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露地

世俗の塵埃を離れ、
 清浄無垢の境地に至ることを理想とした
 茶の湯と、
 
その実践の場所である
 茶室。

露地は
 その茶室への通路という機能だけに留まらず、
 精神的に準備をする場所であり、

一期一会の
 主、客の交わりへの導入部でもあります。

茶庭の考え方の基本は、
 禅茶一味を反映して、
 厳然たる自然の中で、
 悟りの境地を得る、
という環境づくりが、
 茶湯の場に求められるようになって
 茶事を行う空間に生かされました。

茶庭は
 幽邃な境地を好み、
 
茶人は
 侘びの精神から華やかなものは好みません。


※侘び わびしい

わび・さび(侘・寂)は、
 日本の美意識の1つ。

一般的に、
 質素で静かなものを指す。

本来侘(わび)と寂(さび)は
 別の概念であるが、
 現代ではひとまとめにされて語られることが多い。

侘(わび、侘びとも)とは、
 動詞「わぶ」の名詞形で、

その意味は、
 形容詞「わびしい」から容易に理解されるように
 「立派な状態に対する劣った状態」となる。
 転じては「粗末な様子」、
 あるいは「簡素な様子」を意味している。

もっと端的にいえば
 「貧しい様子」
 「貧乏」ということになろうか。

本来は
 良い概念ではなかったが、
 禅宗の影響などもあって
 これが積極的に評価され、
 美意識の中にとりこまれていった。

侘に関する記述は古く万葉集の時代からあると言われているが、
「侘」を美意識を表す概念として
 名詞形で用いる例は
 江戸時代の茶書『南方録』まで下り、
 これ以前では「麁相」(そそう)という表現が近いが、

千利休などは
 「麁相」であることを嫌っていたから
 必ずしも同義とは言い難い。

「上をそそうに、
 下を律儀に(表面は粗相であっても内面は丁寧に)」(山上宗二記)。

強いて言えば
 「priceは高くないが、 ・値段,価格
  qualityは高い」   ・性質,品質
  という概念になろうか。


茶の湯では
 「侘」の中に
  単に粗末であるというだけでなく
  質的に(美的に)優れたものであることを
  求めるようになったのである。

この時代、
 「侘び」の語は「侘び数寄」という熟語として現れる。
 これは「侘び茶」の意ではない。
 侘び茶人、

つまり
 「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者」
 (宗二記)のことを指していた。

「貧乏茶人」のことである。
 後の千宗旦の頃になると
 「侘」の一字で無一物の茶人を言い表すようになる。


続き
一般的に、
 茶庭には
 花の咲く木や香りの高いものは用いません。 

これは
 茶室の内で花を用い、
 香りを生かして使うからです。

正式な露地は、
 露地門側の外露地(そとろじ)と
 茶室側の内露地(うちろじ)からなり、

その間に中潜(なかくぐり)と呼ばれる
 中門(簡素な枝折戸にすることもある)があります。

外露地には、
 寄付(よりつき)、
 下腹雪隠(したばらせっちん)、
 外腰掛待合があります。 

内露地には
 内腰掛、
 砂雪隠(すなせっちん)、
 蹲踞(つくばい)、
 茶席が設置されます。

この形式を
 二重露地といいます。

また
 露地を内、外に区別しない一重露地や、
 三重露地という特殊な露地もあります。

茶事では、
 亭主は客の到来を見計らい、
 あらかじめ水を打って露地を清めます。

茶事に招かれた客は、
 座敷の寄付(控えの間)で着替え、
 外露地の「腰掛待合(外腰掛)」で待機します。

合図により
 苑路を進み、
 中門へ向かうと、

そこで亭主が客を迎えます
 (これを『迎付け(むかえつけ)』といいます)。

内露地に入り、
 客は「蹲踞」で手を清め口をそそぎ、
 「躙口(にじりぐち)」から茶室に入ります
 (『席入り』といいます)。

露地では、
 苑路が長い山道をイメージして曲線状に造られ、
そこに
 歩行者を導く飛石が打たれます。
 飛石ひとつひとつが山里を進み、
 峠を越える思いを表しています。


茶事は
 初入り(初座)と後入り(後座)に大別され、
 その中間で客は
  いったん茶室を出て(『中立ち(なかだち)』といいます)、
 内露地にある内腰掛で待ちます。

茶室には
 四畳半を目安に
 それ以下を小間、
 それ以上を広間とし、
 小間は「草庵」、広間は「書院」とも呼びます。

このような
 「草庵」 と 「書院」 という座敷の広さによる
 茶趣の違いは、
  庭にも反映され、
  草庵の露地が座敷に入るまでの、
  道すがらであるのに対して、

書院の露地は、
 大庭園の一部に茶の座敷を拵え、
 その付近を露地風にしたものと、
 書院としての広間の座敷の前庭を、
 露地意匠にしたものとの二種類があります。

草庵の露地が、
 実用と鑑賞、
 すなわち
  用と美の意匠と目的を秘めているのに対して、

書院の露地は、
 用を第一義とせず、
 鑑賞を主体として構成されています。

そのために、
 内外露地などもなく、
 一般の庭園に、
 露地の味付けをしたようなものになっています。
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枯山水

