デフレの王者 マック売上が3割減少 原田泳幸が壊した物

2015年08月16日02:43

伝説の60秒チャレンジ、
 店員は食品をゴミのように投げつけた。

日本マクドナルドの凋落振りは
 目を覆うもので、
 2009年をピークに毎年客離れが進んでいる

客はマックに負のイメージを持っていて、
 食べ物として見ていない。


マクドナルドの凋落ストーリー

日本マクドナルドの6月中間連結決算は、
 上場以来最悪の売上高が
 前年同期比29・5%減の852億円、
 税引き後利益が262億円の赤字だった。

日本マクドナルドは
 前社長の原田泳幸が2013年8月に会長に就任し、
 社長職を退きました。

同時にカナダ出身のサラ・カサノバが
 新たな社長に就任しました。

日本マクドナルド
 創業者である藤田 田(ふじた でん)が
 独自のスタイルで築き上げた日本企業です。

だが1997年アジア通貨危機の不況から
 7年連続売り上げマイナス、
 2年連続最終赤字に陥った。

日本の独自経営を苦々しく思っていた米国本社は
 この機会を利用して日本マクドナルドを乗っ取りました。

送り込んできたのが
 アップル日本法人社長、
 原田泳幸(えいこう)
 マクドナルドと何の繋がりもなく、
 食品に関わったこともなかった。

原田が行った経営手法は
 「数字にならない物に価値は無い」という物で、
 人材育成や伝統や食品の味すらも否定した。

100円のハンバーガーは
 美味かろうが不味かろうが、
 食べた客がどうなろうが、
 同じ100円のハンバーガーに過ぎない。


全ての物の価値は
 価格によって決定されるという、
 マルクスの資本主義理論そのもので、
 品質という概念は無い。

この結果、
 2005年から2009年までの5年間は
 黒字が続き、「デフレの王者」の名を欲しいままにした。

数量的な大成功を得たものの、
 この期間で日本マクドナルドは
 違う物に変質しました



数字だけを追うアメリカ流

原田泳幸が学んだ資本主義では
 同じ役割りの物は
 同じ価値であって、
 安ければ安いほど良い。

日本マクドナルドでは
 バイトであっても一人一人を育成して、
 店長になりFCオーナーとして
 独立する制度が存在した。


人材を育てるという考え方は
 アメリカは存在しないので、
 社員全員を解雇して
 時給が最も安いバイトに切り替えました。



食材の調達も同じで、
 肉や野菜、小麦粉など
 最も値段が安いものに切り替えていきました

マックの肉の産地が話題になっていた時、
 あるメディアが取材の為にマック本社に電話して、
 材料の原産地などを訪ねた。

電話の応対に出た人は
 「産地は非公開です。
  不満があるなら買わないでください」

 と電話を叩き切ったそうである。


これが原田流で、
 品質とか客の嗜好という概念が無かったが、
 アメリカ本社の考えを代弁するものだった。

日本マクドナルドには、
 数十年掛けて開発した独自メニューがあるが

 
アメリカには
 創業以来の代わり映えしないメニューしかない。


商品の品質は
 時間が経つごとに低下していき、
 サービスも悪化の一途を辿っていった。


原田体制の失敗を象徴する出来事が2010年頃に実施した
 「60秒チャレンジ」で、
 注文して60秒で提供できなけば無料になった。

マックの商品には
 いくつかの手作業があるため60秒で出すのは
 物理的に不可能だが、
 
素人の原田は
 現場を見たことも無かった。

無料でハンバーガーを得るために、
 注文する客はわざと難しい注文を大量にし、
 店員は食品を「ゴミ」のように客に投げつけた。


原田の考えでは、
 時給が安いほど優れた人間である。
ベネッセの社長になったとたん、
 不祥事で会社を破綻させた。
両社で起きている事は
 「安い労働力への置き換え」という同じパターン。


人材軽視が不祥事の原因

サービスの低下は
 この後も続けられ、
 メニュー表の撤去、
 セットメニューの廃止と復活、
 頻繁に変わる価格でブランドイメージは揺らいだ。

ある時は
 「100円マック」で
  女子高生やOLが気軽に入れる店を目指したが、
 翌年は
  「女性は客単価が低い」と言って追い出している。

ある時は
 「高級化」を打ち出して1000円のセットを発売したが、
 コンビニで500円分買ったほうがマシな内容でした。


やがて社員を廃止して
 全員バイトにしたツケが不祥事として表面化
しはじめました。

2014年7月に
 中国鶏肉問題が発生して、
 深刻な客離れが起きますが
 「不満なら買わないでください」の挙句がこれだった。

中国産鶏肉は
 他の大手FCやコンビニでも使用していたのに、
 なぜマックだけが大問題に発展したのでしょうか。


要するに
 「名ばかり社員」と
 「バイト店長」だけで経営
し、
 アメリカ本社が作成したマニュアルだけで経営していました。

原田泳幸によれば
 「鶏肉の品質を見分けられる職人」など
 給料泥棒でしかない
ので、
 最初に解雇してしまいました。

「同じ鶏肉」なら品質は同じ筈であり、
 安い鶏肉ほど優れた鶏肉である、
 というのが原田マルクス主義です。


食品に金属が混じっていたり、
 プラスチックやゴムが次々に見つかりましたが、
 これも原田が保守係りを解雇したため発生した。

この一年間で
 10回以上の異物混入が見つかっているが、
 実は原田時代から混入騒動はあったが、
 客を脅して追い返していた

最近の混入騒動の何件かでも、
 最初店員や店長が
 「客が自分で入れた」という対応をして客を脅していました。


疫病神が出て行ってアップルは繁栄

結局日本マクドナルドが失ったのは
 創業者の藤田時代の人材で、
 日本乗っ取りの為に
 旧社員を追放したのが不祥事の原因でした。

考えてみれば
 原田泳幸がアップル本社の副社長を勤めていたのは、
 iPhoneが発売される3年前で、
 アップル復活は原田の功績ではない。

むしろ
 原田がアップルを辞めた事で快進撃を始め、
 アップルは今日の繁栄を築きました。
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どうすれば変われるか?“マック改革”の全貌

カンブリア宮殿 どうすれば変われるか?“マック改革”の全貌
2012年3月22日 放送
原田泳幸

日本の8年は経済大国から陥落し、
 未曾有の災害が襲った。

日本のトップは
 安倍総理から現在の野田総理で6人とめまぐるしく変わった。

リーダーの資質とは?
年観客数を11億人から16億人に増やし、
売上高も3867億円から5500億円に増やした
マクドナルドCEO原田泳幸

既存店の売り上げを就任以来8年連続で増加させ、
 高額バーガーもヒットさせた。

ビッグアメリカシリーズ第4弾は
 セットで740円という「ビバリーヒルズ」、

客は「おいしい」と買い求めていた。
大ヒットとなり売り上げを増加させた。

マックは安いというイメージは
 激変した。

カンブリア宮殿では、
 番組が始まった06年に登場した
 日本マクドナルドの原田CEOを再び招き、
 その後の奇跡的な成長劇を徹底解剖。

CEO就任後の激動の8年間を検証。
矢継ぎ早に繰り出し大ヒットを重ねる新商品作りの裏側や、
 新型店に隠された売り上げを急拡大させる様々な秘策を独占公開。

さらに今回は、
 様々な経営課題に直面する日本の経営者も独自取材し、
 その経営の悩みを原田にぶつける「カンブリア経営塾」を特別開催。


《①原点回帰こそ新戦略》
 原田は
  8年で売り上げを1500億円も積み増し、
 既存店売上7年連続マイナスを
  8年連続プラスに変えた!

 原田がトップに就任する前のマックは
  どん底を味わっていた。

 デフレの火付け役となった価格戦略は
  迷走(ハンバーガー130円⇒65円⇒59円⇒80円)、
  さらに急激な店舗数の拡大でサービスが低下し
  2002年、業績は赤字転落という危機的状況。
 
 そんな中、
  アップルコンピュータージャパンの改革に成功し
  1997年には副社長に就任した原田が
  マックへ招かれた。

 マックからマックへという
  キャッチフレーズもささやかれた原田。
 就任して短期間で
  マックを復活させた戦略は

 ただ一つ
  “マックらしさ”を再構築するだった。


 電子レンジで
  チンして出していたものを食べて「まずい」と感じ、
 「メイド・フォー・ユー」という
  アメリカで開発したやり方で
  熱々バーガーを提供しようというものだったが、
 日本ではまったく普及していなかった。

《社内の反対を押し切った大改革》
 原田が
  改革の柱として決断したのは
 『メイド・フォー・ユー』の全店導入。
 注文を受けてから商品を作る方式だ。
 
 以前のマックのオペレーションは
  ハンバーガーの作り置きだった。
 これを一掃しようというのだ。


 原田の提案に社内からは
 「資金は?人材は?」と反対の声。

 しかし
  原田は100億円の資金を投入し、
  わずか半年でほぼ全店に導入した。


※お客さんに
  おいしいマックを食べさせたかったのか?
 そのために
  100億円の資金を投入しでも
  システムを変更したのか?


 原田が追求するのは
 “スーパーコンビニエンス(究極の利便性)”。


 フライドポテト専用のフリーザーも、
  冷凍ポテトを
  出来るだけ常温に触れないようにして
  フライヤーで揚げる。


《②値段を上げろ!値上げしても売れる原田マックの価格戦略》
 最初100円マックを提案。
 以前の値下げがよぎったが、
 これは「おいしいマックを味わってもらうため」と説明し説得した。
 
※どうして値下げをしたのか?

 その後、
  徐々に値上げして8年で6回値上げ。
 商品価値を上げていった。


 メガマック300円台後半、
  ビッグアメリカ400円以上、
  セットなら700円を超える値段…
  以前のマックには見られなかった高額バーガー。

 しかも
  デフレ不況の真っただ中で大ヒットさせた。

 単なる安売り競争から一線を画し
  業績を伸ばすマック。
 なぜ高くても売れるのか?
 巧妙な原田の価格戦略
  
 成功の鍵は
 「業績です。業績が無かったらどんな正しい改革も正しくない」と言い切る。

※目的は業績を上げることにあった
方法は3つ
 値段を上げないで 沢山売る
 値段を上げて 同じ量を売る
値段を上げて 沢山売る

一番難しいことをやってのけた 

 

スタジオに「ビバリーヒルズバーガー」が登場。
 龍さんと小池がほおばる。

小池「740円は結構いい値段するなと思いますけど。」

原田「顧客の経験値を超えると絶対文句は出ない。」

龍さん「優先順位はあったんですか?」

原田「基本を踏襲することが優先順位ナンバー1です。」

小池「値段を上げていったのは?」

原田「価値意識を上げて、値段を上げていった。
  価値を考えて値段を決めていった。」

龍さん「16億人が来客数だとすると利益がそれだけ上がるわけですね。」

龍さん「なぜ衰退する企業は価値を見出せないのか?」

原田「リサーチ会社にアウトソースして分析してもらうより現場に原因やネタは転がっている。」


全国3300店の中でナンバー1の店員。
 全国クルーコンテストで優勝した
 6人のひとり宝塚店の中平理沙さん。
20歳のバイト。
その仕事ぶりに密着。

中平さん、
 次々と注文を見ながら担当のクルーに渡す。
厨房のコントローラーだ。
忙しい中、
 新人の教育も行う。
驚くほどのスピードが特にいきるのがドライブスルー。
マクドナルドでは
 注文と商品受け渡しを別窓口にし、
 車の流れをスムーズにした。

このサイド・バイ・サイドは
 クルーも複雑な手順になる。
指示を出す中平も大変だ。

オーダーテイクタイムを計測して
その反省会では、
 OT強化のために、
 聞き方ひとつ、
 無駄な言葉は言っていないかなどチェックする。


 1秒を短縮する闘いが続く。


VTRを見て、
 龍さん「チャップリンのモダンタイムスを見るのと違っているけど。」

原田「やらされている感が無いから。」

原田
 「人材が大事。
   従業員満足度が上がれば、
   離職率が下がり、
   顧客満足度が上がる。

   われわれのところはクルーの人材が重要。」


ガチンコ経営者相談

①長野の白樺湖
 「池の平ホテル」経営者、矢島社長28歳。


社長になったのは1年前。
創業者の孫だ。
祖父が入植して、
 名門ホテルに育てたが、
 引き継いだ頃は
 ピークはとっくに過ぎて業績は下がっていった。

業績が下げ止まったが、
 
矢島
「迷わずに見据える軸をどうやって見つけるか」



 
原田
「今の仕事が大好きですか?」
 「同業他社のことや少子化は理由にならない。」
 「来店頻度をあげるために、
   地域のためになにができますか?を
   よく考えればわかります。」


②千葉県のジェットストローク、
 カスタムカー専門店だ。


ランボルギーニをイメージして
 作られた改造費500万円の車は
 昨年の改造車ナンバー1に選ばれた。

全国から板金や修理の腕に覚えのある若者が集まるが、
 売り上げは年々減っていき、
 佐々木祐一社長33歳はカスタマイズ以外の仕事も考えるが、
 カスタマイズに拘ってきた従業員は反対だ。

佐々木
 「今の従業員のモチベーションを落とさずに
  本業以外の仕事もするのは?」


原田
 「素晴らしいアートを作るのが経営者。
   車検と修理はやるべきだが、
   本業はカスタマイズ。
   これをおろそかにしてはいけない。」


③横浜に本社のある金属メッキ処理の会社、
 野毛メッキ工業。


最近の悩みは開発期間が短いこと。
佐藤中則社長は
 「今までの生産方法ではできなくなってくる。」と
 スピードの速さに悩んでいる。

佐藤
 「早い変化に対応するには?」


原田
 「SEの時代は
   理不尽なコストで
   理不尽なスピードでやれといわれてきた。
   やったことの無いことをやらせるのが一番の教育だ。」
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