高野切

平安中期  
 伝 紀貫之(きのつらゆき) 高野切(こうやぎれ)

日本独自の仮名の完成された姿。
高野切には三種類の書風があるが,
これは第三種と呼ばれるものでスマートで知的なところが魅力。
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高野切

15.臨書のすすめ

臨書を通して、
 古筆の筆使いを学ぶことは、
 とりもなおさず創作への第1歩でもあります。

例えば、
 音楽を勉強する方が
  ソルフェージュをなさるように、

 絵を描く方が
  デッサンをなさるように、

 古筆を臨書をすることで
  基礎力を身につけましょう。

先人のさまざまな知恵や技を知ることは、
 新しい作品を生み出す大きな力となるでしょう。

臨書のすすめ方は、
 人それぞれですが、、
 初めての方には、
 まず一首をみっちりと、

 そして
  次第に少しずつ
  量を増やしてゆかれるとよいと思います。

最初は、
 細かな注意力が要りますし、
 手も思うように動かないかもしれません。

でも、我慢して続けてゆきましょう。

繰り返しの練習は、
 頭ではなく、
 手にも、
 いろいろなことを覚えさせてくれるものです。

いつの間にか気がつくと、
 以前よりずっと書く事が苦でなくなっていることでしょう。

そして、
 だんだんと臨書の楽しさ、
 魅力に気付いてゆくことになります。

1人で勉強できるということも、
 臨書の魅力の1つです。

もちろん、
 最初は先生のご指導が不可欠ですが、
 臨書を進めるにしたがって、
 だんだんと、
 自分1人でも、
 古筆からいろいろと学び取れるようになります。

何百年もの時を超えて先人たちの息遣いに耳をすましてみましょう。

16.ステップアップ

臨書から創作へと
 一気に階段を上りたいところではありますが、
 そうはなかなかいかないものです。

創作の助けとして、
 倣書(ほうしょ)をおすすめします。

倣書とは、
 古典から集字をするなどして、
 筆使いや、
 特徴を真似ながら、
 別の歌を書くことです。

下の3作品は、
 それぞれ、
 高野切1種、2種、3種の倣書作品です。

歌は、
 新古今和歌集から選びました。

たにかはのうちいつるなみもこえたてつうくひすさそへはるのやまかせ

谷川のうちいづる波も声立てつ鶯さそへ春の山風

第1種の倣書
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第2種の倣書
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第3種の倣書
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高野切

第1種は、
 直筆で、
  大きく筆を扱っていることで、
  懐の深いたっぷりとした字になっています。


一字、一字が読みやすく、
 シンプルなので、
 初心者の学習に好んで使われますが、
 実はこれこそが上代

かなの真骨頂。
 真筆(本物)のもつ行間の緊張感など、
 再現するのは至難の業なのです。

そこが、一通り勉強された多くの上級者が
 また立ち戻られる所以でもあります。

潤筆のふっくらした線、
 渇筆のくいこみような細い線のコントラストが
 非常に美しい古筆切です。

同系統の古筆に、
 伝藤原行成筆「大字和漢朗詠集」、
 伝宗尊親王筆「深窓秘抄」があります。

参考臨書作品。

「は(者)る(留)た(多)てはゝなとやみ(三)らんし(志)らゆき(支)の
か(可)ゝれ(礼)るえ(要)た(多)に(尓)うくひす(寸)のな(那)く」

春立てば花とや見らん白雪のかかれる枝に鶯の鳴く
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第2種は、
 筆管(ひっかん)を
 右に倒した側筆(そくひつ)が特徴です。


右上から左下に向かう線をご覧下さい。
同じ角度に太く長く引かれている直線が、
 随所に見られます。

うまく、
 似せて書けないと思われた方は、
 筆管(ひっかん)を右に倒して押すようにお書きになって下さい。

これを側筆(そくひつ)と言います。
個性的な書風を生み出しています。

同系統の書風に、
 伝紀貫之筆「桂本万葉集」などがあります。

参考臨書作品

は(者)な(那)のちることやわひしき(支)はるか(可)す(数)み
たつた(多)の(能)やまのうくひす(春)のこゑ

花の散ることやわびしき春霞 竜田の山の鶯の声

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字母に比較的忠実な1種や、
 一定の角度に筆を動かす2種に比べて、

第3種は、
 より自由闊達な筆使いであることがわかります。

筆者も一番若く、
 当時若干31歳だったそうで、
 新しい時代の息吹が感じられます。

1種同様、
 初学者の教材となることが多い古筆です。

同系統には、
 伝藤原行成筆「粘葉本和漢朗詠集」、
 伝藤原行成筆「近衛本和漢朗詠集」、
 伝藤原行成筆「伊予切」、
 伝藤原行成筆「法輪寺切」、
 伝藤原行成筆「元暦校本万葉集」などがあります。

左は参考臨書作品

お(於)もへども(无)なほ(保)うとまれぬは(者)るか(可)す(須)み
かゝらぬやまのあらしとおも(无)へは(者)

思へども尚うとまれぬ春霞かからね山のあらじと思へば

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高野切

1.「高野切」の名の由来

古筆には、
 それぞれ名前がついています。
持ち主や発見された場所、
 料紙の特徴などから、
 様々な名前が付けられました。

「高野切」の高野は
 高野山(こうやさん)のこと。


この古筆の一部が一時、
 高野山にあったことから、
 この名が付けられました。

 だから、「たかの」ではないのです。

豊臣秀吉が、
 比叡山をはじめ勢力のあった寺院を
  焼き討ちなどにしていた時期、
 高野山文珠院の高僧=木喰応其(もくじきおうご)だけは、
 秀吉を説き伏せ、焼き討ちを免れました。
その時、
 秀吉から巻9の一部が、
 高野山にもたらされたと言われています。

 尚、
「切(きれ)」とは、
  完本に対して一部しか残っていないものを言います。


2.中身は「古今集」

高野切は
 「古今集」を書いたものです。


関戸本や本阿弥切も
 同じ古今集を書いていますが、
 それぞれ時代や料紙、筆者が違います。

高野切は
 3人の人が

 古今集20巻を分担して書いていて、
 それぞれの筆者毎に分けて、
 高野切
   第一種、第二種、第三種
と呼ばれています。


 では、
 高野切は、
  いったいどのように生まれたのでしょうか。

3.「古今集」の編纂

古今和歌集(古今集)が編纂されたのは、
 平安時代中期の西暦905年。

醍醐天皇の命による勅撰集でした。

それまで勅撰集
 (天皇の命で、選者が詩歌や文章などをえらんで編んだもの)といえば、
 漢詩文ばかりでしたので、
 和歌としては初めて の勅撰集となりました。


最初の古今集、
 つまりは
  紀貫之が清書して醍醐天皇に献上したと言われる


 古今集20巻(奏覧本)は
  12世紀頃までに残念ながら焼失
してしまったそうですが、

 古今集編纂以降、
  多くの能筆家(字のうまい人)が古今集を書写したものが、
  今日に伝わっています。高野切もその1つです。

4.「高野切」の誕生

高野切は、
 1049年頃に書かれたと言われており、
 現存する最古の古今集の写本です。


高野切を書かせたのは、
 藤原頼道


当時の有力者藤原道長の子で、
 宇治の平等院を建立したことでも有名です。

以後、高野切は、
 近衛家に代々伝わりますが、
 時代の流れに、
 切れ切れになり、
 一部は紛失し、

 また、
  いろいろな人の手に渡り、今に至っています。

5.「伝・・・・筆」の謎

「高野切」には
 「伝 紀貫之 筆」と書いてありますが、

 905年に編纂された古今集の選者の1人である
 紀貫之が、
  1049年頃に高野切を書くというのは、
  いくら長生きしたとしてもムリというもの。

今日、古筆に「伝・・・・筆」と書いてあるのは、
 後の人(江戸時代の古筆家等)がいろいろな理由で筆者とした、
 いわば伝承筆者であって、
 本当の筆者ではありません。

最近の研究で本当の筆者が判明した場合は、
 解説などに「・・・の真筆」
 または、
 諸説あって断言しにくい場合などは
 「・・・・と推定される」などと書かれています。

6.本当の筆者は?

前にも書きましたが「高野切」は
 3人の能書家が手分けして書いています。

全20巻のうち、現存するものを見てみると

1人目が、巻1、9,20を書き

2人目が、巻2,3,5,8

3人目が、巻18,19、を書いたことがわかっています。

それが、それぞれ第1種、第2種、第3種と呼ばれています。

分担の仕方から、
 第1種の筆者(巻1と巻20を担当)が一番の責任者で、
 第3種の筆者が一番若いと見られています。

 筆者には諸説ありますが、
  この分担の仕方やそれぞれの書風から、

第1種=藤原行経  
第2種=源兼行  
第3種=藤原公経   
 とみられています。

7.どんな紙に書いたの?

料紙は麻紙(まし)。
すこし卵色がかっていて、
つるつるしています。

その上から全体に雲母砂子が蒔かれています。
シンプルですが、
 清楚で上品です。
平安貴族達の美意識が
 こんなところからも垣間見られます。

8.まずは、ながめてみましょう

ところで、
 あなたの見ている高野切は何ですか?

白黒の折本ですか、
カラーの印刷物ですか?
複製の巻物ですか?
本物は見たことありますか?

臨書をするなら、
 私自身の経験から、
 白黒の写本が便利でおすすめですが、

まずは、
 カラー版で、
 できれば、長く書かれているものをご覧下さい。

最近では、
 本物も美術館で見られる機会がありますので、
 是非是非お出かけ下さい。

そして見て感じてほしいのです。「わあ、きれい」と。

高野切を見た多くの人は、
 美しいと感じるそうです。

これこそが、
 1000年近くも昔に書かれた字を勉強する理由ではないでしょうか。

1000年の間にはいろんな時代がありました。

貴族文化が終わり、
 武士の時代になりました。
戦いもありました。
平和で庶民の文化が花咲いた時代もありました。
活字が生まれ、
 外国語が飛び交う時代もきました。

それでも、
 時代を超えて、
 「美しい」と私達に感じされる何かがここにある。

さあ、その秘密を少しずつ解き明かしてみましょう!

9.きれいな理由

もし、
 あなたが「わあ、きれい」と感じたならば、

 次にその理由を考えて下さい。

 いろんな理由があると思いますが、
  多くの方がお感じになるのは次のようなことだと思います。

・墨の潤渇
 (墨がたくさんついているところと、
   かすれているところ)が、
   きれい。

・紙がきれい。

・字が続いていて、
  その流れがきれい。


でも、
 実はこれは、
 他の多くの古筆にも当てはまるで、

 このことが私達に数々の古筆を学ばせる原動力になっているのです。

では
 次に高野切の特徴をみてみましょう。

10.高野切の特徴

・行がまっすぐ。
・行間がほぼ一定。
・一首を2行書きにしている。
・わかりやすい、読みやすい字。
・字の大小があまりない。
・長い連綿はない。
 (文字が続いても、ほとんど2~3文字)


これらのことが、
 より一層、
 「格調高く」「清楚」な雰囲気を
 醸し出しているのではないでしょうか。

91-101 小倉百人一首

91 きりぎりす 
   鳴くや霜夜(しもよ)の
    さむしろに 
     衣かたしき 
      ひとりかも寝む
 後京極摂政前太政大臣

【歌意】 
 こおろぎが鳴いている、
 この寒い霜の夜のむしろの上で、
 私は自分の着物の肩袖を敷いて、
 ひとりさびしく寝るというのか。
   
【作者】 
 (ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん) 
 1169~1206年 藤原良経(ふじわらのよしつね)。
 『新古今集』の仮名序を執筆。家集『秋篠月清集』がある。
 
【説明】 
 「さむしろ」は「さ筵」と「寒し」の掛詞。
 晩秋の哀れ深さを詠った。

 次の2首を本歌としている。
 「さむしろに衣片敷きこよひもやわれを待つらむ宇治の橋姫」
 (『古今集』巻14-689)、
 「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」
 (『拾遺集』巻13-778)。
 
 
92 わが袖(そで)は 
  潮干(しほひ)に見えぬ 
   沖の石の 
    人こそ知らね 
     かわくまもなし
  二条院讃岐

【歌意】 
 私の袖は、
 潮が引いても見えない沖の石のように、
 誰も知らないでしょうが、涙で乾くひまもないのです。
   
【作者】 
 (にじょういんのさぬき) 
 1141?~1217?年 
 源三位頼政(げんさんみよりまさ)の娘。
 はじめ二条天皇に、
 後に後鳥羽天皇の中宮、
 宜秋門院任子(ぎしゅうもんいんにんし)に仕える。
 
【説明】 
 「石に寄する恋」の題。
 海中に隠れて見えない沖の石のような秘めた恋を嘆いている。
 この歌は、
 和泉式部の「わが袖は水の下なる石なれや人に知られでかわく間もなし」
 (『和泉式部集』)の本歌取り。
 
93 世の中は 
  常にもがもな 
   渚(なぎさ)こぐ 
    あまの小舟(をぶね)の 
     綱手(つなで)かなしも
  鎌倉右大臣

【歌意】 
 世の中が、ずっとこのままであってほしい。
 渚を漕いでいく漁師の小舟の、
 引き綱を引いている光景は何とも心に染みて趣深い。
   
【作者】 
 (かまくらのうだいじん) 
 1192~1219年 鎌倉幕府の3代将軍・
 源実朝(みなもとのさねとも)。
 家集『金槐和歌集』がある。
 
【説明】 
 漁夫の小舟を見ながら、
 人の世の無常を思う。この歌は、
 「川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがな常処女にて」
 (『万葉集』巻1-22)と、
 「陸奥はいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手かなしも」
 (『古今集』巻20-1088)を本歌取りしたもの。
 
94 み吉野の 
  山の秋風さ夜ふけて 
   ふるさと寒く衣うつなり
  参議雅経

【歌意】 
 吉野の山から秋風が吹いてきて、
 夜更けのこの里も寒さが増してきた。
 折からきぬたで衣を打つ音が聞こえてきて、
 いっそう寒々とした感じがする。
   
【作者】 
 (さんぎまさつね) 
 1170~1221年 藤原雅経。
 『新古今集』の撰者の一人。
 
【説明】 
 『古今集』巻6-325の
 「み吉野の山の白雪積もるらしふる里寒くなりまさるなり」
 を本歌としている。
 
95 おほけなく 
  うき世の民におほふかな 
   わが立つ杣(そま)に
    墨染(すみぞめ)の袖(そで)
  前大僧正慈円

【歌意】 
 身の程をわきまえないことながら、
 辛い世の中に生きる人々の平穏のため、
 比叡山に住み始めて行う私の修行が役立ちますように。
 (身の程をわきまえないことながら、
 僧として辛いこの世の人々に覆いかけよう。
 比叡山に住み始めた私の墨染めの袖を)
   
【作者】 
 (さきのだいそうじょうじえん) 
 1155~1225年 関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)の子。
 11歳で出家。史論『愚管抄』がある。
 
【説明】 
 「すみぞめ」は「墨染」と「住み初め」の掛詞。
 仏法の力によって天下万民を救おうとする強い決意が詠まれている。
 
96 花さそふ 
  嵐の庭の雪ならで 
   ふりゆくものは 
    わが身なりけり
  入道前太政大臣

【歌意】 
 桜の花を誘うように嵐が吹き散らす庭の、
 雪のように降る花びらではないが、
 ほんとうに旧(ふる)くなっていくのは、
 私自身だな。
   
【作者】 
 (にゅうどうさきのだいじょうだいじん) 
 1171~1244年。藤原公経(ふじわらのきんつね)。
 定家の義弟。
 承久の乱の時、
  鎌倉方に内通し、
  その後は栄進が著しかった。
 
【説明】 
  「ふりゆく」は「降りゆく」と「旧りゆく」の掛詞。
  自らの老いを実感し、
   散りゆく桜の花を見ながら嘆いている。
 

 
97 来ぬ人を 松帆(まつほ)の浦の夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の身もこがれつつ
権中納言定家

【歌意】 
  いくら待っていても来ない人。
  松帆の浦の夕なぎに焼く藻塩のように、
   私の身も恋に焦がれている。
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【作者】 
  (ごんちゅうなごんさだいえ) 1162~1241年 藤原定家。
  「ていか」ともいう。
  『新古今集』『新勅撰集』の撰者。
  
【説明】 
  「まつほ」の「まつ」は、
   「松」と「待つ」の掛詞。
  訪ねて来ない恋人を、
   身も焦がれる思いで待ち続ける女の立場になって詠んだ歌。 
 
 
98 風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける
従ニ位家隆
【歌意】 
  風がナラの木にそよいでいる。
  ならの小川の夕暮れはもう秋の気配だが、
   川で行われているみそぎの行事は、
   まだ夏であることを示している。
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【作者】 
  (じゅにいいえたか) 1158~1237年 藤原家隆。
  『新古今集』撰者の一人。
 
【説明】 
  「なら」は「楢」と「ならの小川」の掛詞。
  前関白・藤原道家の娘が後堀河天皇のもとに入内した時の、
   年中行事の屏風歌として詠まれた歌。
  入内の際には、こうした屏風を調えるのがならわしだった。
 
 
99 人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は
後鳥羽院

【歌意】 
  あるときは人をいとおしく思い、
   またあるときは人を恨めしく思う。
  この世をつまらないと思うが故に、
   あれこれ物思いをしてしまう私である。
   
【作者】 
 (ごとばいん) 1180~1239年 『新古今集』の撰集を命じる。
  承久の乱で隠岐に流され、その地で崩御。
 
【説明】 
  後鳥羽院33歳の時の詠作。
  承久の乱のほぼ9年前。
  鎌倉幕府との関係をすでに憂慮していたか。
 
 

 
 
100 ももしきや 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
順徳院

【歌意】 
  宮中の古びた軒端に生えている忍ぶ草を見ていると、
   栄えた昔が偲ばれる。
  しかし、
   どれほど懐かしく思ったとしても、
   昔の朝廷の栄華を思い尽くすことはできない。
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【作者】 
  (じゅんとくいん) 1197~1242年。承久の乱により佐渡に流され、その地で崩御。
 
【説明】 
  順徳天皇21歳のときの詠作。
  この5年後に承久の乱で鎌倉方に敗れ、
   佐渡に流された。
  「しのぶ」は「偲ぶ」と「忍ぶ草」の掛詞。
  宮中の古い建物に生えている忍ぶ草が象徴するのは、
   皇室の権威の衰退。
  過去の繁栄ぶりとの隔たりが大きすぎて、
   想像さえおぼつかないという。

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