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草枕

夏目漱石

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。
とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高(こう)じると、
 安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、
 詩が生れて、画(え)が出来る。
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一寸法師

むかし、
 摂津国(せっつのくに)の難波(なにわ)という所(ところ)に、
 夫婦(ふうふ)の者(もの)が住(す)んでおりました。

子供(こども)が一人(ひとり)も無(な)いものですから、
 住吉(すみよし)の明神(みょうじん)さまに、おまいりをしては、
 「どうぞ子供(こども)を一人(ひとり)おさずけ下(くだ)さいまし。

それは指(ゆび)ほどの小(ちい)さな子でもよろしゅうございますから。」
 と一生懸命(いっしょうけんめい)にお願(ねが)い申(もう)しました。

すると間(ま)もなく、お上(かみ)さんは身持(みも)ちになりました。

「わたしどものお願(ねが)いがかなったのだ。」
と夫婦(ふうふ)はよろこんで、
 子供(こども)の生(う)まれる日を、
 今日(きょう)か明日(あす)かと待(ま)ちかまえていました。

やがてお上(かみ)さんは小(ちい)さな男の赤(あか)ちゃんを生(う)みました。
ところがそれがまた小(ちい)さいといって、
 ほんとうに指(ゆび)ほどの大きさしかありませんでした。

「指(ゆび)ほどの大きさの子供(こども)でも、
 と申(もう)し上(あ)げたら、
 ほんとうに指(ゆび)だけの子供(こども)を明神(みょうじん)さまが下(くだ)さった。」
と夫婦(ふうふ)は笑(わら)いながら、

この子供(こども)をだいじにして育(そだ)てました。
ところがこの子は、
 いつまでたってもやはり指(ゆび)だけより大きくはなりませんでした。

夫婦(ふうふ)もあきらめて、
 その子に一寸法師(いっすんぼうし)と名前(なまえ)をつけました。

一寸法師(いっすんぼうし)は五つになっても、
 やはり背(せい)がのびません。七つになっても、
 同(おな)じことでした。

十を越(こ)しても、
 やはり一寸法師(いっすんぼうし)でした。

一寸法師(いっすんぼうし)が往来(おうらい)を歩(ある)いていると、
 近所(きんじょ)の子供(こども)たちが集(あつ)まってきて、
 「やあ、ちびが歩(ある)いている。」

「ふみ殺(ころ)されるなよ。」
「つまんでかみつぶしてやろうか。」
「ちびやい。ちびやい。」
と口々(くちぐち)にいって、からかいました。

一寸法師(いっすんぼうし)はだまって、
 にこにこしていました。

蜘蛛の糸

芥川龍之介

 ある日の事でございます。御釈迦様(おしゃかさま)は極楽の蓮池(はすいけ)のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮(はす)の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色(きんいろ)の蕊(ずい)からは、何とも云えない好(よ)い匂(におい)が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。

 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇(おたたず)みになって、水の面(おもて)を蔽(おお)っている蓮の葉の間から、ふと下の容子(ようす)を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄(じごく)の底に当って居りますから、水晶(すいしよう)のような水を透き徹して、三途(さんず)の河や針の山の景色が、丁度覗(のぞ)き眼鏡(めがね)を見るように、はっきりと見えるのでございます。

 するとその地獄の底に、陀多(かんだた)と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢(うごめ)いている姿が、御眼に止まりました。この陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛(くも)が一匹、路ばたを這(は)って行くのが見えました。そこで陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗(むやみ)にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったか轤ナございます。

 御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報(むくい)には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠(ひすい)のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮(しらはす)の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下(おろ)しなさいました。

雨ニモマケズ

宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ


南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩



雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて
東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり
西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい

平家物語』

ぎおんしょうじゃのかねのこえ
しょぎょうむじょうのひびきあり
しゃらそうじゅのはなのいろ
じょうしゃひっすいのことわりをあらわす
おごれるひともひさしからず
ただはるのよのゆめのごとし
たけきものもついにはほろびぬ
ひとえにかぜのまえのちりにおなじ

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

口語訳

祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
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