皇紀

神武天皇即位 紀元

神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)は、

初代天皇である
 神武天皇が即位したとされる年

 元年(紀元)とする、

日本の紀年法である。

略称は 
 皇紀(こうき)という。
外にも、
 皇暦(こうれき)、
 神武暦(じんむれき)、
 神武紀元(じんむきげん)、
 日紀(にっき)[1]などともいう。

年数の英字表記では、「Koki」や「Jimmu Era」などといい、

皇紀2660年を「Koki 2660」「Jimmu Era 2660」などと表記する。

紀元節(現在の建国記念の日)廃止までは、
 単に「紀元」と言った場合には、
 神武天皇即位紀元(皇紀)を指していた。


神武天皇即位紀元は、
 キリスト紀元(西暦)より
 660年大きな値

 (キリスト紀元X年+660年=神武紀元Y年)となる。

このずれは年により変わることは無く一定である。

例えば、
 西暦2011年は皇紀2671年となる。

国家の紀元を神武天皇の即位に求めることは、
 古代の『日本書紀』編纂以来、一般的な認識であった。

これを暦法に応用した皇紀の使用は、
 江戸時代後期の1840年代から1860年代にかけて、
 藤田東湖など国学者が用いた事が始まりである。

当時の国学者は、
アヘン戦争が勃発した西暦1840年を
 「紀元2500年」
というように呼んでいた。


神武天皇は
 古代の人物であるが、
 
歴史学的には3世紀に即位したとされる
 応神天皇 
 以前の初期の天皇の実在性は不明確である。
 古墳の出現年代などから考古学上は
 ヤマト王権の成立は3世紀前後であるとされており、
 神武天皇が紀元前660年に即位したことが
 事実であるという一致した見解は現在成立していない。

考古学的には、
 この時期は弥生時代前期にあたる。


皇紀2600年記念行事
 「紀元二千六百年記念行事」を参照

「ゼロ戦」という通称で知られている
 大日本帝国海軍の「零式艦上戦闘機」は、

この皇紀2600年(西暦1940年)に
 採用されたことにちなんだ名称である 
(軍用機の命名規則により、
  制式名称は皇紀の下2桁を冠する規定による)。

大日本帝国陸軍の場合、
 同年制式採用兵器の数字は百式重爆撃機、
 一〇〇式司令部偵察機、
 一〇〇式輸送機など海軍とは異なり、
 零ではなく百(一〇〇)としている。

皇紀2601年(西暦1941年)
 陸軍に採用された戦闘機は
 一式戦闘機(通称としている。
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皇紀と西暦

皇紀とは
 明治五年に制定された
 わが国独自の日本紀元のことである。

神武天皇即位の年を
 元年とする

 毎年二月十一日が紀元節になっている。
 
現在、世界的に使われている

西暦とは
 キリスト教の開祖である
 キリストの生誕日から数えられている。


日本人のわれわれが使用するには
 明らかに違和感を覚えるが、
 戦後の堕落した風潮の後押しもあって、
 不可思議に使われ続けている。
 
天皇陛下が即位するたびに年号が切り替わるので、
 つながりが分かりづらいという意見が一部にあるものの、

だからといって
 西洋人の暦に頼る必要はない。

由緒正しき皇紀を復活させればよいではないか。

しかし、
 戦前戦中の国家神道に反対している左派が黙ってはいないだろう。
 
参考として述べるが、
 
タイでは
 仏歴が採用されている。


西暦に五四三年足したものである。

私の知人がタイに行ったとき、
 仏歴の下二桁の数字に出くわして面食らったという。
 
敬虔な仏教徒であるタイ人は
 仏歴を大事にしている。

異教徒の暦を無思慮に使用しない姿勢は、
 わが国も見習うべきである。
 
イスラム世界では
 メッカを支配していたクライシュ族の迫害によって、
 開祖ムハンマドが
  故郷のメディナに脱出した
  西暦六二二年七月十六日をもって
  
イスラム歴元年とするヘディラ紀元があり、
  大切にされている。

ヘディラとは移住を意味し、
 聖遷ともいう。

ヘディラ紀元は
 月の満ち欠けをもとにして作られた太陰暦である。
 
一番よい世界のあり方は、
 それぞれの国、民族、文化が尊重されていることだと思う。

とはいえ、
 大航海時代以降、
 西洋中心の世界秩序が構築されていった
 歴史的経緯があるので、
 ある程度の妥協は致し方ないのかもしれない。

つまり、
 通常はわが国の年号を使用し、
 通しに際して不便なら皇紀を使えばいい。

さらに世界共通で差し障りがあるなら、
 渋々の選択で西暦を活用しようというのである。

ただし、
 無自覚に西暦を用いるのではなく、
 日本民族の誇りを見失わないことが大前提だ。

用語解説

嫉妬〔うはなりねたみ]
 嫉妬〔しっと〕であるが、
 元々は先妻〔せんさい〕(コナミ)が
 後妻〔ごさい〕(ウハナリ)を妬〔ねた〕むこと。


岐佐理持〔きさりもち〕
 語義不詳であるが、
 葬送〔そうそう〕において死者に供〔そな〕える食器を持つ者。
 以下、鳥がその役を担〔にな〕うのは、
 空を翔〔か〕ける鳥と
 生死や魂〔たましい〕の観念を結びつける古代思想によるものとも。


掃持〔ははきもち〕
 葬送〔そうそう〕において(あるいは喪屋〔もや〕で)
 箒〔ほうき〕を持って場を清める者。


御食人〔みけびと〕
 死者に供〔そな〕える食物(御饌〔みけ〕)を作る者。


碓女〔うすめ〕
 死者に供〔そな〕えるために臼〔うす〕で米を搗〔つ〕く役の女。


哭女〔なきめ〕
 葬送〔そうそう〕において号泣する役の女。



面勝〔おもかつ〕
 面〔めん〕と向かっても気後〔きおく〕れせずに相手に勝つ意。
 顔だけで相手に勝つ、睨〔にら〕みで圧倒〔あっとう〕する意。

用語解説

高天原〔たかまのはら〕
 天神〔あまつかみ〕の住む天上世界で、
 地上世界である葦原中国〔あしはらのなかつくに〕に対する神話的領域。

 訓註に「天〔あま〕」とあるので「たか・あまのはら」とも
 訓〔よ〕めるが、
 これは多く「アメ」と訓〔よ〕むのに対し、
 この語は「アメ」ではないということを示したもの。
 「taka-ama」等の音韻〔おんいん〕は縮まるので「たかまのはら」
 (もしくは「たかまがはら」)と訓〔よ〕む。

柱〔はしら〕
 神を数える時の語

 貴人〔きじん〕にも用いる。

 木や杙〔くい〕、串〔くし〕等を神霊の依代〔よりしろ〕
 (神霊が宿る場所・物)とする信仰に由来するとされる。

 【例】二柱神〔ふたはしらのかみ〕。二神〔ふたはしらのかみ〕。

妹〔いも〕
 男性から女性を呼ぶ時の古語で

 妻の場合も「妹〔いも〕」を用いる

 女性間では用いず、
 姉が妹〔いもうと〕を呼ぶ場合は
 「弟〔おと〕」を用いる。

 なお、
 女性から男性を呼ぶ時の古語は「背〔せ〕」で、
 後に「勢〔せ〕」の表記が見える。

天降〔あまくだり〕
 天上世界から地上世界に降りること。
 「天降〔あまくだ〕り」
 「天降〔あまお〕り」
 「天降〔あも〕り」等の訓例がある。

現代では官僚〔かんりょう〕等が
 関連団体に再就職することを揶揄〔やゆ〕する語として用いられる。



妹〔いも〕
 男性から女性を呼ぶ語。妹にも妻にも用いる。


黄泉國〔よみのくに〕
 死者が住む地下世界。冥界〔めいかい〕。
 黄泉國〔よもつくに〕とも訓〔よ〕む。
 後に登場する根之國〔ねのくに〕も地下世界であり、
 古事記ではほぼ同一の観念として捉えられている。


美豆良〔みづら〕
 髪を左右に分け、
 耳の辺で束〔たば〕ねた男子の髪型。
 古代人の髪型としてよく描かれる。

黄泉比良坂〔よもつひらさか〕
 「ヒラ」は崖〔がけ〕の意とも、
  平〔たひら〕の意とも。
 「坂〔さか〕」は「境〔さかい〕」と同根で、
 その意を含む。

 黄泉國〔よみのくに〕と
 地上世界(現世〔げんせい〕)との境界にある崖〔がけ〕、
 あるいは坂。


禊〔みそぎ〕
 海や川等に入って身の穢〔けが〕れを洗い清める習俗で、
 神道〔しんとう〕における儀礼として今も行われている。


 【同語】禊祓〔みそぎはらひ〕。
 「禊〔みそ〕ぎ」は身〔み〕を濯〔そそ〕ぐこと。「

 祓〔はら〕ひ」は穢〔けが〕れを払〔はら〕う(掃〔はら〕う)こと。
 通常は「祓〔はら〕へ」(現代語「はらえ」)と訓〔よ〕むが、
 自ら行うものを古く「祓〔はら〕ひ」として区別していた。



僕〔あ〕
 古事記では一定の用法があり、
 身分の低い者が高い者に対する場合の自称の文字
 として用いられる。
 「アレ」「ワレ」等とも訓〔よ〕まれる。

妣國〔ははのくに〕
 母は伊邪那美〔イザナミ〕命のこと。
 須佐之男〔スサノヲ〕命は
 伊邪那岐〔イザナキ〕命が単独で生んだ子であるが、
  ※男だけで、なぜ、子どもが生まれたのか考えさせられる
 黄泉國〔よみのくに〕の穢〔けが〕れを祓〔はら〕うための
 禊〔みそ〕ぎによって生まれており、
 その点で伊邪那美〔イザナミ〕命の
 関与があったと見なすこともできなくはない。
 ただし、
 単に伝承の発展によって生まれた矛盾〔むじゅん〕であろう。

