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平家物語とは

平家物語とは、
 鎌倉(かまくら)時代に生まれた軍記(ぐんき)物語で、

 平氏つまり平家一族の約70年の歴史を描(えが)いています。

作者についてはさまざまな説があり、
 吉田兼好(よしだけんこう)

※吉田兼好 徒然草について

 「つれづれなるままに、
   日ぐらしすずりにむかひて、
    こころにうつりゆくよしなしごとを、
     そこはかとなく書きつくれば、
      あやしうこそものぐるほしけれ。」
 あまりにも有名なこの序文で始まる
 『徒然草』は『方丈記』、『枕草子』とならんで三大随筆のひとつ

 吉田兼好は1283年に生まれ、
  彼の家は、彼の卜部兼好という本名の通り、
  占いにより朝廷に仕えた名家で、
 兼好の家系は
  代々京都吉田神社の神官をしていました。
 吉田神社は
  平安時代初期の859年に
  藤原山陰が
  この地に藤原家の守護神である春日四神を勧請して創建した

 奈良の春日大社、京都西山の大原野神社とともに、
  藤原氏の氏神三社のひとつとされました。

 吉田兼好が生まれたのは、
  蒙古が最後に襲来してから二年後のことで、
 その翌年には、
  元寇をしのいだ執権、北条時宗が逝去し、
  やがて鎌倉幕府は崩壊していきます。
 このあとに立てられた室町幕府は、
  1336年に足利尊氏が開いたもので、
 その年に吉田兼好は『徒然草』全234段を完成させました。


「徒然草(つれづれぐさ)」によると、
 信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)(中山行長)が作り、
 生仏(しょうぶつ)という盲目の琵琶法師に語らせたとありますが、
 確かなことは分かっていません。

平家物語は、
 「平曲」ともいわれ、琵琶法師の語りによって広まっていきました。

※へい‐きょく【平曲】
語り物の一種。
琵琶(びわ)の伴奏によって平家物語を語るもの。
鎌倉初期、盲人生仏(しょうぶつ)が始めたという。
鎌倉末期、一方(いちかた)と八坂(やさか)の二流に分かれ、
 南北朝時代に一方流に明石検校覚一が出て大いに流行した。
江戸時代以降、八坂系が衰え、一方系の前田流・波多野流が伝えられたが、
今日は前田流を伝える人がわずかに残る。

※びわ‐ほうし【琵琶法師】
琵琶を弾くことを職業とした盲目僧体の芸人。
平安中期におこった。
鎌倉時代、
 主として経文を唱える盲僧琵琶と、
 もっぱら平家物語を語る平家琵琶とに分かれた。



ですから、
 いろいろな平家物語が伝わっています。

当初は
 三巻であった巻数もだんだんと増え、
 
現在は
 全十二巻に灌頂(かんじょう)巻が加わった
 「覚一(かくいち)本」が最も有名です。

異本には、
 全二十巻の「長門本」、
 全四十八巻の「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)」などが知られています。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」

 という冒頭の文章で分かるように、
 仏教の「無常」という考えが主題になっています。


生仏(しょうぶつ・しようぶつ):
 鎌倉初期の僧。

 「徒然草」によれば、
  東国出身の盲目僧で、
  信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)が平家物語を作るのを助け、
  これを平曲として語り広めた。
 生没年未詳。

覚一:
 明石覚一(あかしかくいち)、
  1300年頃~1371年の南北朝時代の平曲家。
 一方(いちかた)流の祖、
  如一(じよいち)の弟子。
 平家物語の詞章・曲節を改訂し、
  平曲の基礎を築いた。

源平盛衰記:
 鎌倉中期から後期の軍記物語。
 四八巻あり、
  作者・成立年代ともに未詳。
 平家物語の異本の一つとみられる。
 源氏関係の記事、
  仏教説話、
  中国故事などが増補されている。
 盛衰記。「げんぺいせいすいき」ともいう。
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