平清盛とその一族

平清盛とその一族 

◆物語と史実のはざま

平清盛は
 『平家物語』の中の中心人物で

 「おごる平家は久しからず」

 の栄光と没落の悲惨さを象徴しています。

しかも、
 北面の武士から太政大臣にまで登り詰めた
 成り上がり者というイメージで捕らえられていることが多いようです。

そこに、
 語り継がれてきた物語の持つ力の大きさを感じますが逆に、
 史実に基づいた伝記を辿ってみると意外な面が多々出てきて、
 その新しい発見は落差が大きいほど楽しいものです。

そんな発見が面白くていつしか清盛が大好きになっていきました。

芝居の主人公は
 葛藤をたくさん抱えていなければならないので
 清盛はまさに理想的でした。

清盛とて人の子です。

たった一人で
 単純に栄光への階段を駆け上っていったのではありません。

彼が目指したものや軌跡を書き連ねるのには
 あまりに膨大過ぎますので、

ここでは、
 清盛の夢に協力した一族の面々の簡単な紹介をすることにします。

また「青春座」という劇団で上演された戯曲を
 「風の音…平家物語の世界」に入れておきましたので読んでくだされば、
 一つの清盛の捉え方のあることがわかっていただけることでしょう。


◆清盛の親ときょうだい

▲父…平忠盛…
平氏繁栄の基礎を築いた大物の武将。
先祖は第五十代桓武天皇の皇子葛原親王、
その孫の高望王のとき、
 平の姓を賜り臣籍に下って、
 代々諸国の受領(国守)であったが、

平家武士団の長として白河法皇の信頼を得て、
 日宋貿易から得た巨万の富を使いさらに位階をあげていきました。

笛や琵琶を弾き、
 自家撰集を持つほどの歌人でもありました。

▲父…白河法皇…
藤原宗忠の日記。
『中右記』(日記の名は中御門右大臣という宗忠の称号に由来してます)には

次のように白河法皇のことが書かれています。

「天下の政をとること五十七年
 〈在位十四年、位を避りて後四十四年〉、
 意に任せて法に拘わらず除目叙位を行い給う」

「威四海に満ち天下帰伏す。
 幼主三代の政をとり、
 斎王六人の親となる。

桓武より以来絶えて例なし。
聖明の君、
 長久の主というべきなり。
但し理非決断、
 賞罰分明、
 愛悪を掲焉とし、
 貧富顕然なり。

男女の殊寵多く、
 すでに天下の品秩破るなり」

この人物評は、
 専制化した白河法皇の性格を言い得ているとして著名です。

『平家物語』をはじめ
 多くの史書が

 清盛の実父をこの白河法皇らしいと言っています。

そのために清盛の位階の上がり方が
 群を抜いて早かったのではないかというのです。

▼母…詳細不明…
A:祇園の女御の妹
 晩年の白河法皇が愛されたという女性が
 祇園付近に住んでいたので
 祇園女御と呼ばれていました。
出来心からその女御の妹に手をつけたところ
 身ごもってしまい、
 忠盛に下賜されて生まれたのが
 清盛だという説があります。
スポンサーサイト

平清盛

平家が最も栄えた時代を作った武将

  平清盛 (たいらの きよもり)
● 活やくした時代   1118年~1181年
                平安時代

● 活やくしたこと

  1118年 平忠盛(たいらの ただもり)の長男として生まれる。

  1153年 平忠盛(たいらの ただもり)が死に、平清盛があとをつぐ
 
  1156年 保元の乱がおこる。
         
          【保元の乱(ほうげんのらん)】
            天皇の地位をめぐるあらそいに武士がまきこまれた戦争

            [ 天皇家 ] 後白河法王 対  崇徳上皇
            [ 摂関家 ] 藤原忠通  対  藤原頼長 
            [ 武 士 ]  源 義朝   対  源 為義
                     平 清盛   対  平 忠正
                      ↓
                     勝利
         

           天皇と上皇の権力あらそいに平清盛と源義朝(みなもとの よしとも)がまきこまれる。
           平清盛と源義朝が協力して天皇方が勝利する。
                      ↓
           武士である源氏と平氏が貴族にかわって政治に参加するようになる。

  1159年 平治の乱がおこる。
         
          【平治の乱(へいじのらん)】
            源氏と平氏のあらそいに貴族がまきこまれた戦争

            [ 摂関家 ] 藤原道憲  対  藤原信頼
            [ 武 士  ] 平 清盛   対  源 義朝
                      ↓
                     勝利
         

           平清盛と源義朝(みなもとの よしとも)の権力争い。
           平清盛が勝利し、源義朝を討ち取る。
                      ↓
               平氏が政治の中心になる。
                      ↓
  1167年 太政大臣(だいじょうだいじん)になる。
           「平家にあらずんば、人にあらず」
           平清盛が思うがままの政治を行う。平氏の世の中になる。 

  1177年 鹿ヶ谷の事件(ししがたにのじけん)がおこる。
            僧の俊寛(しゅんかん)らが平氏を討つ計画を立てるが、平氏に逆に討たれる。

         平清盛の娘の徳子が高倉天皇(たかくらてんのう)の中宮(ちゅうぐう 天皇の妻)になる。
                      ↓
  1178年 平清盛の娘の徳子が高倉天皇の皇子 安徳天皇を生む。

  1179年 平清盛の長男の平重盛(たいらの しげもり)が病死する。
         後白河法王(ごしらかわほうおう)を閉じこめる。
            後白河法皇が平氏の勢力をへらそうとしたため、やしきに閉じこめる。

  1180年 安徳天皇が天皇になる。平清盛が安徳天皇の祖父になる。
         以仁王(もちひとおう)が「平氏をうて」の命令を全国に出す。
                      ↓
         源頼政(みなもとの よりまさ)と以仁王(もちひとおう)が平氏にやぶれ、討ちとられる。
                      ↓
         源頼朝(みなもとの よりとも)が伊豆(いず)で反乱をおこす。
                      ↓
         富士川の戦いで平氏が源氏にやぶれる。

         平氏が東大寺と大仏を焼く。

  1181年 熱病で病死する(64才)

  1185年 壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)で平氏がほろびる。

平清盛

平清盛(たいらの きよもり)の功績は、
 それまでの藤原氏(貴族)が中心の政治から
 武士が中心の政治へと変化させたことにあるであろう。

貴族にはない圧倒的な武力に経済力が加われば、
 貴族などひとたまりもない。

これ以後、
 天皇や貴族は形ばかりの存在となり、
 政治権力は武士へとうつっていく。

ただ、
皮肉なことに平清盛は、
 武士でありながら貴族化していく。

このことが、
 武士たちの大きな反感を買うことになる。

貴族をやぶった武士の平清盛が、
 その貴族になっていく。

なんとも皮肉な結果である。

平清盛にとって、
 最大の不幸は
 長男で優秀と言われた
 平重盛(たいらの しげもり)の若すぎる死であった。

平清盛も平重盛の助言には耳をかした。

だが、
その平重盛の死で
 平清盛の暴走を止める者がいなくなってしまった。

平清盛の暴走に対する反感は、
 やがて源氏の反乱、
 平氏の滅亡(めつぼう)へとつながるのである。
検索フォーム
最新記事
最新コメント
カテゴリ
リンク
FC2オンラインカウンター ここから --> 現在の閲覧者数: