助動詞の活用表

助詞助詞z01
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受け身、尊敬、可能、自発表現の混同による曖昧さ

日本語には同じ言葉ですが、
 示している内容が異なるものがあります。

その代表が助動詞です。

助動詞と呼ばれるグループには、
 れる  られる   せる  させる  ない  
 ぬ(ん) う    よう    まい   たい  
 たがる  た(だ) ます  そうだ  らしい  
 ようだ  だ    です

 の18語があります。この助動詞は

(1)意味による分類
  添える助動詞によって、どのような意味・働きになるかで分類する。

 使役 受身 可能 尊敬 自発
 使役 丁寧 希望 打ち消し 断定
 過去 完了 推定 存続 確認
 推量 意志 打ち消し推量 打ち消し意志
 比況 例示 伝聞 様態 丁寧な断定

(2)活用による分類
  以下のような活用によって分類する。

 動詞型活用(五段型・下一段型)
 形容詞型活用
 形容動詞型活用
 特殊型活用・無変化型活用

(3)接続による分類
  助動詞がどのような単語、
  またはその単語のどのような活用形に接続するかで分類する。

 活用語の未然形 連用形 終止形 連体形に接続するもののように分類され、
 
 意味 活用 接続を助動詞の三要素といいます。

 この中でもよく使われるものが、
 「れる・られる、せる・させる」でしょう。

 「れる」、「られる」は、
  受け身、尊敬、可能、自発という4つ表現で同じ形を取ります。

 「受け身」とは、
  「(~によって)~される」という意味。

 「可能」とは、
  「~できる」という意味。

 「尊敬」とは、
  「~なさる」という意味。

 「自発」とは
   自然に起こること。

 つまり、無意識にしてしまうこと。

例えば、

明日は会社に出られますか

と書かれると、尊敬表現とも受け取れますし、可能表現とも取れます。

・明日は会社においでになりますか
・明日は会社に出ることができますか

のように表現することで、
 尊敬表現なのか、
 可能表現なのかをはっきりと区別 できるようになります。


もう一つ例を紹介しましょう。

パンを売られた方は係員まで連絡ください

どのように受け取られたでしょうか。
パンを売ったのでしょうか、それとも売りつけられたのでしょうか。

これは尊敬表現とも、
 受け身表現とも取れます。
このような曖昧さをできるだけ文章から排除しなければなりません。
「れる」、「られる」が登場しましたので、
 
今日本語の世界で問題となっている
 「ら」抜き表現についても合わせて考えてみましょう。

 ら抜き表現とは、
 「食べる」のような
   下一段活用動詞や、
 「見る」のような
   上一段活用動詞、
 「来る」のような
   カ行変格活用動詞に
 「られる」を続けるときに
  「食べれる」、「見れる」、「来れる」と
  「ら」を抜いて表現するものです。

 「ら抜き言葉」ともいいまが、
  これらの言葉は、
  「食べられる」、「見られる」、「来られる」
  と表現するのが正しい表現法です。

同じように、
 「い」抜き表現にも注意したいものです。
 「い」抜き表現とは、
  「話している」とするところを
  「話してる」のように「い」を抜いて表現するものです。

「い抜き言葉」ともいいますが、
  「い」抜き表現は、
  口語では一般 に使用されており違和感がないので特に注意してください。

言葉は変化するものです。
その変化が合理的であればそう変化するべきだという意見もあります。
「ら抜き」表現によって、
  可能・受け身/敬語の区別 がつくようになるし、

日本語特有の曖昧さがなくなるということを考えると、
 近い将来現在問題とされている「ら」抜き表現も
 正しい表現法として認知されるかもしれません。

ある意味、
 「ら抜き」表現は非常に合理的な変化であり、
 これは次世代の"正 しい"日本語となるべきだ、
 と考えられなくもありませんが、
 急に導入されて、
 同じ日本語で もバージョンによって意志の疎通が難しくなる(互換性がなくなる)のも困ります。

ですので、
 このような考え、
 意見があるということを承知した上で、

今はまだ、
 「ら」抜き表現、
 「い」抜き表現は避けたいものです。

それは、
 「られる」という助動詞が、
 もともとは敬語と同一視されていたという歴史的経緯があり、
 ら抜き表現は一つの敬語の喪失とも考えられからです。

時制表現からくる曖昧さ

英語の勉強をはじめた頃、
 時制表現でずいぶんとまどった経験を持った人が多いのではないでしょうか。

時制とは
 言語学の用語で、
 述語(主に動詞)によって表現される
 事柄、出来事などが、表現されている時点からみて、
 現在・過去・未来のどれにあたるかといった時間的関係を表現する形式をいいます。

日本語の動詞では
 「‐た」は、過去
 「‐る」は、現在・未来

  などによって表示されることが多くなります。

また、
 注目している時点において動作が継続中か、
 完了しているかなどを表す要素である相と区別されます。

英文法でいうところの、
 進行形、完了形などが該当します。

「きょうは誕生日だった」は、過去を表していないことから
 
日本語には
 時制がないとする意見もあります。

たとえば、
 現在も継続していても構わないという
 非常に曖昧な
 時制を表現するようになっていることから

日本語に
 時制がないとする意見も理解できます。


しかし、
 日本語の動詞や助動詞、
 形容詞の変化にも時制表現があります。

文法用語で「時制」というと、
 「彼は食べる(現在形)」、
 「彼は食べた(過去形)」

 のように、
 文法的に判断できる時制のことを言います。

しかし、
 文脈をきちんと構成することで、
 文法でわかる以上に細かく時間軸を文章の中に収めることも可能です。

文法的な時制だけでなく、
 文脈からわかる時制が混乱しないように文章を書くときには注意が必要となります。

日本語が持つ時制の曖昧さを排除する方法は、
 時間軸を使って整理したチャートを書いておくことが重要となります。

人間は、
 ひとかたまりの情報(たとえば1つの文)を読むときに、
 その中の文脈は1つであるという無意識の前提を置いて読もうとします。

そして最初に目にした情報と最後に目にした情報の印象がもっとも強くなるため、
 文の最初と途中で時制、時間が違っている場合、
 特にそれが逆行していると混乱を招きがちになります。

ですので、
 文章を書くときは「時制の混乱」にはくれぐれも注意してください。

主語がはっきりしないための曖昧さ

曖昧表現の代表要因の一つに、
 主語がはっきりしないことが挙げられます。

日本語は
 主語を省いても文として通 じてしまうことが多く、
 主語なしの文が多くなります。

しかし、
 主語を書いておかないと読み手に誤解を与える可能性があるときには、
 必ず主語をいれることで曖昧な表現を回避できます。

また、
 主語はあっても述語との対応がはっきりしないことがあります。

和文調のだらだらした文章にこのようなことが発生しがちですが、
 この問題はあまり長い文を書かないようにすることで解決できます。

なお、
 文を書くとき、
 主語を省いてもいいとき、
 悪いとき、
 省いた方がいいときをはっきりさせる必要があるのです。

しかし、
 残念なことに、
 この問題に関しては諸説があり、
 また言語学者の中でもそれほど関心が高くないために、
 定説がありません。

基準は読み手が誤解せずに読むことができるかどうか、
 にありそうです。

1.私は昨日国立競技場に行きました。
2.昨日は私も国立競技場に行きました。

文章1の主語が「私」、
 というのは誰でもすぐに分かることでしょう。
では、
 文章2はどうでしょうか。

助詞の「は」の前にあるのが「昨日」ということで、
 主語は「昨日」なのでしょうか。

しかし、
 国立競技場に行ったのは誰なのか、
 と考えると、
 文章2も主語は「私」であることがはっきりします。

英語では、
 多くのケースで文頭に主語がきます。

「名詞+動詞+名詞」のような語順では、
 最初の名詞はいつも主語になります。

それに対して
 日本語は必ずしも主語は文頭にはきません。

「文章を先生が書く」のように目的語が文頭にきたり、
 「先生が文章を書く」のように文頭に主語がきたりします。

したがって、
 日本語では
 「~を」や「~が」などの助詞を手がかりにして
 どれが主語でどれが目的語かを判断することになります。

つまり、
 日本語は意味から主語を判断するのです。

この主語が曖昧になっていると、
 書かれている内容を正確に読み取ることは難しくなってしまいます。

日本語にはこれが正しい書き方というルールがない

残念なことに、
 日本語を書く上で、
 これが唯一無比のルールはありません。


もちろん、
 文法はありますが、
 それとて全てを包括するようなものではありません。

助詞の使い方、
 句読点の打ち方など、
 基本的な使い方はあっても、
 こう使わなければならないという厳密なものではありません。

つまり、
 日本語は大変曖昧なルールの上に成り立っている言語なのです。


ということは
 書き手の力量によって同じことを書いても、
 分かりやすい、
 分かりにくいの差が出る言語ということになります


小説や詩歌を書くのであれば別ですが、
 美しい文章、
 優れた文章を書く必要はありません。

あくまでも分かりやすい日本語を書く、
 ということが目的ですので、
基本的な約束事だけをしっかり守ることで、
 第一ステップをクリアーすることが可能です。

正しい書き方がないことによって、
 同じ文でも意味が全く異なってしまうことが日本語では発生します。


二人の子どもを連れた母親が来た

この文章は日本語として間違ってはいません。
しかし、
 受け手によって二つの意味が出てしまいます。

・二人の子どもを連れた母親が来た
・子どもを連れた二人の母親が来た

元の文は、
 日本語として間違いはないものの、
 大変分かりにくい文章ということになります。

では分かりやすい文章の条件とは
 どのようなものでしょうか。

実は、
 この「分かりやすい文章の条件」という文も、
 曖昧なものなのです。
その理由は、
 「わかりやすさ」の基準が受け取る人によってまちまちだからです。
しかし、
 分かりやすい文章を書くための方法がないわけではありません。


文章を分かりやすくするために、

・むつかしくない漢字を使う(筐体:きょうたい)
・読み方がひねっていない漢字を使う(就中:なかんずく、流石:さすが)
・分かりやすい用語を使う
・分かりやすい文

といった点に注意する必要があります。
これ以外に、読み手の立場を考え、

・読み手の生活年齢
・読み手の経験の背景
・読み手の読書力の程度
・読み手の情報の安定
・読み手の読み取り方
・読み手の語彙力
・読み手の持つ言語形式の知識
・読み手の読む意欲

といったことを念頭に置きながら文章を書くだけで、
 分かりやすい文章になると思われます。
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