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武士道

武士道とは何か
 
 人の道を照らしつづける武士道の道

武士道は「騎士道の規律である」

騎士道:
  中世ヨーロッパの騎士階級特有の気風。
  キリスト教を信仰し、勇気・忠義・名誉・道徳・婦人への奉仕を重んじた。

武士道:
  武士の守らなければならない道徳。
  名誉を重んじ、忠節を誓い、信義にそむかない生き方。


武士道は
 戦士たる高貴な人の本来の職分のみならず、
 日常生活における規範も意味している。
一言で言えば「騎士道の規律」、
 武士階級の「高い身分に伴う義務」である。


人々の心に刻み込まれた掟

武士道とは、
 武士が守るべきものとして要求され、
 あるいは教育を受ける道徳的徳目の作法である。


壮大な倫理体型のかなめの石

「卑怯者」と「臆病者」というレッテルは
  健全かつ単純な性質の人間にとっては
  最悪の侮辱的言辞である。



武士道の源を探る

仏教と神道が武士道に与えたもの

仏教は
 武士道に、
 運命に対する安らかな信頼の感覚、
 不可解なものへの静かな服従、
 危険や災難を目前としたときの禁欲的な平静さ、
 性への侮辱、死への親近感などをもたらした。

さらに
神道によって刻み込まれた、
 主君に対する忠義、
 祖先に対する尊敬、
 親に対する孝行などは
 他のいかなる宗教によっても
 教わることのなかった教義である


武士道は
 知識のための知識を軽視する


知識というものは、
 それが学習者の心に同化し、
 かつその人の性質に表れるときにのみ真の知識となる。
知識は
 人生における実際的な知的適応の行為と同一のものとみなされた。

「知行合一」を説いた
 王陽明をその最大の解説者として見いだした。



武士道の基本原理とは何か

    
「義」
 武士道の光り輝く最高の支柱


 義  筋道が立っていること。人としてしなければいけないこと。
 勇  いさましい。おもいきりがいい。


「義」は「勇」と並ぶ武士道の双生児である

 「仁は人の安宅なり、
  義は人の正路なり」

 この素直で、正直な、男らしい徳行(義)は
  もっとも光り輝く宝の珠であった。
 義はもう一つの勇敢という徳行にならぶ、
  武の双生児である。

「正義の道理」こそ無条件の絶対命令


「勇」 
 いかにして肚(ハラ)を錬磨するか


義を見てせざるは勇なきなり

 勇気は、義によって発動されるのでなければ、
  徳行の中に数えられる価値はないとされた。
 「義を見てせざるは勇なきなり」
 
 死に値しないことのために死ぬことは
  「犬死」と賤しめられた。

 
 「人が恐れるべきことと、恐れるべきでないことの区別」こそ勇気である。



「仁」
 人の上に立つ条件とは何か



 貧乏人・病人・愚者など、
 どんな人々に対しても
 その人を心の底から仲間として親しみ思いやる気持ち。
 いつくしみ、なさけ。




民を治めるための必要条件は「仁」にあり


徳と絶対権力との関係

封建制度のもとでは容易に武断政治におちいりやすい。
私たちが最悪の専制政治から救われているのは仁のおかげである。


いつでも失わぬ他者への哀れみの心か弱い者、
 劣った者、敗れた者への仁は特にサムライにとって似つかわしいものとして、
  いつも奨励されていた。
 優しい感情を育てることが、
  他者の苦しみに対する思いやりの気持ちを育てる。
 他者の感情を尊重する事から生まれる謙虚さ、慇懃(インギン)さが礼の根源である。



「礼」
 人と共に喜び、
 人と共に泣けるか


(礼:守らなければならない作法)

礼とは
 他人に対する思いやりを表現すること


長い苦難に耐え、
 親切でむやみに羨まず、
 自慢せず、思い上がらない。
自己自身の利を求めず、
 容易に人に動かされず、
 およそ悪事というものをたくらまない。



「誠」
 なぜ「武士に二言はない」のか


(誠:いつわりのないほんとうのこと。相手を全力で思いやる心。)


真のサムライは
 「誠」に高い敬意を払う

真実性と誠意がなくては、
 礼は道化芝居か見せ物のたぐいにおちいる。


誠とは
 実益のある徳行

偽りの証言をする事に対するなんらかの積極的な戒めがない中で、
 嘘をつくことは罪悪としてとがめられたのではなく、
 むしろ弱さとして批判された。
そして、弱さは大いに不名誉であった。


「名誉」
 苦痛と試練に耐えるため


(名誉:すぐれているという評判を得ること)

不名誉は
 その人を大きく育てる


人を人たらしめている部分、
 そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない。


名誉はこの世で
 「最高の善」である

名誉は
 「境遇から生じるものではなく」て、
 それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにある。

恥となることを避け、
 名をかちとるためにサムライの息子はいかなる貧苦をも甘受し、
 肉体的、あるいは精神的苦痛のもっとも厳しい試練に耐えたのであった。
もし名誉や名声が得られるならば、
 生命自体はやすいものだとさえ思われた。
したがって生命より大切とする根拠が示されれば、
 生命はいつでも心静かに、かつその場で棄てられたのである。



「忠義」
 人は何のために死ねるのか


(忠義:国や主人にまごころをつくして仕え、命さえ捨てること)

日本人の忠義とはいったい何か

主君に対する臣従の礼と忠義の義務は封建道徳を顕著に特色づけている。
忠義心がもっとも重みを帯びるのは、武士道の名誉の規範においてのみである。


命令に対する絶対的な従順が存在した

義務の命ずるところに対する従順、
 そしてより高い世界から発せられる命令に対する絶対的な従順が存在した。


武士道では
 個人よりも国を重んじる



武士は何を学び、どう己を磨いたか

行動するサムライが追求した「品性」とは何か

武士の訓育にあたって第一に必要とされたのは、
 その品性を高めることでった。


明らかにそれとわかる思慮、知性、雄弁などは
 第二義的なものとされた。
武士道の枠組みを支えているかなえの三つの脚は
 「智、仁、勇」といわれ、
 それぞれ、知恵、慈愛、勇気を意味している。


武士道は
 損得勘定をとらない


武人の徳とされている功名心は
 汚れをまとった利益よりも、
むしろ
 損失を選ぶ厳格かつ質素な生活が武士階級に要求された。
金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、
 
武士道そのものは
 金銭に由来する無数の悪徳から免れてきた。



武士道は
 無償、無報酬の実践のみを信じる


若者を教育する主たる目的は
 知性ではなく品性をたかめることであった。

サムライは逆境に屈することのない、
 高貴な精神の威厳ある権化であった。

また学問が目指すところのものの体現者であり、
 鍛錬に鍛錬を重ねる自制心の生きた手本であった。

人に勝ち、己に克つために


サムライは感情を顔に出すべからず

武士道においては
 不平不満を並べたてない不屈の勇気を訓練する事が行われていた。
他方では礼の教訓があった。

それは自己の悲しみ、
 苦しみを外面に表して他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。

サムライにとって勘定を顔に表すことは
 男らしくないと考えられた。

なぜ「寡黙(カモク)」がよしとされるのか

(寡黙:ことば数がすくないようす。むくち)


「切腹」
 生きる勇気、死ぬ勇気



腹切りの“ハラ”は何を意味するか

切腹がいささかも不合理でないとするのは、
 その部分が霊魂と愛情の宿るところであるという
 古い解剖学の信念にもとづいている。

我は
 わが霊魂の座(イマ)すところ開き、
 貴殿にそれを見せよう。
汚れありとするか、
 清しとするか、貴殿みずからこれをみよ。


切腹は
 一つの法制度、儀式典礼である

切腹とは、
 武士が自らの罪を償い、
 過去を謝罪し、
 不名誉を免れ、
 盟友を救い
 みずからの誠実さを証明する方法であった。


きわめて冷静な感情と落ち着いた態度がなければ、
 誰も切腹などはできなかった。



切腹はどう行われたか

武士道における
 生きる勇気と死ぬ勇気

真のサムライにとっては、
 いたずらに死に急ぐことや
 死を恋いこがれることは
 卑怯と同義語であり、
 
武士道の教えは、
 あらゆる困苦、逆境にも
 忍耐と高潔な心を持ってたちむかうことであった。

真の名誉とは、
 天の命ずるところをまっとうするにある。

そのためには
 死を招いても不名誉とはされない。

天が与えようとしている者を避けるための死は、
 卑怯きわまりない。
死を軽蔑するのは
 勇気の行為である。
しかし、
 生きることが死ぬことよりいっそう困難な場合は、
 あえて生きることが真の勇気である。


「刀」
 何故武士の魂なのか



刀は
 中世と名誉の象徴

武士道は
 刀をその力と武勇の象徴とした。

剣は
 天国の鍵でもあれば、地獄の鍵でもある

鍛冶は
 重要な宗教的行為だった

日本の刀剣が
 人を畏怖させるほどの魔力を持つのは、
 刀鍛冶たちの気迫によるか、
 あるいは彼が加護を祈った神仏の冷気によるものだろうか


武人の究極の理想は平和である

武士道は
 適切な刀の使用を強調し、
 不当不正な使用に対しては厳しく非難し、
 かつそれを嫌み嫌った。
やたらと刀を振り回す者は
 卑怯者か、虚勢をはる者とされた。
沈着冷静な人物は、
 刀を用いるべき時はどのような場合であるかを知っている。
そしてそのような機会はごく希にしかやってこないのである。



武士道が求めた女性の理想像

家庭的であれ、そして女傑であれ

若い娘たちは、
 感情を抑制し、神経を鍛え、「薙刀」と呼ばれる武器を操り、
 不慮の争いに対して自己の身体を守れるように訓練された。
その動機は二つあり、
 一つは個人のため
 もう一つは家のためであった。
女性は夫たちが主君の身を護るのと同じくらいの熱意でわが身を潔く守った。


女性に求められる立居振舞い

貞操は
 サムライの妻にとってはもっとも貴ばれた徳目であって、
 生命を賭しても守るべきものとされていた。


妻女の努めとは何か

自己否定なくしては「内助」の功はありえない

武士道は
 自己の個性を犠牲にしても
 自己自身より高次の目的に役立たせることとした。

女性が
 夫、家、そして家族のために、わが生命を引き渡すことは、
男が
 主君と国のために身を棄てることと同様に、
 自らの意志に基づく者であって、かつ名誉ある事とされた。



大和魂
 いかにして日本人の心となったか


 
一般大衆を引きつけた武士道の徳目
 サムライは民族全体の「美しき理想」

武士階級は
 営利を追求することを堅く禁じられていたた
めに、
 直接商売の助けをするということはしなかった。
しかしながら、
 いかなる人間の活動も、
 いかなる思考の方法も、武士道から刺激を受けずにいられなかった。

日本の知性と道徳は

直接的にも、間接的にも武士道の所産であった。

「エリート」の栄光、憧れ、そして「大和魂」の典型

武士道精神がどのようにあらゆる社会的身分の中に浸透していったか、
 ということは「男伊達」として知られるある種の侠客の親分、
 すなわち民衆の中の自然なリーダーの発達によって見ることができる。
彼らは義侠心にあふれた連中で、
 頭の中から足先まで、ごうかいな男らしい力をみなぎらせていた。


サクラは「大和魂」の典型

サクラは、
 その美しい粧いの下にとげや毒を隠し持ってはいない。

自然のおもむくままに
 いつでもその生命を棄てる用意がある。
その色合いは決して華美とはいいがたく
 その淡い香りには飽きることがない。




武士道は甦るか

武士道は日本の活動精神、そして推進力である

知性がもたらした発見は人類共有の遺産である。
しかし性格の長所や短所は各民族がそれぞれ継承する固有の遺産である。
それらは幾世紀にもわたって、
 日夜、海水で表れている硬い岩のようなものであって、
 わずかに表面のとがった部分が削り取られているにすぎないものである。


自己の名誉心、これが日本の発展の原動力

人類がかって考え出したことの中で、
 もっとも厳しく、高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民の間に支配的な影響力を持つ

日本人以上に忠誠で愛国的な国民は存在しない

武士道による無言の感化



武士道の遺産から何を学ぶか

武士道はその姿を消す運命にあるのか

名誉、勇気、そして武徳のすぐれた遺産を守れ

人間の闘争本能という者は普遍的で、
 かつ自然なものであり、また高尚な感性、男らしい徳目であるとしても、
 それは人間性のすべてではない。
もっとも神々しい本能、すなわち愛するという本能が闘争本能の下にある。
武士道や戦闘者タイプの道徳は、
 直接的な現実の欠くべからざる問題ののみとり組まざるをえなかった。
そのため、
 しばしばこの愛するという本能の存在を正当に取り扱うことを閑却してきたのである。

