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文の成分

文節は、文の成分として5種類に分類できます。

主語、述語、修飾語、接続語、独立語の5つです。


日本語は述語が「主」、主語が「従」

英語と違い、
日本語は主語に重きをおかない言葉です。

主語は、
 よく省略されたりします。


しかし、
 述語が省略されることはまずありません。


述語こそが
 日本語の文の最重要部
であり、

 書き手、話し手が言いたいことの中心にあたる部分です。


述語

書き手、話し手が伝えたいことの中心部分が述語です。

述語は、何を述べているかの内容の観点から、4つに分類されます。
(1)(何が)どうする
(2)(何が)どんなだ
(3)(何が)何だ
(4)(何が)ある・ない


しかし、ここでも形式、外見が問題を解くときの鍵になります。

述語は、
 形式的には、文の最後にある文節です。


そのことを知っておけば、
 文中のどの文節が述語であるかを迷うことはありません。


主語

文の主体
(「誰が」、「何が」にあたる部分)を示す文節が主語です。

主語を見つける際も、決め手は形式、外見です。

(1)普通、
   主語には助詞の「が」、「は」が付きます
   (小学低学年レベル)
(2)「も」が付くこともあります
   (小学高学年レベル)
(3)まれには、
   「こそ」、「さえ」、「しか」などが付くこともあります
   (中学生レベル)

主語を見つけるときは
 「が」、「は」、「も」、
 (まれに「こそ」、「さえ」、「しか」)

 
 付いているかどうかだけで判断するべきです。

次に、
日本語では述語が親分で、
     主語は子分です。

述語がおもであって、
 その主体を主語とするだけです。


例題:次の文の主語をいえ。

 「彼の部屋はごみが一つもない。」

「部屋は」と「ごみが」の
 どちらが主語か悩むかもしれませんが、

 主語は述語によって決まる、
  の原則で解決できます。


この文の述語は「ない」です。
 ないのは、
 「部屋」ではなくて「ごみ」ですから、

 
 この文の主語は「ごみが」です。

(1つの文中で、「~は」と「~が」の2つがあるとき、普通は「~が」が主語です。)


修飾語

主語でもない、述語でもない文節は、
 ほぼ修飾語です
 (「ほぼ」といったのは、
  例外として接続語と独立語があるからです)。

修飾語は、
 どの文節を修飾するか
 (「どの文節にかかるか」という言い方もします)によって、

 体言(名詞)を修飾する連体修飾語と、
 用言(動詞・形容詞・形容動詞)を修飾する連用修飾語に分かれます。

(連体修飾・連用修飾についてはこちらを参照のこと。)

どの文節が修飾語であるかを積極的に探しにいくのは、
 あまり賢い方法とは言えません。

 主語(「が」や「は」が付いている)や、
 
 述語(文の最後の文節である)のような目印がないからです。

主語でもなく、述語でもなく、
 特殊な接続語や独立語でもない文節が、
 修飾語です。


接続語

接続語は接続(くっつける)の役割をする文節です。
2種類あります。

1つは、文と文、文節と文節とを接続します。

「彼は努力家で、しかも、やさしい。」の、

 「しかも」が接続語です。

「努力家で」と「やさしい」の2つの文節をつなぐ役割をしています。

もう1つは、
 文中に前の部分と後ろの部分とがあるとき、
 後ろの部分の「理由」・「原因」を示す文節も接続語です。


「疲れたので、少し休憩した。」の、「疲れたので」が接続語です。


独立語

他の文節に対して独立性が高いので独立語といいます。

「はい、~」や「まあ、~」などの返事や感嘆、
「一月一日、私は~」や
「北国、そこでは~」などの日付や場所、
「田中君、~」などの呼びかけが独立語です。

ほぼ100%、
 文の冒頭に置かれて読点(、)が打ってあるので、
 独立語だとすぐにわかります。


最後に

文の成分である

 主語・述語・修飾語・接続語・独立語は、

 それぞれ文節を、
  そのはたらきによって分類したものです。

だから、
例えば「主語をいえ」と問われたとき、
必ず文節単位で答えないといけません。

「山田君は高校に合格した。」だと、

主語は
 ○「山田君は」であり、
 ×「山田君」と答えると誤りです。
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『誰が、何を、どうしたのか』

主語は、
 文章が乗る土台みたいな意義を持っている語句のことで、

 主に『これから言おうとすることが、
  どんな物(者)によって行われたことなのか』を示すわ。

 思いきり簡単に言うと、

  『誰が』っていうことね。
 
述語は、
 『何が起きたのか』を意味する語句よ。

 これも簡単に言うと、
  
  『どうしたのか』
 『どうなったのか』という意味だわ。
 
目的語は、
 述語が示す好意が直接的に関わる対象のことを指す語句なの。

 これは要するに、

  『何を』ということね。
 
 だから、
  主語と目的語と述語を簡単にひとくくりにしてしまうと

 『誰が、何を、どうしたのか』

 これに『いつ』『どこで』という二つを加えると、
  いわゆる『5W1H』になるの。

 文章の意味を明確にするために、
  とっても大切な要素のことよ。

 これを省いても文章は成り立つけど、
  あんまり省きすぎると、
  訳の分からない、
  意味が伝わらない文章になってしまうの。

国語文法

★国語文法はこれだけで(品詞分類編)

国語の中で中学生が最も嫌う文法。

品詞の分類
全部で数は10品詞(名詞と代名詞を別に数えると11品詞)。

(全部で~個という覚え方は案外役に立ちます。総数がわかっておれば、自立語が8個で付属語が2個とか、体言が1個で用言は3個・残りの自立語4個は連体詞・副詞・接続詞・感動詞それに付属語の助詞・助動詞の2個で計10個、というように中身を覚えやすくなります。)

名詞 体言(主語になる)

例、
 普通名詞(学校)、固有名詞(京都)
 数詞(三人)、形式名詞(はず)

(確実に点数に結びつく要領のよい覚え方の一つとして、典型的な例のうち、よく出題されるものを確実に覚え切るというやり方があります。これが一番点数に直結します。名詞だと、普通・固有・数・形式名詞と分類を先に覚えてそれからその例を覚えるより、名詞には4種類あって、「学校」、「京都」、「3人」、「はず」、である。学校は普通名詞、京都は固有名詞・・・と覚えた方が覚え方としては優れていると思います。それくらい、知識を整理し覚えるには「例」を活用することが大切です。逆の言い方をすると、例を知らないで概念を覚えたって、一切点数には結びつきません。)

代名詞 体言(主語になる)

例、
 彼、これ

(ここでも、例が大切。代名詞には「彼」の仲間と「これ」の仲間の2種類しかないと記憶しておく。そうすると、「わたし」「彼女」や「それ」、「あれ」、「どれ」などが出てきたときにすぐに類推、応用できます。)

副詞 活用がなく、用言を修飾する

例、
 状態の副詞(擬態語・擬音語)…もくもく
 程度の副詞…かなり、たいへん
 呼応の副詞…まったく、決して、多分

(子どもたちが特に苦手な副詞。副詞全体を一つのものとして理解するのは難しい。副詞の中に種類の違うものが混在しているからです。3種類に大別されるということで3という個数をまず覚え、例示されたものを次に覚え、最後に「状態」、「程度」、「呼応」の用語を、なぜそういう呼び名がついたのかを含めて覚えます。)

連体詞 活用がなく、名詞(体言)を修飾する

例、
 あらゆる、この、大きな

(3種類あること、例示のものをしっかりと覚えておけばその仲間を探すことでたいていの問題が解けることは副詞と同様です。)

接続詞

例、
 順接(だから)
 逆接(しかし)
 並立(また)
 対比(または)
 説明(つまり)
 転換(さて)

感動詞

例、
 はい、おや

動詞 用言(活用があって、述語になる)
 終止形はウ段(例、書く)
 自動詞(例、歩く)と他動詞(例、見る)
 可能動詞(例、書ける)
 形式動詞(例、いる、みる)

形容詞 用言(活用があって、述語になる)
終止形が「い」で終わる。
「かろ」「かっ・く」「い」「い」「けれ」と活用
連用形が2つと覚える

例、
 美しい、青い、高い

形容動詞 用言(活用があって、述語になる)
「だろ」「だっ・で・に」「だ」「な」「なら」
連用形が3つと覚える

例、
 静かだ、見事だ
「~だ・~な」の2つの形があれば形容動詞


助動詞 付属語

例、
 れる・られる(受け身・可能・尊敬・自発)
 ようだ(推定、例え、例示)

(助動詞は、活用の種類もばらばらだし、意味も数が多すぎて、すべてをちゃんと覚えるのは大変です。開き直って、よく出題されるものにしぼって、そのかわりしぼったものは正確に覚えるようにと指導しています。れる・られるだと、「自発」が出ることがほとんどなので、どういうときが自発にあたるかまで覚えます。)

助詞 付属語
 格助詞(例、が)
 接続助詞(例、ても)
 副助詞(例、こそ)
 終助詞(例、か)

(助詞も、4種類であること、機能による仲間わけ、4種の名称を覚える、この3段階をこの順で覚えるのがよいと思います。)

助詞と助動詞に関しては、ひらがな1字か2字または3字で、文の中途で使われていれば助詞、文の最後に出てきたら助動詞などといった、非常に乱暴な見分け方も指示したりします。
それぞれ例外も多く、学問的にはまったく正しくありませんが、ここではあえて目をつぶって、まず子どもに「わかった(かも)」「解ける(かも)」「できる(かも)」と思わせることのほうが大切だと私は思っているからです。

どんなときに、読点

★どんなときに、
 読点( 、)をうてばよいか -その1-


日本語は融通無碍、
 英語ほどちゃんとした規則はないように思われます。

※ゆうずうむげ【融通無礙】
 何ものにもとらわれることなく自由である


読点をうつべき場所を指示する、
 確固とした規準が載っている国語・作文の参考書はありません。


調べてみると、
http://www.bunka.go.jp/kokugo/pdf/kugiri.pdf#search=%27 
を、見つけることができました。
昭和21年に文部省(今の文部科学省)が作成した国語表記法統一基準です。
60年以上前の文書ですが、
 現在でもテンのうちかたに関しては唯一の有効な公文書のようです。

役所の文特有の、非常に読みにくい文章ですが、我慢して読んでみましょう。

この文書によると、
 読点をうつべき場合として、
 次の10個が挙げられています。

第1の原則 「文の中止にうつ
 (例:父も喜び、母も喜んだ。)」

第2の原則 「副詞的語句の前後にうつ
 (例:昨夜、帰宅以来、お尋ねの件について、日誌を調べてみましたところ、やはり、前に申し上げたとおりでした。)」

ただし、この後の附則がややこしい。

まず、「読点ではさんだ語句をとばして読んでも文脈が通じるように読点をうつのが、読点のうち方の最も重要な、一番多く使われる原則である」と書いてある。確かに上の例文だと、読点ではさまれたどの語句を削っても、一応意味は通じます。
でもこんなところで「最も重要な、一番多く使われる原則」を出さんといてほしいわ、それなら最初に掲げとけ!と、私はそろそろこのあたりで切れかけています。

さらに、「うった後、口調の上で不必要なものを消す」と書いてある。(例:昨夜、帰宅以来、お尋ねの件について日誌を調べてみましたところ、やはり前に申し上げたとおりでした。)
どのテンを消すかは、「それぞれの文に従い、適当に調節するのである」だそうです。「適当に調節」って、そんなテキトーな…。

そして、「接続詞(例:また、)、感嘆詞(例:おや、)、呼びかけ(例:坊や、)や返事(はい、)は副詞句に入る」、「形容詞的語句の重なりも順ずる(例:くじゃくの、長い、美しい尾)」だそうです。

第1、第2の原則と言っておいて、次からは原則の言葉は出てきません(ほんとに読みにくい文章です、今、マジでむかついています)。私が勝手に第3・4…の原則とつけることにします。

第3の原則 読み誤る場合にうつ
 (例:よく晴れた夜空を仰ぐ→よく晴れた夜、空を仰ぐ)

第4の原則 読みの間(ま)にうつ
 (例:カン、カン、カン)

第5の原則 提示した語の下にうつ
 (例:秋祭り、それは最も楽しい日です)

第6の原則 並列の単語の間にうつ
 (例:まつ、すぎ、ひのき、)

第7の原則 会話、引用文のカギ「 」の前でうつ
 (例:友だちが、「ここまでおいで。」と言った。)

第8の原則 会話、引用文の後を「と」で受けるとき、「と思った」はうたない、「と、花子さんはおもった」のように主格や他の語(他の語ってなんやねん?「思った」は他の語とちゃうんかい!)がくるときはうつ

第9の原則 並列の「と」をともなって主語が重なる場合はうつ(例:父と、母と、兄との3人で)が、必要でない限りは省略する(ムカあああ!省略するんかい!!)

第10の原則 数字の位取りでうつ(例:千二百三十五だと1、235)

以上です。

外国語以上に読みにくい文書でした。
 ほとんど意味不明、さっぱりわからん。

どんなときに、読点

★どんなときに、
 読点( 、)をうてばよいか -その2-

読点(とうてん・てん)のうちかたに関する唯一の公文書、
 文部科学省『国語表記法統一基準』ですが、

昨日の-その1-で検討したことからわかるように、
 私たちが文章を書く際に参考になるような代物(しろもの)ではありません。

また、
 当該文書自体が「文部省で編修又は
 作成する各種の教科書や文書などの国語の表記法を統一し、
 その基準を示す」と述べており、
 国民の表記全体を統制するものでもありません。

そこで、
 私たちなりの国語表記法基準を考えてみましょう。

読点をうつかどうかは
 文章を書く人が決定します。


 読む人が決めるわけではない。
 
ですから、
 書く人が読む人にどうしてほしくて
 読点をうつのかの立場から基準を考えるべきです。

その観点から読点をうつべき場所をいろいろじっくりと考察してみると、
 書く人が1個の思考のかたまりを述べている場所ごとに読点で区切る
 書く人や読む人が1つの場面を思いうかべるごとに読点で区切る
 この2者が大原則ではないかと思い始めました。

上の文でも、
 「私がいろいろ考察する」場面、
 「1つの思考ごとに区切る」という概念、
 「1つの場面を思いうかべるごとに」という別の概念、

 「2者を総合」と両方を視野に入れた場面の4つのかたまりがあり、
 その場所ごとに区切って読点をうっています。

比喩で言うと、
 映画やテレビドラマで
 カメラのショットが変わるたびに読点をうつ、
 という感じです。


頭の中に
 スクリーンなりテレビ画面があって、
 「おじいさんは山に芝刈りに、」で山へ向かうおじいさんを思いうかべる、
 「おばあさんは川に洗濯に、」で洗濯するおばあさんを思いうかべる、
 「そこへ川上からどんぶらこどんぶらこと桃が流れてきました」で
 流れてくる桃を思いうかべる。
 その場面の区切りにうつのがテン、読点です。


「おばあさんは川に洗濯に」だと、
  おばあさんが川に洗濯に向かう1場面、

あるいは川で洗濯する1場面だけですが、
 「おばあさんは、川に洗濯に」とテンで区切ると、
 まずおばあさんのの全体像が頭のスクリーンに登場し、
 次に川へ向かうおばあさんの後姿にかわる、
 このように読点によって頭の画面が切り替わりませんか?

この原理で、
 読点をうつべき場所すべての説明ができそうです。

例えば、
 昨日の文部省が掲げる例のうち、
 並列の単語の間にテンをうつ
 (例:まつ、すぎ、ひのき、)場合、

 私たちは脳裏に、まつ、すぎ、ひのきを一つずつ順に思いうかべています。

また、
 (例:父と、母と、兄との3人で)と書かれていたら、
 父、母、兄が別々に順番にイメージされ、

 読点を省略して「父と母と兄の3人で」と書かれていれば
 3人のまとまった集団が最初から頭にうかんでいるはずです。

「映画やテレビドラマに例えると、
 ワン・シーン切り替わるごとに文章だと読点をうつ。」
 これが私の提案する読点のうちかたの大原則です。

この大原則だけでは、
 まだ実際の役には立ちません。

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