺激し、
  直弼は1860年に江戸城の桜田門外で水戸藩士によって暗殺された暗殺された(桜田門外の変)。

●尊王攘夷運動  
 □ 社会不安がつづくなかで、開国した幕府や外国に対する不満が高まり、
  朝廷(天皇)を尊ぶ考えをもつ尊王論と、
  外国を追いはらおうとする攘夷論が結びついた尊王攘夷論がおこってきた。
 □ 尊王攘夷論は倒幕運動に発展し、薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)は、
  元土佐藩(高知県)の坂本竜馬の仲立ちで薩長同盟を結び、倒幕の動きを強めた。

●大政奉還
 □ 1867年、15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権返上(大政奉還)を申し出、朝廷はこれを受け入れた。
 □ 265年間つづいた江戸幕府はほろび、鎌倉幕府から670年あまりにわたった武家政治も終わりをつげた。
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【江戸時代】

【江戸時代】

●関ヶ原の戦い
 1600年、豊臣政権の前途(ぜんと)を憂(うれ)えた石田三成ら西軍が徳川家康の東軍と戦って敗北した戦い。これにより徳川家康は全国支配の実権をにぎった。「天下分け目の戦い」と呼ばれる。
 
●大阪の陣
 徳川家康が、豊臣氏を滅ぼした戦い。方広寺の鐘銘(しょうめい)問題で、1614年冬の陣が起こり、和議を結んだがすぐ破れ、翌1615年夏の陣で淀君と秀頼の母子が自殺して終わる。
 
●老中
 江戸幕府で、将軍の補佐(ほさ)役として政治の全体をみる最高職。4~5名で、2万5千石以上の譜代城主から選任された。若年寄が補佐した。
 
●大老
 とくに重要なことがあったときに、老中の上に置かれた臨時(りんじ)の最高職。
 
●天領
 江戸幕府が直接支配した土地。幕府の大名改易などで増加し、元禄年間に約400万石になった。
 
●外様大名
 関ヶ原の戦いの後に徳川氏の家来となった大名。石高は大きいが、要職につけず、江戸から遠い地域に配置された。金沢(石川県)の前田氏、鹿児島の島津氏、仙台の伊達氏などがその代表。
 
●旗本・御家人
 江戸時代の将軍直属の家臣(かしん)で、禄高1万石未満の家臣で、将軍に目通りできる身分を旗本(はたもと)、目通りできない身分を御家人という。旗本と御家人をあわせて直参(じきさん)とよんだ。幕府の役職について、江戸城の警備(けいび)、将軍の護衛(ごえい)にあたった。
 
●武家諸法度
 1615年、大名を取り締まるために出された法律。3代将軍家光のときに整備され、1635年、参勤交代の制度などがつけ加えられた。
 
●禁中並公家諸法度
 1615年に、朝廷・公家を統制するために出された法律。幕府は、表面上は朝廷に尊敬の態度を示したが、朝廷が大名と結んで政治力をふるうことを警戒(けいかい)し、天皇や公家の生活をこまかく制限した。
 
●参勤交代
 3代将軍家光のときに武家諸法度に加えられた制度。大名の妻子を江戸に住まわせ、大名は1年おきに江戸と領国を往復させた。華美(かび)な大名行列や江戸の藩邸(はんてい)の経費は、大名の財政を苦しくさせたが、江戸や宿駅の発展をもたらした。
 
●士農工商
 武士(士)・農民(農)・職人(工)・商人(商)に分けられた江戸時代の身分制度。
 
●五人組
 村人が互いに助け合うために5軒の家を1組の単位とした制度。年貢を納めたり、防犯(ぼうはん)に対しての共同責任を負わせた。
 
●慶安の御触書
 1649年、3代将軍家光のときに出された農民の統制を目的とした法律。年貢を確保するため、「酒や茶を飲んではいけない」など、農民の生活を細かく規制している。
 
●島原の乱
 1637年、九州の島原・天草地方で重い年貢とキリスト教の取り締まりに苦しむ農民が、天草四郎をかしらに起こした一揆(いっき)。3万8千人の農民が原城跡にこもり抵抗(ていこう)したが、幕府は12万人を動員して半年の包囲(ほうい)で落城させた。島原・天草一揆とも呼ばれ、この後、幕府のキリスト教禁止は強化された。
 
●鎖国
 キリスト教禁止と貿易の統制を目的に、外国船来航を制限した江戸幕府の政策。1639年のポルトガル船の来航を禁止した鎖国令で完成し、その後、オランダと中国だけが長崎で貿易を許された。
 
●踏絵
 キリスト教徒かどうかを調べるために、キリストやマリアなどの像を踏(ふ)ませた政策。九州北部を中心に実施(じっし)された。
 
●備中ぐわ
 江戸時代に発明された、深く耕すことができる農具。生産性が向上した。
 
●千歯こき
 江戸時代に発明された脱穀(だっこく)のための農具。それまでのこき箸(はし)に代わり能率が倍増した。
 
●ほしか
 イワシやニシンを日干(ひぼ)しにした肥料。元禄時代前後から用いられるようになった。
 
●蔵元
 江戸時代に、各藩の年貢米をお金にかえるために、大阪や江戸に設けられた蔵屋敷の品物をあつかう商人。
 
●株仲間
 商人や手工業者がつくった同業者の組合。幕府や大名に税金(冥加金)をおさめて営業独占の保護を受けた。天保の改革で一時解散させられた。
 
●両替商
 現在の銀行のような仕事を行う江戸時代の金融(きんゆう)業者。
 
●五街道
 江戸の日本橋を起点とした幹線道路で、東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道の5つ。街道には宿場が置かれ、要所には関所が置かれた。
 
●朱子学
 儒教の中でも、身分の上下による社会秩序を重んじる学問。幕府の学問として保護され、5代将軍綱吉のころ幕府の官学となった。
 
●国学
 日本の古典を研究し、古来の日本人の考えを明らかにしようとする学問。『古事記伝』を著した本居宣長が大成した。
 
●『解体新書』
 前野良沢と杉田玄白が、オランダ語の解剖書(かいぼうしょ)『ターヘル=アナトミア』を翻訳(ほんやく)したもの。玄白の『蘭学事始』はその苦心談。
 
●寺子屋
 庶民(しょみん)教育の施設。僧・武士などが町民や農民の子どもを集めて、読み・書き・そろばんなどを教えた。すでに室町時代から寺院の僧が民衆の子弟(してい)の教育にあたることが始まり、寺子屋の名がおこった。
 
●元禄文化
 17世紀末~18世紀初め、5代将軍綱吉のころに栄えた文化。京都・大阪の上方を中心とした明るく活気にみちた町人文化。
 
●化政文化
 18世紀末~19世紀初め、11代将軍家斉のころ、江戸を中心に栄えた町人文化。
 
●浮世絵
 庶民(しょみん)の生活や役者などを題材とした風俗(ふうぞく)画。元禄の初め、菱川師宣によって確立され、18世紀ごろ、錦絵と呼ばれる多色刷りの版画がつくられるようになり、全盛期をむかえた。
 
●生類憐れみの令
 5代将軍綱吉が出した、動物、とくに犬を大切にすることを命じたもの。
 
●正徳の治
 6代家宣、7代家継治世下で行った新井白石の文治政治。貨幣(かへい)の質をよくしたり、長崎貿易の貿易額を制限して金・銀の海外流出を防いだ。
 
●享保の改革
 8代将軍徳川吉宗が、1716年から行った政治改革。将軍専制体制を確立し、倹約(けんやく)・新田開発・増税などによる財政の再建、都市商業資本の支配統制に努め、目安箱で人々の意見を聞き、公事方御定書を制定するなどした。
 
●上げ米の制
 1722年、財政立て直しのため、大名から1万石につき、100石の米を取りたて、そのかわりに参勤交代で江戸に住む期間を半年にした。
 
●寛政の改革
 老中松平定信が1787年から行った改革。旗本たちの借金を帳消しにし、質素倹約をすすめ、寛政異学の禁で幕府学問所では朱子学以外の学問を禁じた。
 
●大塩平八郎の乱
 1837年、ききんで苦しんでいる人を救うため、大阪町奉行所の役人だった大塩平八郎が大阪で起こした乱。乱は半日で鎮圧(ちんあつ)されたが、各地に一揆を誘発(ゆうはつ)した。
 
●天保の改革
 老中水野忠邦が1841年から行った改革。風紀粛正(ふうきしゅくせい)、株仲間の解散などを行った。
 
●百姓一揆
 生活に苦しむ農民が、年貢の軽減などを求めて、集団で領主や代官に反抗したこと。18世紀ごろからとくに増加した。
 
●打ちこわし
 生活に苦しむ都市の町人たちが、集団で米屋や大商人などをおそったこと。
 
●蛮社の獄
 1839年、幕府の鎖国政策を批判した渡辺崋山・高野長英らの蘭学者を処罰(しょばつ)した事件。
 
●尊皇攘夷論
 尊王論(天皇を崇拝する思想)と攘夷論(外国人を排斥する思想)が、幕藩体制の動揺(どうよう)と外国からの圧迫(あっぱく)という危機に際して結合し広まった政治思想。幕末期に、長州(ちょうしゅう)藩の下級武士を中心とした尊王攘夷派は、これを討幕(とうばく)運動に発展させて明治維新を導(みちび)いた。
 
●日米和親条約
 1854年、アメリカ合衆国との間で結ばれた条約。下田(しもだ)・函館(はこだて)を開港し、アメリカ船に燃料や水・食料などを与えることを約束した。これにより鎖国は終わった。
 
●日米修好通商条約
 1858年、大老井伊直弼とアメリカ総領事ハリスの間で結ばれた条約。5港を開いて貿易を開始したが、治外法権を認め、関税自主権がない不平等な条約だった。
 
●安政の大獄
 井伊直弼が天皇の許可を得ないで条約を結んだことなどに反対する、吉田松陰・橋本左内らの反対派を処罰した事件。
 
●桜田門外の変
 安政の大獄に憤激(ふんげき)した水戸藩浪士らが、江戸城桜田門へ登城中の大老井伊直弼を暗殺した事件。これにより幕府の権威(けんい)は失墜(しっつい)した。
 
●生麦事件
 1862年に武蔵(むさし)国の生麦(なまむぎ)村(横浜市鶴見区)で薩摩(さつま)藩士がイギリス人を殺傷(さっしょう)した事件。
 島津久光一行が江戸から帰る途中、行列の前を騎馬(きば)で横切ったイギリス人4人の非礼をとがめ、3人を殺傷した。イギリスは薩摩藩に賠償金(ばいしょうきん)と下手人の処刑を求めたが、薩摩藩はこれに応じなかった。
 
●薩英戦争
 生麦事件に対する報復(ほうふく)として、1863年、イギリス艦隊が鹿児島を砲撃(ほうげき)した戦い。薩摩が敗れ、外国の実力を知る結果となった。
 
●薩長連合
 1866年、倒幕の2大勢力だった薩摩藩と長州藩が、土佐(とさ)藩出身の坂本竜馬のなかだちで手を結んだこと。
 
●大政奉還
 1867年、土佐藩の前藩主・山内豊信のすすめで、15代将軍慶喜が、政権を天皇に返したこと。
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