武士道は我々が預かっている財産にすぎず、そせんおよび我々の子孫の者である。
それは誰も奪い取ることはできない人類永遠の家禄である。


不死鳥はみずからの灰の中より甦る

武士道は不滅の教訓である


五倫の道
 君臣、父子、夫婦、長幼、朋友

5常
 仁・義・礼・智・信

武士道
 智・仁・勇

叡智
 物事の本質を見通す、深くすぐれた知性

奢侈
 けたはずれに贅沢なこと


 筋道が立っていること。人としてしなければならないこと

 義を見てせざるは勇 無きなり

 そうすることが正しいとわかっていながらしないのは、勇気がないからである。

志気・志操
 主義や考え方などをかたく守る意志


 すじみちが立っていること。人としてしなければならないこと。


 もうける。もうけ

見識
 物事の本質を見抜く

慈悲
 あわれと思い、深い愛情を持って相手を救いたいと思う心

仁愛
 親しみ思いやる心を持って、広く人を仲間と思い、愛すること

風格
 人がらや言動などに自然とあらわれる、独特の味わいの深さ
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葉隠(はがくれ)」

武士道とは
 死ぬことと見つけたり


三島由紀夫が、
 唯一座右の書としていたという
 「葉隠(はがくれ)」の中の有名な一句です。

「武士道といふは、
  死ぬ事と見付けたり。
 二つ二つの場にて、
  早く死ぬはうに片付くばかりなり。
 別に仔細なし。
 胸すわって進むなり。」

全文を現代風に訳すと、

武士道の本質とは
 死ぬことだと知った。

生か死かを選ぶ際に、
 死ぬ方を選ぶというだけのことである。
別に難しいことはない。
腹を据えて進むだけである。

二者択一で正しい方を選ぶのは、とても難しい。

人は誰しも死ぬよりも生きる方がよいものである。
だからこそ
 生きる方を選ぶことに理由をつける。
ただ、
 生きる方を選んで失敗して、
 なお生きているとすると腰抜けといわれることになる。
しかし、
 死ぬ方を選んで、
 失敗して死ぬと、
 犬死にだといわれるかもしれないが、
 恥ではない。

これが武士道の本質である。
毎朝、毎夕、
 改めては死に、
 改めては死に、
 常に死に身なっている時は、
 武道に自由を得て、
 一生落ち度無く役目を全うできるものである。

武士道

その光と影

新渡戸は、
 武士道の長所を述べるだけでなく、
 短所も的確に指摘した。

新渡戸の武士道に対する思いとは、
 何だったのだろうか。

最終回では、
 元国連事務次長の明石康さんを招く。

明石さんはこれまで、
 国際協調につとめた新渡戸に大きな関心を寄せてきた。
明石さんは、
 グローバル化が進む中、
 日本人の原点を見つめ直したいという思いが、
 今の武士道の人気につながっていると考えてきた。

今なお私達の精神に影響を与えている武士道。
 その光と影について考える。

忍耐

謎のほほ笑み

外国人にとって、
 日本人の行動には謎が多く、
 誤解を生じやすい。

新渡戸が生きた時代、
 外国人の間では
 「日本人が苦しい時にほほ笑むのは鈍感だからだ」
 という指摘すらあるほどだった。

そこで新渡戸は、
武士にとって、
 感情をむき出しにすることは、
 礼に反し、
 勇気のない行為
にあたると解説。

苦しい時のほほ笑みは、
 自分の心の平衡を保つための手段なのだと記した。

名誉

日本人の責任の取り方

武士は
 責任を取るときに切腹した。


新渡戸は
 「腹は魂と愛情が宿る場所」だと記している。

日本人は
 腹に魂があると考えてきた。

切腹とは、
 真心を示す意味もあったのである。

一方で切腹は、
 人の死を軽んじる傾向を生んだ。

また部下に詰め腹を切らせ、
 責任の所在を曖昧にしてしまうこともあった。

新渡戸は
 武士の勇気をたたえるとともに、
 陥りがちな欠点も指摘、
 「いたずらに死を選ぶことは卑怯であり、
  真の名誉は天命を成就すること」と記した。
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