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安土桃山時代

■安土桃山時代

●安土桃山時代
 □ 織田信長から豊臣秀吉にかけての約30年間。
  信長が築いた安土城と、秀吉が京都の桃山に築いた伏見城に由来する。

●織田信長
 □ 尾張(愛知県)の戦国大名。
  1560年、桶狭間の戦いで今川義元をたおし、「天下布武」の印を用いて天下統一の業をすすめた。
 □ 1573年、将軍足利義昭を京都から追放して室町幕府をほろぼし、近畿を平定した。
 □ 1575年、徳川家康と結び長篠の戦いで武田勝頼をやぶった。
  足軽の鉄砲隊により、武田氏の騎馬隊をやぶった。
 □ 安土城を築き、交通を整備し関所を廃止し、楽市・楽座令を出して商工業の発展をはかった。
 □ 1582年、家来の明智光秀にそむかれて本能寺の変で自害した。

●延暦寺焼き打ち
 □ 1571年、信長が浅井・朝倉氏と結んで、
  敵対する延暦寺を焼き打ちし、寺社勢力の最大拠点に大打撃を加えた。

●石山本願寺攻め
 □ 一向宗の信者は、しばしば一向一揆をおこして信長と敵対した。
  1580年、信長は、一向宗の総本山・石山本願寺を攻めてしたがえた。

●豊臣秀吉
 □ 本能寺の変後、山崎の戦いで明智光秀をたおし、織田信長の後継者となった。
 □ 大阪城を築き、関白・太政大臣となった。
 □ 1590年、北条氏(小田原)をほろぼし、東北の伊達氏をしたがえて、全国統一を完成した。

●太閤検地
 □ 秀吉が、土地と農民を支配するために全国的に行った検地。これによって荘園制がなくなった。
 □ 長さ・面積・量の単位を統一し、土地を収穫高(石高)で表し、耕作者を検地帳に登録した。
 □ 太閤・・・関白をやめたあとの尊称。

●刀狩り
 □ 秀吉は、1588年、刀狩令を出して、農民から武器を取りあげた。
  農民の一揆を防ぎ、耕作に専念させようとしたもの。
 □ 太閤検地と刀狩りによって、農民と武士の身分がはっきり区分された(兵農分離)。

●朝鮮出兵
 □ 秀吉は、中国の明を征服しようと、朝鮮に案内を求めたが拒否された。
 □ 1592年の文禄の役、1597年の慶長の役の2度にわたり出兵、苦戦したが、
  秀吉が病死したので兵を引きあげた。

●朱印船貿易
 □ 秀吉は、南蛮貿易を保護し、商人に許可証として朱印状をあたえた。

●宣教師の国外追放
 □ はじめはキリスト教を保護していた秀吉は、九州平定のとき、
  長崎が教会領になっていることを知り、
  国内統一のさまたげになると考え、1587年に宣教師の国外追放を命じた。

●桃山文化
 □ 大名・大商人による雄大ではなやかな文化。南
   蛮文化の影響もあり、仏教の影響がうすれた。
 □ ・建築・・・安土城・大阪城・伏見城・姫路城、天守閣
 □ ・絵画・・・狩野永徳・狩野山楽らによる障壁画
 □ ・茶道・・・千利休
 □ ・芸能・・・出雲の阿国による歌舞伎踊り

●聚楽第
 □ 豊臣秀吉が京都に建てた城郭風の邸宅。ここに諸大名を集めて、忠誠をちかわせた。
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【安土桃山時代】

【安土桃山時代】

●鉄砲
 1543年、ポルトガル船が種子島に漂着(ひょうちゃく)し、わが国に伝えられた。やがて九州・堺・紀伊根来(きいねごろ)・雑賀(さいが)・近江国友(おうみくにとも)などの鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)により製造され普及(ふきゅう)した。鉄砲伝来は、わが国の戦術や築城法に変化を与えた。
 
●キリスト教
 1549年、スペインの宣教師フランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教を伝えた。
 
●南蛮貿易
 ポルトガル・スペインの商船(南蛮船)による貿易。生糸・鉄砲・火薬・ガラスなどを輸入し、銀・刀剣・海産物・漆器(しっき)などを輸出した。
 
●桶狭間の戦い
 1560年、織田信長が今川義元を破った戦い。
 
●長篠の戦い
 1575年、織田信長が徳川家康と連合して、甲斐(かい)(山梨県)の武田勝頼を破った戦い。馬防柵を組んだ足軽(あしがる)鉄砲隊が活躍(かつやく)した戦いとして有名。
 
●本能寺の変
 1582年、織田信長が京都の本能寺で、家臣の明智光秀にせめられ自害した事件。
 
●山崎の戦い
 1582年、豊臣秀吉が明智光秀を山城(やましろ)の山崎天王山で破り、後に織田信長の後継者の地位を確立した戦い。
 
●楽市・楽座
 商工業の利益を独占(どくせん)していた座(ざ)を廃止し、だれでも自由に取引ができるようにした命令。織田信長が安土(あづち)で出した。
 
●大阪城
 豊臣秀吉が、1583年に築いた城。秀吉はここを本拠地として全国統一を進めた。
 
●太閤検地
 豊臣秀吉が全国的に行った検地。田畑の面積・収穫高や土地の持ち主などを調べて検地帳に登録し、年貢を取り立てるもとにした。これによって農民は土地にしばられた。
 
●刀狩
 1588年、豊臣秀吉が、一揆などの反抗を防ぐため、農民から武器を没収(ぼっしゅう)した政策。刀狩と太閤検地によって、武士と農民の区別がはっきりと決まった。
 
●バテレン追放令
 1587年、豊臣秀吉が出した、キリスト教禁止、宣教師の国外退去の命令。ただし、貿易は従来どおり奨励(しょうれい)したので、実効は少なかった。
 
●朱印船貿易
 商人に朱印状という許可書を与えて行われた、東南アジアとの貿易。これによって、東アジア各地に日本町が栄えた。
 
●朝鮮出兵
 明の征服をくわだてた豊臣秀吉が、朝鮮に明への先導を求めたが拒否(きょひ)されたため出兵した。文禄の役(1592年)・慶長の役(1597年)の2回行われたが、秀吉の死により兵を引きあげた。
 
●桃山文化
 16世紀末~17世紀初頭の、新興の大名や大商人の気風と南蛮文化の影響を受けた、豪華で力強い文化。
 
●歌舞伎踊り
 出雲(いずも)の阿国が始めた踊りで、のちの歌舞伎のもとになった。
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