スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

飛鳥~白鳳時代

■飛鳥~白鳳時代

●聖徳太子
□ 593年、おばの推古天皇の摂政となり、
 蘇我馬子と協力して天皇中心の政治をめざした。
□ 十七条の憲法・冠位十二階を制定し、遣隋使を送り、仏教をあつく保護した。
●摂政
□ 天皇が幼いときや女性のとき(女帝)などに、
 天皇に代わって政治を行う役。聖徳太子がはじめてなった。
●冠位十二階
□ 聖徳太子は、603年、冠位十二階を定め、
 役人にその位によって12に分けた冠位をあたえた。
□ 家がらに関係なく、才能や手がらのある人を朝廷の役人にとりたてようとした。
●十七条の憲法
□ 聖徳太子は、604年、十七条の憲法をつくり、朝廷につかえる役人の心がまえを示した。
□ 和の尊重、仏教の重視などにより、天皇中心のしくみを整えようとした。
●遣隋使
□ 聖徳太子は、607年、隋の進んだ政治や文化を取り入れるために、小野妹子らをつかわした。
□ 隋と対等な国交を開こうとした。
●蘇我氏
□ 大臣として財政をつかさどり、大連の物部氏と対立して勝利した。
□ 蘇我馬子・蝦夷・入鹿の3代が活躍した。
●法隆寺
□ 聖徳太子が、奈良盆地の北西部の斑鳩の地に建てた、現存する世界最古の木造建築。
□ 金堂・五重塔・講堂などの建物があるが、金堂の柱は中央がふくらみ、
 エンタシスというギリシアの建築様式を取り入れたもの。
●飛鳥文化
□ 6世紀末~7世紀前半に、飛鳥地方(奈良県)を中心に栄えた最初の仏教文化。
 多くの寺院や仏像がつくられた。
□ 中国、ギリシア、ペルシア、インドなどの影響をうけた国際的な文化。
□ 寺院・・・法隆寺、四天王寺、飛鳥寺
仏像・・・釈迦三尊像、百済観音像、弥勒菩薩像
工芸・・・玉虫厨子
●中国と朝鮮の動き
□ 隋・・・589年に中国統一。
□ 新羅・・・日本が支配していた加羅(任那)をほろぼした。
●大化の改新
□ 聖徳太子の死後、朝廷では蘇我氏が権勢をふるった。
□ 645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが、
 蘇我蝦夷・入鹿親子をたおして政治の実権をにぎった。
□ 唐にならい、はじめて年号を定め、大化とした。
□ 中大兄皇子は皇太子となって、天皇中心の国家をつくろうとした。
●改新の詔
□ 646年、新しい政府は4つの政治方針を示した。
□ 公地公民・・・皇族や豪族のもっていた土地と人民をすべて朝廷(国)のものとした。
□ 全国を国・郡・里に分け、国司・郡司・里長の役人をおいた。
□ 班田収受の法・・・戸籍をつくり、6歳以上の人民に口分田をあたえた。
 男子(良民)は2反、女子(良民)はその3分の2。
□ 租・庸・調などの新しい税をもうけた。
●中大兄皇子(天智天皇)
□ 大化の改新後、孝徳天皇・斉明天皇の皇太子として、政治の改革を行った。
□ 白村江の戦いで唐・新羅と戦ってやぶれた後、都を近江(滋賀県)に移し、
 天智天皇に即位した。
□ わが国最初の令とされる近江令やわが国最初の戸籍(庚午年籍)をつくった。
●中臣鎌足
□ 新政府の中心になって中大兄皇子を助けた。
□ 中大兄皇子が天智天皇になってから、藤原の姓をあたえられた。
 藤原不比等は鎌足の子で、その子孫は平安時代の有力な貴族になった。
●壬申の乱
□ 天智天皇の死後、弟の大海人皇子と子の大友皇子の間で皇位をめぐる争いがおこった。
□ 672年、大海人皇子が大友皇子をやぶり、天武天皇となった。
 都を近江から飛鳥に移し、法典の編さんをすすめた。
●持統天皇
□ 天智天皇の娘で、天武天皇の皇后。天武天皇の死後、即位した。
□ 日本で最初の本格的な都・藤原京をつくった。
●大宝律令
□ 701年、文武天皇のときに完成した法典。
 「律」は今日の刑法、「令」は今日の行政法にあたる。
□ 藤原不比等らが、唐の律令を手本に編さんした。
●中国と朝鮮の動き
□ 中国では618年に隋がほろび、唐が中国を統一した。
□ 朝鮮では676年、新羅が朝鮮半島を統一した。
●大宰府
□ 九州の政治・外交・防衛をつかさどる役所。
□ 防人を管理し、白村江の戦い後に水城がつくられた。
●白鳳文化
□ 大化の改新から平城京に移るころまでに栄えた、
 律令国家建設期の明るく力強い仏教文化。
□ 法隆寺金堂の壁画・薬師寺東塔
スポンサーサイト

【飛鳥時代】

【飛鳥時代】

●冠位十二階
 聖徳太子が、603年に定めた人材登用の制度。
 役人の位を12に分け、氏や姓に関係なく、個人の才能や手がらに応じて位を与えた。
 
●十七条の憲法
 聖徳太子が、604年、役人の心得(こころえ)として制定した法令。
 仏教や儒教などの考え方を取り入れて、天皇はただ一人の君主であり、
 役人は天皇の命令によく従い、たがいに争わず、
 仏教を信仰(しんこう)すべきことを強調している。
 
●遣隋使
 隋に派遣(はけん)された日本の外交使節。
 聖徳太子は607年に小野妹子を派遣、隋の煬帝に向けて
 「日出ずる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致(いた)す。
 つつがなきや」
の対等外交の文書を持参させた。
 
●飛鳥文化
 7世紀後半の、法隆寺に代表される日本最初の仏教文化
 中国、朝鮮文化の影響が大きく、西方要素の文化の影響も見られる。
 法隆寺は聖徳太子が建てた寺院で、現存する世界最古の木造建築。
 
●大化の改新
 645年、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我氏を滅ぼして進めた政治改革
 唐の律令制を基に天皇中心の中央集権国家建設を目標とした。
 公地公民制、班田収授法などを定めた。
 班田収授法は、戸籍(こせき)に基いて6才以上の男女に口分田を与え、
 本人が死ぬと口分田を国に返させる制度。
 
●白村江の戦い
 唐(とう)・新羅(しらぎ)によって滅ぼされた百済(くだら)の救援のために
 663年、朝鮮半島に赴(おもむ)いた日本が敗れた戦い。
 百済の復興(ふっこう)はならず、日本は朝鮮半島の足場を失った。
 
●庚午年籍
 670年、天智天皇のもとで作成された最初の全国的戸籍。
 氏姓を正す根本台帳として永久保存とされたが、現存していない。
 
●壬申の乱
 671年天智天皇が死去し、翌年、大友皇子と大海人皇子が皇位をめぐって争った内乱。
 大海人皇子が勝利し、天武天皇となった。
 
●藤原京
 畝傍(うねび)・耳成(みみなし)・天香久山(あまのかぐやま)の大和三山に囲まれた地に
 持統天皇が建設した都。
 唐の長安や洛陽(らくよう)にならう最初の本格的な都城で、694~710年の帝都。
 
●大宝律令
 701年、文武天皇のときに制定された法令。
 唐の律令にならったもので、刑部親王・藤原不比等らが編集した。
 「律」は現在の刑法、「令」は現在の行政法・民法にあたる。
 
●租
 律令政治のもとで定めれた税で、口分田から収穫の約3%の稲を納めさせるもの。
 このほかに、庸・調・雑徭などの税もある。
 
●白鳳文化
 大化の改新から平城京遷都に至るまでの時代の文化。律令国家建設期の清新さと明るさが特色。
 
●大宰府
 九州をとりまとめるために置かれた役所。中国・朝鮮との外交にもあたった。

検索フォーム
最新記事
最新コメント
カテゴリ
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
FC2オンラインカウンター ここから --> 現在の閲覧者数: