油を売る

【読み】 あぶらをうる
【意味】 油を売るとは、仕事の最中に人目を盗んで怠けること。また、無駄話をして時間を過ごすこと。


『油を売る』の解説

油を売るとは
 仕事の途中で無駄話をするという意味で
 江戸時代から使われた言葉である。
これは
 江戸時代の油売りが
 客のところへ油を届けに行った際、
 客の枡に油が垂れ終わるまでの時間を客との雑談で繋いでいたためである。
現代では
 これが転じ、
 仕事や頼まれたお使いの途中に喫茶店、
 パチンコへ行くなどの寄り道に対しても油を売るが使われる。




ご存じですか?「油を売る」の語源

仕事をサボったりして怒られる時、
 「何処で油を売っていたんだ!」
 と云われたことはありませんか?

「無駄話に時を過す。
 また、
  用事の途中で時間をつぶす」
 という意味で使われる

「油を売る」という言葉、
 今回はその語源について

油は、
 昔、行燈などの部屋の明かりとしてとても貴重なものでした。
また、
 女性の髪油としても大切に扱われていました
 (ちなみに、食用として使用されたのは
  古くは奈良時代で、
  寺院の精進料理に油を使用したとの文献

広辞苑によると、
 江戸時代、
 この髪油の行商人が
 女性客を相手に世間話をしながら
 商いをしたことが語源となっているようですが、
実はこれ、
 油は粘着力が強く、
 柄杓を使って桶から客の器に移す際に
 雫がなかなか途切れず時間がかかるので
 ついつい長話になった、
 ということで、
 決して怠けようとして世間話をしていた訳ではないんですよ。




さて、話はかわりますが、私が昔業界の“長老”から聴いた話に面白いのがありました。

「昔の油売りは
 朝早くから商いはしなかったんだよ。

大体
 11時頃から出かけて
 16時には
 家に帰っていたんだ。
何故だかわかるかい?
それは、
 夏ともなると外気温が30℃以上になるだろう。
そうすると油は
 膨張して
 一升枡に9合8尺位で満杯になるから、
 結構儲かるからなんだそうだよ!」

なるほど
 それで「油屋さんは大名みたいだ」なんて云われたんですね。
ちなみに、
 美濃の国の大名で織田信長にも縁のある人物
 「斉藤道三」は、
 昔、油の行商人だったのをご存じですか?
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日常の五心

一、ハイと云う素直な心
一、すみませんと云う反省の心
一、わたしがしますと云う奉仕の心
一、おかげさまですと云う謙虚な心
一、ありがとうと云う感謝の心

「油を売る」の語源

仕事をサボったりして怒られる時、
 「何処で油を売っていたんだ!」と云われたことはありませんか?

「無駄話に時を過す。また、用事の途中で時間をつぶす」という意味で使われる
 「油を売る」という言葉、
今回はその語源について少しお話ししたいと思います。

油は、昔、行燈などの部屋の明かりとしてとても貴重なものでした。
また、女性の髪油としても大切に扱われていました
 (ちなみに、食用として使用されたのは古くは奈良時代で、
  寺院の精進料理に油を使用したとの文献がありますが、それについてはまた後日触れたいと思います)。

広辞苑によると、
 江戸時代、この髪油の行商人が女性客を相手に世間話をしながら商いをしたことが
 語源となっているようですが、

実はこれ、
 油は粘着力が強く、
 柄杓を使って桶から客の器に移す際に雫がなかなか途切れず時間がかかるので
 ついつい長話になった、ということで、
 決して怠けようとして世間話をしていた訳ではないんですよ。


油売りの様子
さて、話はかわりますが、
 私が昔業界の“長老”から聴いた話に面白いのがありました。
「昔の油売りは朝早くから商いはしなかったんだよ。
  大体11時頃から出かけて16時には家に帰っていたんだ。
  何故だかわかるかい?

それは、
 夏ともなると外気温が30℃以上になるだろう。
そうすると油は膨張して一升枡に9合8尺位で満杯になるから、
 結構儲かるからなんだそうだよ!」

なるほどそれで「油屋さんは大名みたいだ」なんて云われたんですね(笑)。
ちなみに、美濃の国の大名で織田信長にも縁のある人物「斉藤道三」は、
 昔、油の行商人だったのをご存じですか?

油を売る

油を売る

油を売るとは、仕事の途中で無駄話をすること。

『油を売る』の解説
油を売るとは
 仕事の途中で無駄話をするという意味で江戸時代から使われた言葉である。
これは江戸時代の油売りが客のところへ油を届けに行った際、
 客の枡に油が垂れ終わるまでの時間を客との雑談で繋いでいたためである。
現代ではこれが転じ、
 仕事や頼まれたお使いの途中に
 喫茶店、パチンコへ行くなどの寄り道に対しても油を売るが使われる。

「鳥肌が立つ」

変化をしている言葉に
 「鳥肌が立つ」がある。



言わずと知れた、
 寒さを感じた時などに、
 肌の表面にブツブツが起きる現象である。


これは、
本来は激しい嫌悪の感情を表す言葉である。
恐怖や悪寒を感じた時の表現だ。


ところが今では
 高揚感や感動した時など、
 良い意味での興奮状態の時に使うようになった。
 とんでもない話である。
 これまた、正反対じゃないか!

※こう‐よう【高揚】
精神や気分などが高まること。
また、高めること。
「士気が高揚する」「自主独立の精神を高揚する」


今さかんに報道されているアテネオリンピックの
 日本選手のメダルラッシュを受けて、
 「日の丸が揚がるのを見て、感動で鳥肌が立った」なんていう具合である。

やれやれと思う。
冗談じゃないよ、まったく。


では、
なぜ私がそんなことにこだわるのか
(注:あえて、自分を卑下して悪い意味で使っているのですぞ。お間違えなく・・・)。

それは、
元々の意味と反対の意味が市民権を得ると、
本来の使い方がまちがっている事になってしまうからだ。


なんでもかんでも「こだわる事が良い事」になっては大変だ。
「こだわるな」という本来の意味のアドバイスが「そんなに一生懸命やらないで、
いい加減に、適当に手を抜いてやっていいよ」という意味になってしまう。

「藪の中で、
 いきなり蛇が出てきて鳥肌が立った」
 と言うと
 「なんで蛇を見てそんなに感動したの?」と、
 受け取られかねないのだ。ねっ、そうでしょう。

本来の意味と反対の意味が第一義になってしまっては、日本語は死んでしまう。


「店主こだわりのスープで作ったラーメンは、
 鳥肌が立つような味」なんてラーメン、死んでも食べたくねえな。

春風亭正朝
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