「枯山水」

 作庭上の専門語として、
 最初に文献上に現れるのは、
 
平安時代
 編集された『作庭記』であるといわれています。

それは池泉庭園の一部として
 その一画に枯山水石組みをしたものでした(前期式枯山水 )。

山の斜面のように、
 水利が悪く、
 面積も限られた所に、
 庭を生み出そうとしたとき、
 必然的に「枯山水」というスタイルが生まれました。

しかし、
 今日云う「枯山水」式庭園は、
 室町時代
 禅宗寺院の庭を中心に発達を遂げてきました。

かつて
 禅宗寺院の方丈の南側は
 儀式をとり行うための、
 清浄を意味する白砂を敷き詰めた「無塵の庭」でした。

ところが、
 その後
 庇のある広縁が
 儀式の場にとってかわり

 さらに進んで室内となったことから、
 南庭は儀式に用いられなくなりました。

そこで
 瞑想や座禅の場にふさわしい造景として、
 「枯山水」というスタイルが発展していきました。


枯山水は、
 回遊式庭園や露地などの庭園と違い、
 遊楽・散策などの実用的要素をもちません。

屋内から静かにこれに
 対峙して鑑賞するよう構成されています。

禅は
 深山幽谷の大自然の中で思惟思索をめぐらし、
 座禅を行って悟りに至る、
 自らを変革する自立の宗教です。


禅者にとっては、
 遊興の世界は不要なのです。

白砂の上に大小の自然石を立てたり、
 据えたり、
 組み合わせることで、
 ひとつの観念的世界を創造します。

それは
 山の峰や、
 滝が走る渓谷、
 大河やせせらぎ、
 ひっそりと静まりかえった海、
 大海に浮かぶ島々まで、
 さまざまな風景であったり、

または
 仏教世界観や宇宙観であったりします。


自然と向き合い、
 自らの存在と一体化することで、
 無でなければならない自身を見い出す、
 境地に立とうとする。

それは
 見えざるものの中にそのものを見、
 聴こえざるものの中から、
 そのものを聴くといったところに
 枯山水の表現が求められたのです。

浄土式庭園

浄土式庭園は、
 平安時代以降に発達し、

その形態としては、
 仏教世界観を表現した
 池泉回遊式庭園であることが最大の特徴です。

原始古代の人々は、
 石や水を神が宿るものとして崇拝していました。

石は
 永遠性のシンボルでもあり、
水は、
 生命の源であり、
 またすべての物を洗い清めることから、
 俗世間の邪悪から神聖の地を区画する手段として用いられました。

神域に
 蓮池をめぐらしたり、
 池の中島とその先の対岸を神域としたのです。

 すなわち、
  この世とあの世を分ける「三途の川」であり、

 あの世を
 「彼岸」と呼び、
  海や川である水がこの世との間に形成されていると、
  信じられていました。

日の沈む西方に
 阿弥陀如来の極楽浄土を、
日が昇る東方に
 薬師如来の浄瑠璃世界をみるという考え方は、
 浄土教の基本的な理念です。

太陽は西に沈む、

いかし
 一夜明ければふたたび新しく東から昇る。

いったん没したものが確実に新しく生まれ変わってくる。

西方にこそ
 すばらしい未来の入り口がある。

そのすばらしい世界での再生を念じて往く。
極楽往生とはそういうことなのです。

末法思想の到来と共に発生した浄土式庭園は、
 寝殿造庭園の平面プランに
 浄土の世界を当てはめるような形で発展しました。

寝殿の位置に阿弥陀堂、
対屋位置に五大堂や薬師堂、
釣殿に鐘楼や経楼を配し、
渡廊の代わりに回廊をまわす。

池泉は
 神仙島の浮かぶ大海から、
 極楽浄土の黄金池を意味するようになった。

中島も蓬莱島から、
 極楽浄土における舞楽会などの舞台となり、
 中島に渡された橋は現実世界から極楽浄土へ渡る橋となったのです。

日本庭園

日本庭園は
 中国や朝鮮などの大陸からの
 文化・思想に多大なる影響を受けながら
 独自に発展してゆきました。


18世紀初頭のイギリスで生まれた
 「自然風景式庭園」を除けば、

西洋の庭園は
 花や緑を使いながらも幾何学的な秩序による、
 人工的な美しさを追求しているのに対し、

日本庭園は
 大自然を母体とし、
 その自然との調和を図りながらも、
 それを一歩踏み越えて
 人間の理想郷を追求してきました。

西洋の自然風景式庭園は
 自然をほぼ同一のスケールで庭に取り入れた
 『写景的庭園』であるのに対し、

日本庭園は
 自然の風景を
 そのまま庭園に取り入れたものではなく、
 自然のなかの好ましい景観を、
 好ましい手法によって、
 理想化して取り入れた『象徴的庭園』であるといえます。


日本庭園には、
 作意であるテーマがありました。

心に描いた
 世界、光景を『庭』という空間を
 キャンパスに立体的に描いたのです。

そこには
 仏教が解く
 宇宙感や蓬莱・神仙世界や、
 自然美を凝縮して縮景にしたり、

または
 物語や説話、
 詩歌の情景までも題材となって、
 庭を形づくるのである。

日本庭園のデザイン上の特徴としては、
 
一般的に西洋の庭園は、
 シンメトリー(左右対称)にデザインされるのに対し、

日本庭園では、
 平面的位置関係でも、
 立面的位置関係でも、
 不等辺三角形になるように形づくります。

 (これは、華道・生け花の構成理論で使われる
  「真・副・体」
  「主・副・控」
  「天・地・人」などの考え方と同じです。)

各々を差をつけて
 主従関係を持たせるように配置する事により、
 大きいものは、より大きく、
 小さいものは、より小さく見せるというように、

 それぞれの個性を強調したり、
  変化をつけたり、
  欠点を補ったりします。

手前に背の低いもの、
 奥に背の高いものを配置する事により、
 遠近感や奥行感をつくり出す事もできます。

西洋の整形式庭園が
 2次元的であるのに対し、

日本庭園がより
 3次元的な空間を作り出しているのは、
 この為でもある。

日本独自の庭園様式としては、
 浄土式庭園、
 枯山水、
 露地 が挙げられます。
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