 世界の神話伝承にもこのような矛盾〔むじゅん〕は多々ある。

淡海之多賀〔あふみのたが〕
 近江〔おうみ〕国の多賀〔たが〕大社
 (滋賀県犬上郡多賀〔たが〕町)。

 書紀は「淡路嶋〔あはぢしま〕」と記すが、
 その地にある伊邪那岐〔イザナキ〕命を祀〔まつ〕る神社も
 多賀〔たが〕という地にある。

 ともに海人〔あま〕系集団の居住地とされるが、
 「淡海〔あふみ〕」「淡路〔あはぢ〕」
 誤伝・誤写等による差異と見れば
 どちらかは記紀編纂後の
 解釈論〔かいしゃくろん〕の中で発生・発展したもので、
 それにより「多賀〔たが〕」の地名をつけたものと見なせる。

天安河〔あめのやすのかは〕
 高天原〔たかまのはら〕にある川の名。
 以降、神々が相談する場として登場する。


天原〔たかまのはら〕
 天神〔あまつかみ〕が住む天上世界


葦原中國〔あしはらのなかつくに〕
 国神〔くにつかみ〕が住む
 葦〔あし〕の生〔お〕い茂〔しげ〕った地上世界。


八尺鏡〔やあたのかがみ〕
 「八咫鏡〔やあたのかがみ〕」は大きな鏡の意で、
 三種の神器の一つとされる。


神懸〔かむがかり〕
 巫女〔みこ〕が神霊〔しんれい〕を体内に降臨させ、
 神の言葉を伝えるシャーマニズム的な方法。

 舞い踊るのは興奮(トランス)状態に至るためで、
 未開民族では麻薬〔まやく〕等を用いた例もある。


根堅州國〔ねのかたすくに〕
 地下にある異郷、地下世界。
 「堅州国〔かたすくに〕」は諸説あるが
 片隅〔かたすみ〕の国の意か。

 古文献に「スミ」を「ス」とのみ言う例がある。
 古事記では黄泉國〔よみのくに〕の呼称としても用いられ、
 ほぼ同一の観念として捉えられている。


意禮〔おれ〕
 「俺〔おれ〕」「己〔おのれ〕」の意であるが、
 ここでは相手を蔑〔さげす〕んで呼ぶ時の二人称〔ににんしょう〕。

 現在も「己〔おのれ〕」「我〔われ〕」「手前〔てまえ〕(てめえ)」等は
 二人称〔ににんしょう〕の罵倒〔ばとう〕語として用いられる。

豊玉姫

火闌降(ほすせり)命と彦火火出見(ひこほほでみ)尊は、
 ある日お互ひの道具(兄の釣針と弟の弓矢)を交換した。

ところが彦火火出見尊は、
 兄の釣針を波間で失くしてしまひ、
 探し訪ねて海の果ての海神(わたつみ)の宮を訪れた。

宮で、
 わたつみの神の娘の豊玉姫(とよたまひめ)と結ばれ、
 しばらく供に暮らしたが、釣針が見つかったので、
 日向の国へ帰ったのだった。
 
豊玉姫は、
 尊の御子を宿してゐた。

天つ神の御子なので、
 海中で産むわけにはいかないとして、
 日向の国へやって来た。
 
急いで海辺の渚に、
 鵜の羽を葺草(ふきくさ)にして産殿(うぶどの)を造った。

屋根を葺き合へぬうちに、
 姫は臨月となって産殿に入られた。

子を産むときは本来の姿に戻るといふ。

姫は八尋ワニになって、
 産殿の中をを這ひまはった。

これを覗き見してゐた尊は、
 驚いて逃げてしまった。

豊玉姫は、
 見られたことを恨み恥づかしんだが、
 見られてしまったことは否定しがたく、
 御子を置いて、
 海境をさへぎって海へ帰るしかなかった。

生まれた御子は、
 鸕鷀 草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)
 (天津日高日子波限(あまつひこひこなぎさ)建鸕鷀
 草葺不合命(たけうがやふきあへずのみこと))と名づけられた。
 
豊玉姫は、
 夫や子への恋しさのあまり、
 妹の玉依姫(たまよりひめ)を乳母として送り、
 わたつみの宮から歌をお届けになった。

○赤玉は 
  緒さへ光れど、
   白玉の 
    君が装ひし、
     貴くありけり
 彦火火出見尊も、
 豊玉姫へ、
 返事の御歌をお送りになった。
  
○沖つ鳥 
  鴨著く島に 
   我が率寝(ゐね)し 
    妹は忘れじ。
     世のことごとに
  
(沖から毎年鴨が渡って来る島で、
  我と共に寝た妻は、
  忘れはしない。
  めぐる年毎に思ひ出さう)
 
鸕鷀 草葺不合命は、
 日向(宮崎県)の鵜戸神宮に祭られてゐる。
 命は、
 乳母の玉依姫命と結婚して、
 
 神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと)
 (神武(じんむ)天皇)がお生れになった
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