スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

古墳時代

■古墳時代

●大和朝廷(大和政権)
 □ 4世紀の中ごろ、大和(奈良県)の豪族が連合して大きな国になり、5世紀ごろに九州地方から東北地方南部までを統一した。
 □ 大王を中心とした政治が行われた。

●国の統一と神話
 □ 日本の国ができるようすは、『古事記』『日本書紀』に神話として記されている。ヤマトタケルノミコトの話が特に有名。

●豪族
 □ その地方に土着し、富と力をたくわえた者が支配者となり、やがて豪族となった。
 □ 大和朝廷にしたがった豪族は、朝廷の役人として働いた。

●大王
 □ 大和朝廷の支配者となった、最大の権力を持つ豪族。
 □ 7世紀ごろから、天皇の称号が使われるようになった。

●氏姓制度
 □ 氏・・・血縁で結ばれた豪族の一族。
 □ 姓・・・家がらや朝廷での地位を表し、氏にあたえられた。
 □ 大和朝廷の政治や社会のしくみを氏姓制度という。

●倭の五王
 □ 倭(大和朝廷)の讃・珍・済・興・武の5人の王。
 □ 中国の歴史書『宋書』に、5世紀に、倭の5人の王がつぎつぎに使者を送ってきたことが書かれている。

●古墳
 □ 4~6世紀にかけて、大王や豪族の大きな墓がさかんにつくられた。この約300年間を古墳時代という。
 □ 大和でつくり始められた前方後円墳のほか、円墳・方墳などがある。

●埴輪
 □ 古墳の上やまわりにならべられた素焼きの土器。
 □ 筒(つつ)型や、人物・動物・家・船などの形をしたものがある。

●副葬品
 □ 玉・鏡・首かざり・武器など、古墳の埋葬者にそえておさめたもの。
 □ 副葬品から、当時の人々の風俗や生活のようすがわかる。

●大山古墳
 □ 大阪府堺市にある、わが国最大の古墳(墓としての面積は世界最大)。
 □ 5世紀ごろにつくられた代表的な前方後円墳で、仁徳天皇の墓といわれている。

●五色塚古墳
 □ 兵庫県にある、4世紀につくられた前方後円墳。
 □ まわりをふき石でかため、円筒埴輪がおかれている。

●藤ノ木古墳
 □ 奈良県斑鳩にある6世紀後半につくられた円墳。
 □ 玉、銅鏡、装身具など多くの副葬品が発見された。

●高松塚古墳
 □ 奈良県明日香村にある7世紀末~8世紀はじめにつくられた円墳。
 □ 人物や青竜、白虎などをえがいた壁画が発見された。

●漢字と儒教の伝来
 □ 5世紀ごろ、大陸から漢字と儒教が伝えられた。
 □ 埼玉県の稲荷山古墳から、漢字が刻まれた鉄剣が出土した。

●渡来人
 □ 農業・養さん・機織り・焼き物などの大陸の進んだ技術が、渡来人によって伝えられた。

●好太王碑
 □ 朝鮮(高句麗)の好太王(広開土王)の業績を記した記念碑。
 □ 4世紀末に、倭(大和朝廷)が朝鮮に出兵し、高句麗と戦ってやぶれたことが記されている。

●朝鮮半島の動き
 □ 4世紀、朝鮮半島では高句麗・新羅・百済の3国が対立していた。
 □ このころ、大和朝廷は朝鮮半島南部に進出し、加羅(任那)を支配し、高句麗などと争った。
スポンサーサイト

先土器時代~弥生時代

■先土器時代~弥生時代
(●はハイレベルです)  


●日本列島のなりたち
 □ 1万年以上前の日本列島は、大陸と陸続きだった。
  野尻湖(長野県)から、ナウマン象の化石。
 □ 今から約1万年前に大陸から切りはなされ、
  現在の日本列島のようになった。

●先土器時代
 □ 今から約1万年前までの、
  おもに打製石器が使われていたので、
  この時代を旧石器時代という。
 □ 土器を使ったあとが見られないので、先土器時代ともいわれる。

●岩宿遺跡
 □ 1949年、相沢忠洋が群馬県の関東ローム層から打製石器を発見した。
 □ 日本にも旧石器(先土器)時代があったことがわかった。

●縄文時代
 □ 約1万年前~紀元前3世紀ごろまでの約8000年間の時代。
 □ 縄文土器や磨製石器の使用→新石器時代。狩りや漁、採集のくらし。

●縄文土器
 □ 縄目もようをつけたものが多く、厚手で黒かっ色。
 □ 低温で焼かれたため、こわれやすい。
 □ 北海道から九州まで、広く分布。

●貝塚
 □ 大むかしの人々が食べた貝のからなどが積もっているごみすて場。動物の骨、土器や石器なども出てくる。
 □ 大森貝塚(東京都)・・・1877年、日本で最初にアメリカの動物学者モースが発見。そのほか鳥浜貝塚(福井県)、加曽利貝塚(千葉県)が有名。

●骨角器
 □ 動物の骨や角でつくった、やじり・つり針・もりなど。

●竪穴住居
 □ 縄文~奈良時代にかけて人が住んでいた住居。地面を50cmほど掘り下げて床をつくり、柱を立てて草ぶきの屋根でおおったもの。4~8人くらいずつで住み、10数戸で集落をつくっていた。

●土偶
 □ 縄文時代につくられた20cmくらいの土の人形。家族の繁栄やえものがとれるように祈ったりするための、まじないに使われたと考えられている。
 □ 女性の像が多い。

●縄文時代の社会
 □ 共同でえものをとり、平等に分けた → 貧富の差や身分の差がなかった。

●弥生時代
 □ 紀元前3世紀~紀元3世紀の約600年間の時代。
 □ 北九州から米づくりが始まり、弥生土器・金属器を使用した。

●弥生土器
 □ 縄文土器よりうすく、赤かっ色をした土器。
 □ 高温で焼かれたため、固い。
 □ もようがない、または簡単な幾何学的なもようがある。

●米づくりの始まり
 □ 2300年ほど前の紀元前300年ごろ(もっと早い時期だったとする説が強まっている)、中国の南部・中部から朝鮮半島を経て北九州に伝わった。

●登呂遺跡
 □ 静岡県にある弥生時代の代表的な遺跡。
 □ 竪穴住居・高床式倉庫などの集落あとで、水田・あぜ道・水路・木製農具などが発見された。

●石包丁
 □ 稲の穂をつみとるための石器。長さ15cmくらい。

●青銅器
 □ 弥生時代に、鉄器とほぼ同時に大陸から伝わった。
 □ 青銅器は、おもに祭りの道具として使われ、銅剣・銅ほこ・銅鏡・銅たくなどがつくられた。

●鉄器
 □ 木製農具をつくる工具として使われ、弥生時代後期には鉄の刃先をつけたくわやすきがつくられた。
 □ また、戦いのための武器にも使用され始めた。

●木製農具
 □ 鉄器は貴重品だったため、多くの人は木製のくわやすきで土地を耕し、木製のきねなどで脱穀した。
 □ 田では、しずまないように田下駄を使用した。

●銅たく
 □ つりがね型の青銅器。高さは、10cm~1m。
 □ 表面に狩り・もみつき・家などの絵が描かれているものがあるが、何に使われたものかよくわかっていない。

●弥生時代の社会
 □ 稲作が進むと、くらしが安定し、むらの人口は増えたが、たくわえの多い少ないによって貧富の差や身分の別があらわれた。
 □ むらには、農作業を指図する指導者(支配者)があらわれた。

●板付遺跡
 □ 福岡県にある、縄文時代後期~弥生時代初期の遺跡。
 □ 日本最古の米づくりの遺跡で、石包丁やもみなどが出土した。

●唐古遺跡
 □ 奈良県にある、弥生時代の遺跡。

●むらからくにへ
 □ 米づくりが広がると、日本列島の各地に大きなむらができてきた。むらとむらは、土地や用水をめぐって争い、力の強いむらは力の弱いむらをしたがえていった。
 □ 大きなむらは、やがて小さなくににまとまっていった。力のあるむらのかしらは、豪族となってくにを支配した。

●金印
 □ 中国の歴史書『後漢書』に、57年、倭の奴国が使者を送ってきたので、中国(後漢)の皇帝が金印をさずけたことが書かれている。
 □ 江戸時代に志賀島(福岡県)で発見され、「漢委奴国王」と刻まれている。

●邪馬台国
 □ 中国の歴史書『魏志倭人伝』に、3世紀ごろ、倭から30の国が中国に使者を送ってきていること、そのなかに卑弥呼という女王が治めている邪馬台国があって、30ほどのくにをしたがえていたことが書かれている。
 □ 身分の差があり、どれい(生口・奴婢)がいて、租税のしくみや市場もあった。
 □ 邪馬台国の位置については、北九州説と畿内説がある。

●卑弥呼
 □ 239年、中国の魏に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号と、金印、銅鏡などをあたえられた。
 □ うらないやまじない(呪術)で政治を行った。

●吉野ケ里遺跡
 □ 佐賀県にある弥生時代の遺跡。この地域の小さなくにの中心だったと考えられている。
 □ 周りを大きな堀で囲み、多くの竪穴住居・高床式倉庫や墓地がある。物見やぐらで見張りをした。

●『漢書』地理志
 □ 中国の前漢の歴史書で、紀元前1世紀ごろ、日本(倭)は100余りのくにに分かれていたことが書かれている。

●中国の動き
 □ 前漢(紀元前202年) ⇒後漢(25年) ⇒三国時代(220年~。魏・呉・蜀)
検索フォーム
最新記事
最新コメント
カテゴリ
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
FC2オンラインカウンター ここから --> 現在の閲覧者数: