「目的に達する」と「目的を達する」はどう違う?
「目的に達する」と「目的を達する」はどう違う?
「(目的に)達する」と
「(目的を)達する」は、
同じ語形で対となる自動詞と他動詞です。
このように
同じ語形の自動詞と他動詞は
数の上ではあまり多くはありません
他に
扉が ひらく
扉を ひらく
などが、
意味的に対応し
語形に共通部分をもつ自動詞・他動詞の対であれば、
容易に見いだすことができます
「集まる/集める」
「倒れる/倒す」など
このような
同じ語形あるいは
意味的に対応し語形に共通部分をもつ自動詞と他動詞は、
次の例に見られるように、
自動詞が非意図的な動きを、
他動詞が意図的な動きを表します。
自ずと目的に達した。
×自ずと目的を達した。
×苦労して目的に達した。
苦労して目的を達した。
また、
一般に自動詞と他動詞の対では、
「Aガ+自動詞」
「Aヲ+他動詞」のように、
自動詞を用いた場合に
他動詞の目的語が主語になります。
客ガ集まる/客ヲ集める
老木ガ倒れる/老木ヲ倒す
目的 に 達する
目的 を 達する
の場合にはこれが見られず
同じ語形の対であっても
扉 ガ ひらく
扉 ヲ ひらく
の場合はこれに合致する
通常の自動詞・他動詞の対とはやや性質を異にします。
「(目的に)達する」と
「(目的を)達する」は、
同じ語形で対となる自動詞と他動詞です。
このように
同じ語形の自動詞と他動詞は
数の上ではあまり多くはありません
他に
扉が ひらく
扉を ひらく
などが、
意味的に対応し
語形に共通部分をもつ自動詞・他動詞の対であれば、
容易に見いだすことができます
「集まる/集める」
「倒れる/倒す」など
このような
同じ語形あるいは
意味的に対応し語形に共通部分をもつ自動詞と他動詞は、
次の例に見られるように、
自動詞が非意図的な動きを、
他動詞が意図的な動きを表します。
自ずと目的に達した。
×自ずと目的を達した。
×苦労して目的に達した。
苦労して目的を達した。
また、
一般に自動詞と他動詞の対では、
「Aガ+自動詞」
「Aヲ+他動詞」のように、
自動詞を用いた場合に
他動詞の目的語が主語になります。
客ガ集まる/客ヲ集める
老木ガ倒れる/老木ヲ倒す
目的 に 達する
目的 を 達する
の場合にはこれが見られず
同じ語形の対であっても
扉 ガ ひらく
扉 ヲ ひらく
の場合はこれに合致する
通常の自動詞・他動詞の対とはやや性質を異にします。
「そして」「それから」「それで」はどう違う?
「そして」「それから」「それで」はどう違う?
「そして」「それから」「それで」は、
一見したところ、
いずれも順接の接続表現のように感じられます。
しかし、
三つの接続詞が同じ文脈で等しく用いられるかというと、
そうではありません。
以下のように
原因を表す文脈には、
「それで」を用いることはできますが、
「そして」「それから」を用いることはできません。
○太郎は昨日花子と喧嘩した。それで機嫌が悪いのだ。
×太郎は昨日花子と喧嘩した。そして/それから機嫌が悪いのだ。
「そして」と
「それから」については、
以下のようにものを列挙していく場合には、
「それから」の方が用いられやすいように思います。
○リンゴとオレンジと、それから苺を買ってきました。
×リンゴとオレンジと、そして苺を買ってきました。
一方、行為を列挙するような場合には、
歯を磨き、顔を洗い、それから髭を剃った。
歯を磨き、顔を洗い、そして髭を剃った。
と、いずれもが可能ですが、
そのような場合にも以下のような違いが見受けられます。
○遊びに行きたいのなら、宿題をして、それから出掛けなさい。
×遊びに行きたいのなら、宿題をして、そして出掛けなさい。
「そして」「それから」「それで」は、
一見したところ、
いずれも順接の接続表現のように感じられます。
しかし、
三つの接続詞が同じ文脈で等しく用いられるかというと、
そうではありません。
以下のように
原因を表す文脈には、
「それで」を用いることはできますが、
「そして」「それから」を用いることはできません。
○太郎は昨日花子と喧嘩した。それで機嫌が悪いのだ。
×太郎は昨日花子と喧嘩した。そして/それから機嫌が悪いのだ。
「そして」と
「それから」については、
以下のようにものを列挙していく場合には、
「それから」の方が用いられやすいように思います。
○リンゴとオレンジと、それから苺を買ってきました。
×リンゴとオレンジと、そして苺を買ってきました。
一方、行為を列挙するような場合には、
歯を磨き、顔を洗い、それから髭を剃った。
歯を磨き、顔を洗い、そして髭を剃った。
と、いずれもが可能ですが、
そのような場合にも以下のような違いが見受けられます。
○遊びに行きたいのなら、宿題をして、それから出掛けなさい。
×遊びに行きたいのなら、宿題をして、そして出掛けなさい。
「〜ようだ」と「〜そうだ」はどう違う?
「〜ようだ」と「〜そうだ」はどう違う?
「〜ようだ」と
「〜そうだ」は
どちらも
何かを推し量るという意味では共通しています。
しかし
その構造を観察すると次のような違いがあります。
今夜は遅くなる ようだ
昨夜は遅くなった ようだ
今夜は遅くなり そうだ
×昨夜は遅くなりた そうだ
つまり
「ようだ」は
推し量る内容が
「ル形」でも「タ形」でもいいのに対し、
「そうだ」は
連用形(形容詞の場合は語幹)
でなければならないという違いです。
これは、
「ようだ」は
推し量る内容の出来事が起こる時点が、
それを推し量っている時点より後でも前でもいい
(つまり「ル形」でも「タ形」でもいい)のに対し、
「そうだ」は
推し量る内容の出来事が起こる時点が、
それを推し量っている時点から相対的に決まる
(したがって主節と独立した時制を表すルやタは現れない)、
という違いを反映しています。
少し乱暴に言えば
「ようだ」は
未来のことも過去のことも推し量れるの
「そうだ」は
未来のことしか推し量れない
ということです。
時制が主節と独立できるかどうかは、
推量時点と推量内容の緊密性として語感に現れるようです。
「死にそうだ」と言えば
「死」が切迫している印象を与えますが、
「死ぬようだ」と言った場合は
突き放した言い方に聞こえます
(自分のことを言うときに「私は死ぬようだ」と言うと
妙に冷ややかな印象があると思います)。
直観的に言えば
「そうだ」は
「今まさにそうなりつつある」という切迫感がある
「ようだ」は
「そういう可能性がある」というように現在と切り離された
「判断」や「推量」を表す
といった語感の違いがあります。
「〜ようだ」と
「〜そうだ」は
どちらも
何かを推し量るという意味では共通しています。
しかし
その構造を観察すると次のような違いがあります。
今夜は遅くなる ようだ
昨夜は遅くなった ようだ
今夜は遅くなり そうだ
×昨夜は遅くなりた そうだ
つまり
「ようだ」は
推し量る内容が
「ル形」でも「タ形」でもいいのに対し、
「そうだ」は
連用形(形容詞の場合は語幹)
でなければならないという違いです。
これは、
「ようだ」は
推し量る内容の出来事が起こる時点が、
それを推し量っている時点より後でも前でもいい
(つまり「ル形」でも「タ形」でもいい)のに対し、
「そうだ」は
推し量る内容の出来事が起こる時点が、
それを推し量っている時点から相対的に決まる
(したがって主節と独立した時制を表すルやタは現れない)、
という違いを反映しています。
少し乱暴に言えば
「ようだ」は
未来のことも過去のことも推し量れるの
「そうだ」は
未来のことしか推し量れない
ということです。
時制が主節と独立できるかどうかは、
推量時点と推量内容の緊密性として語感に現れるようです。
「死にそうだ」と言えば
「死」が切迫している印象を与えますが、
「死ぬようだ」と言った場合は
突き放した言い方に聞こえます
(自分のことを言うときに「私は死ぬようだ」と言うと
妙に冷ややかな印象があると思います)。
直観的に言えば
「そうだ」は
「今まさにそうなりつつある」という切迫感がある
「ようだ」は
「そういう可能性がある」というように現在と切り離された
「判断」や「推量」を表す
といった語感の違いがあります。
「○○します」と「○○をします」
「○○します」と「○○をします」。
どんな単語は両方に使える?
「○○する」と
「○○をする」の違いは
人によって差異が見られる場合もありますが、
「を」が出現できる場合と
出現できない場合が存在するのは確かです。
このような表現には
基本的に
両者が可能なものと、
「○○する」しか言えないものの2種があります
(「スキー」は
「今度一緒にスキーしませんか」
など問題なく言えると思われます)。
ではどのような場合
「○○する」しか言えなくなるのでしょうか。
○散歩する
○散歩をする
○日本の歴史を勉強する
○日本の歴史の勉強をする
○その火事で建物を焼失した。
×その火事で建物の焼失をした。
「散歩」
「勉強」
ではどちらの表現も可能ですが、
「焼失」では
「○○をする」にできません。
この理由の説明には
諸説ありますが、
おおむね
見解が一致しているのは、
動作・行為が
意図的でない場合は
「○○をする」にできない、という点です。
「散歩」も
「勉強」も
主体の意図に基づいて行われる行為ですが、
「焼失」は
「建物」の状態変化であって意図を伴いません。
ここから
「結婚」に関して人によって直観が分かれるのは、
「結婚」を意図的な行為(したがって「を」をとる)と捉えるか、
それとも[独身→既婚]という属性の変化(
したがって「を」をとらない)と捉えるか、
という見方の違いと考えることができます。
どんな単語は両方に使える?
「○○する」と
「○○をする」の違いは
人によって差異が見られる場合もありますが、
「を」が出現できる場合と
出現できない場合が存在するのは確かです。
このような表現には
基本的に
両者が可能なものと、
「○○する」しか言えないものの2種があります
(「スキー」は
「今度一緒にスキーしませんか」
など問題なく言えると思われます)。
ではどのような場合
「○○する」しか言えなくなるのでしょうか。
○散歩する
○散歩をする
○日本の歴史を勉強する
○日本の歴史の勉強をする
○その火事で建物を焼失した。
×その火事で建物の焼失をした。
「散歩」
「勉強」
ではどちらの表現も可能ですが、
「焼失」では
「○○をする」にできません。
この理由の説明には
諸説ありますが、
おおむね
見解が一致しているのは、
動作・行為が
意図的でない場合は
「○○をする」にできない、という点です。
「散歩」も
「勉強」も
主体の意図に基づいて行われる行為ですが、
「焼失」は
「建物」の状態変化であって意図を伴いません。
ここから
「結婚」に関して人によって直観が分かれるのは、
「結婚」を意図的な行為(したがって「を」をとる)と捉えるか、
それとも[独身→既婚]という属性の変化(
したがって「を」をとらない)と捉えるか、
という見方の違いと考えることができます。
「のみ」「だけ」「きり」はどう違う?
「のみ」「だけ」「きり」はどう違う?
まず使われる場面から三者を比較すると、
「のみ」がもっとも形式的(文章語的)で、
「だけ」は中立的、
「きり」は比較的話し言葉に多く見られます。
形式的側面から見ると、
「のみ/だけ」と
「きり」の間には分布のずれが見られます。
「きり」が「しか」と同じように
「〜ない」と呼応する形で用いられることもあります。
もう百円きり(=しか)残っていない。
※こ‐おう【呼応】-日本国語大辞典
〔名〕一方のものが呼び、
または話しかけ、
相手がそれに答えること。受け答え。
「だけ/のみ」は
「しか」のように「〜ない」と呼応することはありません。
×もう百円だけ/のみ残っていない。
このほか
「きり」には
「それきり連絡がない」のように
「だけ/のみ」に見られない用法があることも考えると、
「きり」は
「だけ/のみ」とかなり性質の異なる成分だと思われます。
まず使われる場面から三者を比較すると、
「のみ」がもっとも形式的(文章語的)で、
「だけ」は中立的、
「きり」は比較的話し言葉に多く見られます。
形式的側面から見ると、
「のみ/だけ」と
「きり」の間には分布のずれが見られます。
「きり」が「しか」と同じように
「〜ない」と呼応する形で用いられることもあります。
もう百円きり(=しか)残っていない。
※こ‐おう【呼応】-日本国語大辞典
〔名〕一方のものが呼び、
または話しかけ、
相手がそれに答えること。受け答え。
「だけ/のみ」は
「しか」のように「〜ない」と呼応することはありません。
×もう百円だけ/のみ残っていない。
このほか
「きり」には
「それきり連絡がない」のように
「だけ/のみ」に見られない用法があることも考えると、
「きり」は
「だけ/のみ」とかなり性質の異なる成分だと思われます。
「部屋を出る」と「部屋から出る」はどう違う?
「部屋を出る」と「部屋から出る」はどう違う?
まず、
移動する前の場所(起点)を表す
このような
「を」と「から」には
いくつかの違いが見られます。
(1)「出る」主体が
意志を持っていないものの場合
「から」だけが使われる。
煙突から煙が出る。
×煙突を煙が出る。
(2)移動する先も含めて言うときは
「から」だけが使われる。
部屋から廊下に出る。
×部屋を廊下に出る。
(3)物理的でない移動には「を」だけが使われる。
大学を出る。 (大学を卒業する/大学の建物から出る)
大学から出る。(大学の建物から出る)
では
ご質問のように
「を」も「から」も
両方可能な場合はどう違うのかというと、
普段は両方使えても、
移動の起点がとりたてて問題にるようなときは
「から」だけが使われる傾向があります。
5番線から「のぞみ12号」が発車した。
5番線を「のぞみ12号」が発車した。
何番線から「のぞみ12号」が発車するんですか?
×何番線を「のぞみ12号」が発車するんですか?
まず、
移動する前の場所(起点)を表す
このような
「を」と「から」には
いくつかの違いが見られます。
(1)「出る」主体が
意志を持っていないものの場合
「から」だけが使われる。
煙突から煙が出る。
×煙突を煙が出る。
(2)移動する先も含めて言うときは
「から」だけが使われる。
部屋から廊下に出る。
×部屋を廊下に出る。
(3)物理的でない移動には「を」だけが使われる。
大学を出る。 (大学を卒業する/大学の建物から出る)
大学から出る。(大学の建物から出る)
では
ご質問のように
「を」も「から」も
両方可能な場合はどう違うのかというと、
普段は両方使えても、
移動の起点がとりたてて問題にるようなときは
「から」だけが使われる傾向があります。
5番線から「のぞみ12号」が発車した。
5番線を「のぞみ12号」が発車した。
何番線から「のぞみ12号」が発車するんですか?
×何番線を「のぞみ12号」が発車するんですか?
「不思議の国のアリス」と「不思議な国のアリス」はどう違う?
「不思議の国のアリス」と
「不思議な国のアリス」はどう違う?
「の」の表す意味には、
「所有」(「姉の自転車」)、
「同格」(「弟の次郎」)、
「対象」(「日本語の研究」)
など様々なものがあります。
「の」の前にある
名詞が物事の性質を表すようなものである場合、
「の」は
「性質・状態」を表すと言われています。
ご指摘の
「不思議の国のアリス」はこの場合であって、
形容動詞によって
連体修飾された
「不思議な国なアリス」という表現に近い意味を表します。
2つの表現は
同じような意味を表しているように見えますが、
「不思議の国のアリス」の方は、
「不思議の国」がある種の固有名となっており、
「不思議の国」というものが存在し
そこにアリスがいるという意味を表しています。
一方の
「不思議な国のアリス」の方は、
同様の読みができません。
前者が本のタイトルであり、
「不思議の国」というものが
存在するとの知識によるのではないか……と思われるやもしれませんが、
これは
2つの表現一般に見られる傾向のようです。
試みにインターネットで検索をおこなったところ、
ホームページ名のように固有名として用いられる場合には、
2つの形式が可能であっても
「〜の国」のほうが選ばれており、
「〜な国」が用いられるのは
「○○は〜な国」
「〜な国・○○」
(「平和な国・日本」)のように、
ある国が
どんな性質を持っているのかを
説明する文脈においてです。
したがって、
2つの表現のうち
「〜の国」と「の」を用いた方が
後の名詞との結び付きが
強いといえるのではないでしょうか。
本のタイトル
「不思議の国のアリス」が、
「不思議な」ではなく
「不思議の」となっているのもこれによるものでしょう。
「不思議な国のアリス」はどう違う?
「の」の表す意味には、
「所有」(「姉の自転車」)、
「同格」(「弟の次郎」)、
「対象」(「日本語の研究」)
など様々なものがあります。
「の」の前にある
名詞が物事の性質を表すようなものである場合、
「の」は
「性質・状態」を表すと言われています。
ご指摘の
「不思議の国のアリス」はこの場合であって、
形容動詞によって
連体修飾された
「不思議な国なアリス」という表現に近い意味を表します。
2つの表現は
同じような意味を表しているように見えますが、
「不思議の国のアリス」の方は、
「不思議の国」がある種の固有名となっており、
「不思議の国」というものが存在し
そこにアリスがいるという意味を表しています。
一方の
「不思議な国のアリス」の方は、
同様の読みができません。
前者が本のタイトルであり、
「不思議の国」というものが
存在するとの知識によるのではないか……と思われるやもしれませんが、
これは
2つの表現一般に見られる傾向のようです。
試みにインターネットで検索をおこなったところ、
ホームページ名のように固有名として用いられる場合には、
2つの形式が可能であっても
「〜の国」のほうが選ばれており、
「〜な国」が用いられるのは
「○○は〜な国」
「〜な国・○○」
(「平和な国・日本」)のように、
ある国が
どんな性質を持っているのかを
説明する文脈においてです。
したがって、
2つの表現のうち
「〜の国」と「の」を用いた方が
後の名詞との結び付きが
強いといえるのではないでしょうか。
本のタイトル
「不思議の国のアリス」が、
「不思議な」ではなく
「不思議の」となっているのもこれによるものでしょう。
「には」と「では」はどう違う?
「には」と「では」はどう違う?
「に」と「で」は非常に多くの用法が見られるため、
ここですべての用法を列挙することはできませんが、
そうした中で
両者が意味的に非常に似た関係に立つことがあります。
その一例として
例えば次のような場合が挙げられます。
広場にはたくさんの人が集まっていた。
広場ではたくさんの人が集まっていた。
これらは
若干のニュアンスの違いはあるものの、
そこに表されている内容は
ほぼ同じことがらを指し示しています。
この点について考える前に、
まず
「に」と「で」の違いについて
ごく単純な例を用いて観察することにします。
部屋に机がある。
×部屋で机がある。
部屋で子供がゲームをしている。
×部屋に子供がゲームをしている。
これらの例では
「部屋で」と「部屋に」がどちらも
[場所]を表していますが、
後ろにくる表現によって
「に」が使えない場合と
「で」が使えない場合があります。
この違いは
それぞれの[場所]が
「何かが存在する場所」であるか
「動作・行為・出来事が起こっている場所」
であるかという違いに関係しています。
すなわち
[存在]の場所を指す場合は
「に」が用いられ、
[動作・行為・出来事]の場所を指す場合は
「で」が用いられています。
したがって、
ご質問の
「に」が使えない場合とは
[動作・行為・出来事]の場所を指す場合ということになります。
では
最初の例は
なぜ
「に」も「で」も用いることが可能なのでしょうか。
それは
「集まっている」という表現の表す意味の多様さと関係しています。
「集まっている」は
「集合する」という動作や
「集会を開く」という行為が
今目の前で行われているという解釈を持つ一方で
「集まった結果そこに複数の人が存在する」という解釈も可能です。
これは
つまり文脈次第で
「集まっている」という表現に
動作や行為の解釈と
存在の解釈の
いずれを
読みこむことも可能であるということです。
したがって
前者の場合は
「集まる」行為を行う場所を「で」で指し示し、
後者の場合は
「集まっている」存在の場所を「に」で指し示すことになるわけです。
「に」と「で」は非常に多くの用法が見られるため、
ここですべての用法を列挙することはできませんが、
そうした中で
両者が意味的に非常に似た関係に立つことがあります。
その一例として
例えば次のような場合が挙げられます。
広場にはたくさんの人が集まっていた。
広場ではたくさんの人が集まっていた。
これらは
若干のニュアンスの違いはあるものの、
そこに表されている内容は
ほぼ同じことがらを指し示しています。
この点について考える前に、
まず
「に」と「で」の違いについて
ごく単純な例を用いて観察することにします。
部屋に机がある。
×部屋で机がある。
部屋で子供がゲームをしている。
×部屋に子供がゲームをしている。
これらの例では
「部屋で」と「部屋に」がどちらも
[場所]を表していますが、
後ろにくる表現によって
「に」が使えない場合と
「で」が使えない場合があります。
この違いは
それぞれの[場所]が
「何かが存在する場所」であるか
「動作・行為・出来事が起こっている場所」
であるかという違いに関係しています。
すなわち
[存在]の場所を指す場合は
「に」が用いられ、
[動作・行為・出来事]の場所を指す場合は
「で」が用いられています。
したがって、
ご質問の
「に」が使えない場合とは
[動作・行為・出来事]の場所を指す場合ということになります。
では
最初の例は
なぜ
「に」も「で」も用いることが可能なのでしょうか。
それは
「集まっている」という表現の表す意味の多様さと関係しています。
「集まっている」は
「集合する」という動作や
「集会を開く」という行為が
今目の前で行われているという解釈を持つ一方で
「集まった結果そこに複数の人が存在する」という解釈も可能です。
これは
つまり文脈次第で
「集まっている」という表現に
動作や行為の解釈と
存在の解釈の
いずれを
読みこむことも可能であるということです。
したがって
前者の場合は
「集まる」行為を行う場所を「で」で指し示し、
後者の場合は
「集まっている」存在の場所を「に」で指し示すことになるわけです。
「で」と「に」
「独りで」「二人で」「みんなで」は「で」なのに、
なぜ「いっしょに」は「に」になる?
「一人で/二人で/みんなで 歌う」の
「一人で/二人で/みんなで」、
「一緒に歌う」の「一緒に」は、
同じような場面で用いることができ、
似通った意味を表しているように感じられますが、
以下の点で異なっています。
「一人で/二人で/みんなで」は、
名詞および範囲を限定する
格助詞「で」からなる表現で、
「一人で/二人で/みんなで 歌う」の
「一人で/二人で/みんなで」は、
「歌う」という動作をおこなう主体の範囲を示す表現です。
したがって、
「で」の前の名詞は「一人/二人」など人/
ものの数を表す名詞、
「みんな」「社員」「参加者」など人/
ものの集合を表す名詞に限られます。
一方、
「一緒に」は
「歌う」という動作がどのように行われるかを示す表現であり、
「ゆっくり」
「高らかに」などとひとまとめに扱うことができるものです。
上に挙げた
「歌う」の例では
この違いはそれほどはっきりとはしませんが、
以下のように、
「リンゴとミカンを食べた」のような例では、
この違いが明確になります。
リンゴとミカンを二人で食べた。
リンゴとミカンを一緒に食べた。
先の文では、
「二人で」は
主体の範囲を限定していますが、
後の文の
「一緒に」は
「食べる」という動作がどのように行われるかを示すのみですから、
この文は
「太郎と次郎が(リンゴとミカンを)分け合って食べた」という意味にも
「(太郎が)リンゴとミカンをいっぺんに食べた」という意味にも解釈可能です。
なぜ「いっしょに」は「に」になる?
「一人で/二人で/みんなで 歌う」の
「一人で/二人で/みんなで」、
「一緒に歌う」の「一緒に」は、
同じような場面で用いることができ、
似通った意味を表しているように感じられますが、
以下の点で異なっています。
「一人で/二人で/みんなで」は、
名詞および範囲を限定する
格助詞「で」からなる表現で、
「一人で/二人で/みんなで 歌う」の
「一人で/二人で/みんなで」は、
「歌う」という動作をおこなう主体の範囲を示す表現です。
したがって、
「で」の前の名詞は「一人/二人」など人/
ものの数を表す名詞、
「みんな」「社員」「参加者」など人/
ものの集合を表す名詞に限られます。
一方、
「一緒に」は
「歌う」という動作がどのように行われるかを示す表現であり、
「ゆっくり」
「高らかに」などとひとまとめに扱うことができるものです。
上に挙げた
「歌う」の例では
この違いはそれほどはっきりとはしませんが、
以下のように、
「リンゴとミカンを食べた」のような例では、
この違いが明確になります。
リンゴとミカンを二人で食べた。
リンゴとミカンを一緒に食べた。
先の文では、
「二人で」は
主体の範囲を限定していますが、
後の文の
「一緒に」は
「食べる」という動作がどのように行われるかを示すのみですから、
この文は
「太郎と次郎が(リンゴとミカンを)分け合って食べた」という意味にも
「(太郎が)リンゴとミカンをいっぺんに食べた」という意味にも解釈可能です。
「山に登る」と「山を上る」はどう違う?
「山に登る」と「山を上る」はどう違う?
「山を登る」は、
「まで」を使うことで
具体的に
山のどこを
目的地として登山するのかを
表すことができます。
一方
「山に登る」は
「まで」を使って
具体的な
目的地を表すことができません。
○富士山を頂上まで登る。
×富士山に頂上まで登る。
後者の場合の
「に」は
「駅に着く」
「学校に行く」などの
いわば目的地を表すために用いる「に」と考えられます。
したがって
「山に」ですでに目的地を示しているのに、
更に「頂上まで」と
もうひとつ目的地を重ねて示すのは
不自然になるわけです。
前者の
「を」は
移動の目的地ではなく、
「公園を散歩する」などのように
移動行為が行われる場所を示していると考えられます。
「山を」は
登山を行う場所を示していると考えると、
目的地の「頂上まで」を加えても
不自然にはならないということになります。
「アメリカに行きます」と「アメリカへ行きます」はどう違う?
「アメリカに行きます」と「アメリカへ行きます」はどう違う?
文法的には、
「行く」のような
移動を表す動詞とともに使われる場合、
「に」は
到着点、帰着場所を示し、
「へ」は
移動の方向性を示す意識が強くなります。
また、
だいたい
「へ」が使える時は
「に」に置きかえられますが、
反対に
「に」を
「へ」に置きかえることはできないことがあります。
例えば、
○「彼にネクタイをあげた」とは言えますが、
×「彼へネクタイをあげた」はおかしいし、
○「机の上に本がある」とは言えますが、
×「机の上へ本がある」とは言えません。
つまり、
「へ」のほうが「に」より用法が狭いのです。
「彼女へのプレゼント」
「兄への伝言」のような
「〜への……」形式は、
「へ」が「に」に置きかえられない数少ない例です。
文法的には、
「行く」のような
移動を表す動詞とともに使われる場合、
「に」は
到着点、帰着場所を示し、
「へ」は
移動の方向性を示す意識が強くなります。
また、
だいたい
「へ」が使える時は
「に」に置きかえられますが、
反対に
「に」を
「へ」に置きかえることはできないことがあります。
例えば、
○「彼にネクタイをあげた」とは言えますが、
×「彼へネクタイをあげた」はおかしいし、
○「机の上に本がある」とは言えますが、
×「机の上へ本がある」とは言えません。
つまり、
「へ」のほうが「に」より用法が狭いのです。
「彼女へのプレゼント」
「兄への伝言」のような
「〜への……」形式は、
「へ」が「に」に置きかえられない数少ない例です。
「は」と「が」の使い分けを教えてください。
格助詞の「は」と「が」の使い分けを教えてください。
我々は
日常特に意識することなく
「は」と「が」の使い分けを行っています。
しかし
この「は」と「が」の使い分けは、
いざ
そのすべてを説明するとなると
専門家の間でも議論となるような複雑な問題をはらんでいます。
とはいえ、
基本的な使い方は
さほど難しいものではありません。
ここでは
細かい問題には言及せずに、
「は」と「が」の
もっとも基本的な違いを見ることにします。
文には
大きく分けて3つあります
名詞を述語とした
「名詞文」
形容詞(イ形容詞)や形容動詞(ナ形容詞)を述語とした
「形容詞文」
動詞を述語とした
「動詞文」
があります。
具体的には次の通りです。
佐藤さんは社長だ。(名詞文)
佐藤さんはやさしい。(形容詞文)
佐藤さんが来た。(動詞文)
さて、
これらの文ではいずれも
主語が「佐藤さん」ですが、
名詞文と形容詞文は
主語が「は」で示されているのに対し、
動詞文では
主語が「が」で示されていることに気が付きます。
このように、
通常
「は」は
名詞文および形容詞文の主語を提示し、
「が」は
動詞文の主語を提示するという違いがあります。
また
先の例は
「は」と「が」を入れ替えることも出来ますが、
その場合は
解釈が異なり、
特別な意味を持つようになってきます。
佐藤さんが社長だ。(名詞文)
佐藤さんがやさしい。(形容詞文)
佐藤さんは来た。(動詞文)
名詞文や形容詞文の
主語に「が」を付けると、
「社長なのは誰ですか?」、
「やさしいのはどの人ですか?」
といった疑問への答えや、
「他のどの人でもなく佐藤さんこそ」が
「社長」であったり
「やさしい」という解釈になります。
つまり
この場合は
他の人物を排除して、
ある人物を特定するような解釈となります。
一方、
動詞文の主語に
「は」をつけた場合
「他の人は来なかったが、佐藤さんは来た」のように
他の人物を排除するような解釈となります。
ここで挙げた例は
「は」と「が」の使い分けの一部であり、
また使われる場面によって例外もありますが、
ここでの違いは以下のようにまとめられます。
1)通常は、
名詞文・形容詞文の
主語は「は」、
動詞文の
主語は「が」で示す。
2)名詞文・形容詞文の
主語を「が」、
動詞文の主語を「は」で示すと、
他を排除して該当者を特定するような解釈となる。
我々は
日常特に意識することなく
「は」と「が」の使い分けを行っています。
しかし
この「は」と「が」の使い分けは、
いざ
そのすべてを説明するとなると
専門家の間でも議論となるような複雑な問題をはらんでいます。
とはいえ、
基本的な使い方は
さほど難しいものではありません。
ここでは
細かい問題には言及せずに、
「は」と「が」の
もっとも基本的な違いを見ることにします。
文には
大きく分けて3つあります
名詞を述語とした
「名詞文」
形容詞(イ形容詞)や形容動詞(ナ形容詞)を述語とした
「形容詞文」
動詞を述語とした
「動詞文」
があります。
具体的には次の通りです。
佐藤さんは社長だ。(名詞文)
佐藤さんはやさしい。(形容詞文)
佐藤さんが来た。(動詞文)
さて、
これらの文ではいずれも
主語が「佐藤さん」ですが、
名詞文と形容詞文は
主語が「は」で示されているのに対し、
動詞文では
主語が「が」で示されていることに気が付きます。
このように、
通常
「は」は
名詞文および形容詞文の主語を提示し、
「が」は
動詞文の主語を提示するという違いがあります。
また
先の例は
「は」と「が」を入れ替えることも出来ますが、
その場合は
解釈が異なり、
特別な意味を持つようになってきます。
佐藤さんが社長だ。(名詞文)
佐藤さんがやさしい。(形容詞文)
佐藤さんは来た。(動詞文)
名詞文や形容詞文の
主語に「が」を付けると、
「社長なのは誰ですか?」、
「やさしいのはどの人ですか?」
といった疑問への答えや、
「他のどの人でもなく佐藤さんこそ」が
「社長」であったり
「やさしい」という解釈になります。
つまり
この場合は
他の人物を排除して、
ある人物を特定するような解釈となります。
一方、
動詞文の主語に
「は」をつけた場合
「他の人は来なかったが、佐藤さんは来た」のように
他の人物を排除するような解釈となります。
ここで挙げた例は
「は」と「が」の使い分けの一部であり、
また使われる場面によって例外もありますが、
ここでの違いは以下のようにまとめられます。
1)通常は、
名詞文・形容詞文の
主語は「は」、
動詞文の
主語は「が」で示す。
2)名詞文・形容詞文の
主語を「が」、
動詞文の主語を「は」で示すと、
他を排除して該当者を特定するような解釈となる。
「〜が〜てある」と「〜を〜てある」はどう違う?
「〜が〜てある」と「〜を〜てある」はどう違う?
「〜てある」には
動作の結果としての
対象の状態を表す場合があり、
このとき対象となる名詞は
「が」によってマークされます。
○壁にポスターが貼ってある。
○花瓶に花が生けてある。
上記の例では、
「壁にポスターを貼る」
「花瓶に花を生ける」
という動作の結果として、
「壁にポスターが貼られた」状態、
「花瓶に花が生けられた」状態が存在することが表されています。
この場合、
動詞は
対象の状態変化(位置変化を含む)を表すものに限られます。
上述のように
「が」によってマークされるという制約をもちますので、
「を」への言い換えができません。
この「が〜てある」という表現は、
ある事態
(「事物がある状態で存在する」という事態)を
丸ごと提示する文で、
眼に入ったものを列挙するという文脈で用いられる傾向が見られます。
また、
「〜てある」には
何かに備えての準備を表す場合があります。
席が予約してある。
席を予約してある。
「〜てある」が準備を表すときには
動詞の制限がなく、
また
対象が「が」格で
表されるという特徴も備えていません。
この場合にも、
「が」を用いた文は
事態を丸ごと提示するため、
例2のように
話し手の側から情報を提示するような文脈には
「が」で
名詞をマークした文が用いられやすく、
3のように
主題をもつ文脈には
「を」で名詞をマークした文が用いられやすい傾向が見られます。
「〜てある」には
動作の結果としての
対象の状態を表す場合があり、
このとき対象となる名詞は
「が」によってマークされます。
○壁にポスターが貼ってある。
○花瓶に花が生けてある。
上記の例では、
「壁にポスターを貼る」
「花瓶に花を生ける」
という動作の結果として、
「壁にポスターが貼られた」状態、
「花瓶に花が生けられた」状態が存在することが表されています。
この場合、
動詞は
対象の状態変化(位置変化を含む)を表すものに限られます。
上述のように
「が」によってマークされるという制約をもちますので、
「を」への言い換えができません。
この「が〜てある」という表現は、
ある事態
(「事物がある状態で存在する」という事態)を
丸ごと提示する文で、
眼に入ったものを列挙するという文脈で用いられる傾向が見られます。
また、
「〜てある」には
何かに備えての準備を表す場合があります。
席が予約してある。
席を予約してある。
「〜てある」が準備を表すときには
動詞の制限がなく、
また
対象が「が」格で
表されるという特徴も備えていません。
この場合にも、
「が」を用いた文は
事態を丸ごと提示するため、
例2のように
話し手の側から情報を提示するような文脈には
「が」で
名詞をマークした文が用いられやすく、
3のように
主題をもつ文脈には
「を」で名詞をマークした文が用いられやすい傾向が見られます。
「職が変わる」と「職を変わる」はどう違う?
「職が変わる」と「職を変わる」はどう違う?
一般的には
自動詞は、
「変わる」に対応する
他動詞は
「変える」とされています。
○色が変わる。
○色を変える。
しかし
×「色を変わる」とは言えません。
一方で
○「職が変わる」
○「職を変える」
と言うことはできます。
つまり
「職」(あるいは「仕事」「会社」など)のときだけ
「〜が変わる」
「〜を変える」のほかに
「〜を変わる」と言えるわけです。
この
「〜を変わる」は
動詞が「〜が変わる」と同じく
自動詞の形(「変わる」)をしていますが、
意味的には
次のように他動詞の「変える」に近くなります。
○早く職を変わりたい。
×早く職が変わりたい。
○早く職を変えたい。
つまり
「職が変わる」は
主体の意志と無関係なのに対し、
「職を変わる」は
主体の意志が介在しても良い、
という違いがあります。
一般的には
自動詞は、
「変わる」に対応する
他動詞は
「変える」とされています。
○色が変わる。
○色を変える。
しかし
×「色を変わる」とは言えません。
一方で
○「職が変わる」
○「職を変える」
と言うことはできます。
つまり
「職」(あるいは「仕事」「会社」など)のときだけ
「〜が変わる」
「〜を変える」のほかに
「〜を変わる」と言えるわけです。
この
「〜を変わる」は
動詞が「〜が変わる」と同じく
自動詞の形(「変わる」)をしていますが、
意味的には
次のように他動詞の「変える」に近くなります。
○早く職を変わりたい。
×早く職が変わりたい。
○早く職を変えたい。
つまり
「職が変わる」は
主体の意志と無関係なのに対し、
「職を変わる」は
主体の意志が介在しても良い、
という違いがあります。
「進歩が感じられる」と「進歩を感じられる」はどちらが正しい?
「進歩が感じられる」と「進歩を感じられる」はどちらが正しい?
×「(○○さんは最近よく勉強していて)進歩を感じられる」
という文は、
私には不自然なように思われます。
同様に可能を表す形式
「〜できる」を用いた文、
×「○○さんは最近よく勉強していて進歩を感じることができる」
もやはりすわりが悪いように思います。
可能文において用いられる動詞には、
意味の上での制約があるといわれています。
可能文に現れる動詞は、
意志的な動作
(動作主体の意志によって行なうか否かを決定できる動作)
を表す動詞に限られるようです。
ご指摘の「感じる」という動詞は、
主体の意志によって感じるか否かを決定することができない動詞です。
意志を表す
「よし、僕はそんなふうに(/進歩を)感じよう」
という言い方が
できないことがその傍証となります。
※ぼう‐しょう【傍証】-日本国語大辞典
〔名〕間接的な証拠。特に、法律上の用語。
とはいえ、
知覚に関する動詞においては、
可能と自発の意味が連続しているとの指摘もありますので、
「感じられる」は
可能の意味を表さないと断定することもできませんが。
×「(○○さんは最近よく勉強していて)進歩を感じられる」
という文は、
私には不自然なように思われます。
同様に可能を表す形式
「〜できる」を用いた文、
×「○○さんは最近よく勉強していて進歩を感じることができる」
もやはりすわりが悪いように思います。
可能文において用いられる動詞には、
意味の上での制約があるといわれています。
可能文に現れる動詞は、
意志的な動作
(動作主体の意志によって行なうか否かを決定できる動作)
を表す動詞に限られるようです。
ご指摘の「感じる」という動詞は、
主体の意志によって感じるか否かを決定することができない動詞です。
意志を表す
「よし、僕はそんなふうに(/進歩を)感じよう」
という言い方が
できないことがその傍証となります。
※ぼう‐しょう【傍証】-日本国語大辞典
〔名〕間接的な証拠。特に、法律上の用語。
とはいえ、
知覚に関する動詞においては、
可能と自発の意味が連続しているとの指摘もありますので、
「感じられる」は
可能の意味を表さないと断定することもできませんが。
「水が飲みたい」と「水を飲みたい」はどう違う?
「水が飲みたい」と「水を飲みたい」はどう違う?
「水が飲みたい」
「水を飲みたい」では、
構成要素の結びつき方に違いがあります。
「水が飲みたい」は
「水が+(飲み+たい)」、
「水を飲みたい」は
「(水を+飲み)+たい」であると分析することができます。
したがって、
「水が飲みたい」は、
「水が必要だ」
「水がほしい」のような
形容動詞・形容詞を用いた表現に近いものであり、
「水が」は
欲求の対象を示しているといえましょう。
一方
「水を飲みたい」における
「水を」は、
「飲む」という動詞の目的語であり、
「水を飲む」という行為全体を欲するという意味で
「たい」が付いた表現です。
この違いは、
次のような副詞が挿入された場合の許容度として反映されます。
?水が 3杯 飲み たい。
水を 3杯 飲み たい。
?水が ゆっくり 飲み たい。
水を ゆっくり 飲み たい。
一方、
願望・欲求の強さを表す
「どうしても」のような副詞が挿入される場合には、
○どうしても 水が 飲みたい。
○どうしても 水を 飲みたい。
のように、
いずれも問題なく許容されます。
しかし、
「水を飲みたい」のほうは、
目的語「水を」と
動詞 「飲む」との結びつきが強いので、
両者の間に「どうしても」を挿入した文は
やや座りが悪いように感じられます。
○水を どうしても 飲みたい。
cf.水が どうしても 飲みたい。
※cf. こんふぁー (一般)
cf.とは
【conferatur】【confer】【confero】の略。
参照せよ、比較せよという意味。
「水が飲みたい」
「水を飲みたい」では、
構成要素の結びつき方に違いがあります。
「水が飲みたい」は
「水が+(飲み+たい)」、
「水を飲みたい」は
「(水を+飲み)+たい」であると分析することができます。
したがって、
「水が飲みたい」は、
「水が必要だ」
「水がほしい」のような
形容動詞・形容詞を用いた表現に近いものであり、
「水が」は
欲求の対象を示しているといえましょう。
一方
「水を飲みたい」における
「水を」は、
「飲む」という動詞の目的語であり、
「水を飲む」という行為全体を欲するという意味で
「たい」が付いた表現です。
この違いは、
次のような副詞が挿入された場合の許容度として反映されます。
?水が 3杯 飲み たい。
水を 3杯 飲み たい。
?水が ゆっくり 飲み たい。
水を ゆっくり 飲み たい。
一方、
願望・欲求の強さを表す
「どうしても」のような副詞が挿入される場合には、
○どうしても 水が 飲みたい。
○どうしても 水を 飲みたい。
のように、
いずれも問題なく許容されます。
しかし、
「水を飲みたい」のほうは、
目的語「水を」と
動詞 「飲む」との結びつきが強いので、
両者の間に「どうしても」を挿入した文は
やや座りが悪いように感じられます。
○水を どうしても 飲みたい。
cf.水が どうしても 飲みたい。
※cf. こんふぁー (一般)
cf.とは
【conferatur】【confer】【confero】の略。
参照せよ、比較せよという意味。
「から」と「より」はどう違う?
「から」と「より」はどう違う?
「から」と「より」は
それぞれさまざまな用法を持っていますが、
同じような用いられ方をする場合もあります。
具体的に言えば、
「時間」や「場所・位置」などの
「開始点」ないし「起点」といったものを標示するような場合です。
「10時から/より〜」の例が
「時間の開始点」で、
「秋田から/より〜」の例が
「場所の起点」に相当します。
さて、
このような
「より」と「から」は
果たして全く同じものと見なしてよいでしょうか。
辞書の記述などでは、
どちらもほぼ同義のものとして特に区別されていないようです。
しかし、
これらをよく観察してみると、
微妙な使い分けが存在するようです。
例えば、
「から」は
「しか〜ない」や「だけ」などを用いて限定を表す表現にすることができますが、
「より」の場合はこ
うしたものを後続させると不自然な表現になります。
一般の方は10時からしか入れません。
一般の方は10時からだけ入れます。
×一般の方は10時よりしか入れません。
×一般の方は10時よりだけ入れます。
また、
どちらも「起点」「開始点」を表す点では同じですが、
「まで」と組み合わせて
時間や場所の「範囲」を表そうとした場合、
「から」は
自然ですが
「より」は
若干ですが不自然な表現となります。
福島から北が東北地方です。
福島より北が東北地方です。
福島から東京までの距離はどれくらいですか。
△福島より東京までの距離はどれくらいですか。
ただし単に
「まで」と一緒に用いる場合は
「東京まで沖縄よりはるばるやって参りました」のような表現が可能です。
しかし、
上の例は
このような語順にして
「東京までの距離は福島よりどれくらいですか」と言うことはできません。
つまり
「〜から…まで」で組になっていて、
語順が変えられないときに限り
「より」と「まで」は
用いることができないのです。
以上をまとめると
「から」「より」の表す意味自体は
ほぼ同じですが、
用いられ方に関しては、
限定表現をつくる場合
および
「まで」との組み合わせで範囲を表す場合に
両者で違いが生じるようになります。
「から」と「より」は
それぞれさまざまな用法を持っていますが、
同じような用いられ方をする場合もあります。
具体的に言えば、
「時間」や「場所・位置」などの
「開始点」ないし「起点」といったものを標示するような場合です。
「10時から/より〜」の例が
「時間の開始点」で、
「秋田から/より〜」の例が
「場所の起点」に相当します。
さて、
このような
「より」と「から」は
果たして全く同じものと見なしてよいでしょうか。
辞書の記述などでは、
どちらもほぼ同義のものとして特に区別されていないようです。
しかし、
これらをよく観察してみると、
微妙な使い分けが存在するようです。
例えば、
「から」は
「しか〜ない」や「だけ」などを用いて限定を表す表現にすることができますが、
「より」の場合はこ
うしたものを後続させると不自然な表現になります。
一般の方は10時からしか入れません。
一般の方は10時からだけ入れます。
×一般の方は10時よりしか入れません。
×一般の方は10時よりだけ入れます。
また、
どちらも「起点」「開始点」を表す点では同じですが、
「まで」と組み合わせて
時間や場所の「範囲」を表そうとした場合、
「から」は
自然ですが
「より」は
若干ですが不自然な表現となります。
福島から北が東北地方です。
福島より北が東北地方です。
福島から東京までの距離はどれくらいですか。
△福島より東京までの距離はどれくらいですか。
ただし単に
「まで」と一緒に用いる場合は
「東京まで沖縄よりはるばるやって参りました」のような表現が可能です。
しかし、
上の例は
このような語順にして
「東京までの距離は福島よりどれくらいですか」と言うことはできません。
つまり
「〜から…まで」で組になっていて、
語順が変えられないときに限り
「より」と「まで」は
用いることができないのです。
以上をまとめると
「から」「より」の表す意味自体は
ほぼ同じですが、
用いられ方に関しては、
限定表現をつくる場合
および
「まで」との組み合わせで範囲を表す場合に
両者で違いが生じるようになります。
「よい」と「いい」はどう違う?
形容詞の「よい」と「いい」はどう違う?
「よい」は形容詞(イ形容詞)として規則的に活用しますが、
「いい」は基本的に連体形・終止形でしか用いられません。
方言によっては
「いくない」、
「いかった」
などのような形でも用いるものもみられますが、
共通語ではそのような形では用いられません。
つまり
「いい」は
連体修飾と言い切り専用の形容詞と言えます。
ただし、
日本語を教えることを考慮した場合は
「いい」を単独の形容詞と見るよりも
次のように
「よい」の連体形
および
終止形の異形態と考えたほうがわかりやすいかもしれません。
「よい」は
書き言葉 に用いられ、
「いい」は
話し言葉 に用いられると言えます。
書き言葉でも「よい」は「いい」に比べ、
より格式ばった印象を与えます。
また、
「いい加減」、
「いい歳して……」、
「あの人だけにいい顔をする」など
「いい」に名詞が付いて
固定的(慣用的)な表現となっているものについては
原則として「よい」を用いません
(なお、これらは漢字では
「良い」ではなく
「好い」があてられる傾向があります)。
逆に
「心地よい/心地いい」
「気持ちよい/気持ちいい」など、
「いい/よい」が後接するものは
両方とも用いることが可能な傾向が見られます。
「よい」は形容詞(イ形容詞)として規則的に活用しますが、
「いい」は基本的に連体形・終止形でしか用いられません。
方言によっては
「いくない」、
「いかった」
などのような形でも用いるものもみられますが、
共通語ではそのような形では用いられません。
つまり
「いい」は
連体修飾と言い切り専用の形容詞と言えます。
ただし、
日本語を教えることを考慮した場合は
「いい」を単独の形容詞と見るよりも
次のように
「よい」の連体形
および
終止形の異形態と考えたほうがわかりやすいかもしれません。
「よい」は
書き言葉 に用いられ、
「いい」は
話し言葉 に用いられると言えます。
書き言葉でも「よい」は「いい」に比べ、
より格式ばった印象を与えます。
また、
「いい加減」、
「いい歳して……」、
「あの人だけにいい顔をする」など
「いい」に名詞が付いて
固定的(慣用的)な表現となっているものについては
原則として「よい」を用いません
(なお、これらは漢字では
「良い」ではなく
「好い」があてられる傾向があります)。
逆に
「心地よい/心地いい」
「気持ちよい/気持ちいい」など、
「いい/よい」が後接するものは
両方とも用いることが可能な傾向が見られます。
「説明したとおりに」と「説明したように」はどう違う?
「説明したとおりに」と「説明したように」はどう違う?
「説明したとおりに」は、
説明と同じに、
それと異なるところなくという意味、
一方の
「説明したように」は、
説明と概略同じであるという意味を表します。
「説明したとおりに」
「説明したように」のこの違いは、
「適当に」のような連用修飾成分と
一緒に用いられた場合の文の許容度にも反映されます。
説明したように適当にやってくれ。
?説明したとおりに適当にやってくれ。
後の文が自然な文と判断されるためには、
説明された内容が「適当にやる」というものだった場合でしょうが、
この場合にはむしろ次の文を用いるのが適切でしょう。
説明したとおり適当にやってくれ。
説明したとおりにやればいいんだ。
のように、
聞き手に高圧的に行為の遂行を要求するような場合には、
「説明したように」は馴染みにくく、
「説明したとおりに」のほうが選ばれることになります。
「説明したとおりに」は、
説明と同じに、
それと異なるところなくという意味、
一方の
「説明したように」は、
説明と概略同じであるという意味を表します。
「説明したとおりに」
「説明したように」のこの違いは、
「適当に」のような連用修飾成分と
一緒に用いられた場合の文の許容度にも反映されます。
説明したように適当にやってくれ。
?説明したとおりに適当にやってくれ。
後の文が自然な文と判断されるためには、
説明された内容が「適当にやる」というものだった場合でしょうが、
この場合にはむしろ次の文を用いるのが適切でしょう。
説明したとおり適当にやってくれ。
説明したとおりにやればいいんだ。
のように、
聞き手に高圧的に行為の遂行を要求するような場合には、
「説明したように」は馴染みにくく、
「説明したとおりに」のほうが選ばれることになります。
「くさい」「ぽい」「らしい」はどう違う?
「〜くさい」
「〜ぽい」
「〜らしい」
はどう違う?
いずれも名詞につき、
名詞を形容詞にかえる働きをもちます。
しかし、
どのような名詞につくか、
形容詞となった語がどのような語感をもつか、
三つの語は
それぞれ少なからず異なっています。
「〜らしい」がつくことによって
派生した形容詞は、
先行する名詞がもつ
典型的な(社会的に望まれる)性質を表すといわれます。
※はせい‐ご【派生語】-日本国語大辞典
〔名〕ある語形を基として、
語形に変化が加わったり、
接辞が付いたりすることによって、
別の一語となったもの。
「見る」からの「見える・めす・みそなわす」、
「とる」からの「とらえる・とらわれる」など
また
「〜くさい」がついた形容詞は、
マイナスのイメージを持ちます。
「子どもらしい」は、
子どものもつ典型的な(社会的に望まれる)性質
「子ども」は
無邪気であるとか、
あどけないであるとかいった性質を表します。
「〜くさい」は、
名詞「子ども」にはつきにくく、
むしろ俗語である
「ガキ」についた
「ガキくさい」のほうを耳にするように思います。
あるものに対して
社会的に望まれるような
典型的な性質を表す
「〜らしい」は、
「ガキ」のような
マイナスのイメージを持つ語には
用いられにくいようです。
「〜ぽい」は、
大人に対して「子どもっぽい」のように用いられた場合には、
本来「子ども」でないものが
「子ども」の持つ性質を備えている
という意味を表し、
マイナスの評価を伴っている ように感じられます。
「男っぽい」は
男性に対して「男っぽい」のように用いられた場合には
プラス評価を伴って用いられている と考えられます。
したがって
「〜ぽい」は、
本来的には
プラス・マイナスのイメージというものとは関わりなく、
「名詞およびその名詞のもつ性質が目につく」
という意味を表すものと考えるのが妥当ではないでしょうか。
このように考えると、
「埃っぽい」
「筋っぽい」などの表現をも
統一的に捉えることが可能となります。
「〜ぽい」
「〜らしい」
はどう違う?
いずれも名詞につき、
名詞を形容詞にかえる働きをもちます。
しかし、
どのような名詞につくか、
形容詞となった語がどのような語感をもつか、
三つの語は
それぞれ少なからず異なっています。
「〜らしい」がつくことによって
派生した形容詞は、
先行する名詞がもつ
典型的な(社会的に望まれる)性質を表すといわれます。
※はせい‐ご【派生語】-日本国語大辞典
〔名〕ある語形を基として、
語形に変化が加わったり、
接辞が付いたりすることによって、
別の一語となったもの。
「見る」からの「見える・めす・みそなわす」、
「とる」からの「とらえる・とらわれる」など
また
「〜くさい」がついた形容詞は、
マイナスのイメージを持ちます。
「子どもらしい」は、
子どものもつ典型的な(社会的に望まれる)性質
「子ども」は
無邪気であるとか、
あどけないであるとかいった性質を表します。
「〜くさい」は、
名詞「子ども」にはつきにくく、
むしろ俗語である
「ガキ」についた
「ガキくさい」のほうを耳にするように思います。
あるものに対して
社会的に望まれるような
典型的な性質を表す
「〜らしい」は、
「ガキ」のような
マイナスのイメージを持つ語には
用いられにくいようです。
「〜ぽい」は、
大人に対して「子どもっぽい」のように用いられた場合には、
本来「子ども」でないものが
「子ども」の持つ性質を備えている
という意味を表し、
マイナスの評価を伴っている ように感じられます。
「男っぽい」は
男性に対して「男っぽい」のように用いられた場合には
プラス評価を伴って用いられている と考えられます。
したがって
「〜ぽい」は、
本来的には
プラス・マイナスのイメージというものとは関わりなく、
「名詞およびその名詞のもつ性質が目につく」
という意味を表すものと考えるのが妥当ではないでしょうか。
このように考えると、
「埃っぽい」
「筋っぽい」などの表現をも
統一的に捉えることが可能となります。
段落の役割
明快な文章を書くには
段落ごとに
役割を持たせることによって
その文章の目的を果たすことが
できるようにすることが必要である
報告書は
事実を読み手に伝えるために行う表現である
ポイントは2つ
1.出来事・事実・ことがらの報告
外界に起こった現象についての報告で
書き手がどう思ったか
感じたかと言うことではなく
出来事や事実そのものがどうであるかを
読み手に伝える叙述である
2-1.書き手の意見・感想・好み・希望・推測・伝聞・判断の報告
書き手の心中で起こった内容を
概念化した表現を持つ述語が用いられる
つまり「だれが、どうした」かを報告する表現である
意見
知らせるべきだ と考えている
感想
情けないことだ と思った
情緒があってよい と感じている
好み
〜の方がうまい と判断した
希望
〜なることを希望している
推測
嘘つきだ と思う
伝聞
雨が降ったからだ と推測する
判断
円安になる と聞いた
2-2.書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現
書き手が、出来事・事実・ことがら・人物なのに対して
抱いた考え・気持ち・好き嫌い・希望あるいは伝え聞いたこと
判断したことなどを直接的に表現するものである
意見
知らせるべきだ
感想
情けないことだ
情緒があってよい
好み
〜の方がうまい
希望
〜ならなければいけない
推測
嘘つきだ
伝聞
雨が降ったからだ
「〜である(だ)」という形をとることが多い判断
円安になるそうだ
「だろう らしい ようだ そうだ」という助動詞
「かもしれない ということだ」などの語句を使って述べる表現である
「出来事・事実の報告」
あるいは
「書き手の意見・感想・好み・希望・推測・伝聞・判断の報告」
と
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現」
とを
はっきり区別して扱うことは
文章や言葉の解釈や思考にとって大変重要である
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現」を行うときは
その内容は書き手によって異なる可能性がある
例えば
ある同じ焼きそばを
Aさんは
味が引き締まっておいしい
Bさんは
塩気が勝ちすぎて、食べられたものではない
と言うのである
だから
言葉の受けてが
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現」に接したとき
その内容を事実そのものとして受け取ると
誤った判断・行動に陥る危険がある
文章を書く場合
書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断を客観的に
読み手に伝えて
読み手が誤った判断をする危険性を防ごうとする
・私は、この焼きそばを、味が引き締まっておいしいと 感じた
・彼女は嘘をついていると、私は 判断した
のように
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断を報告」
する形で表現する
これは、物事、出来事に対する
「書き手」の意見・感想などが
「どうであるか」を報告するものであるからである
段落ごとに
役割を持たせることによって
その文章の目的を果たすことが
できるようにすることが必要である
報告書は
事実を読み手に伝えるために行う表現である
ポイントは2つ
1.出来事・事実・ことがらの報告
外界に起こった現象についての報告で
書き手がどう思ったか
感じたかと言うことではなく
出来事や事実そのものがどうであるかを
読み手に伝える叙述である
2-1.書き手の意見・感想・好み・希望・推測・伝聞・判断の報告
書き手の心中で起こった内容を
概念化した表現を持つ述語が用いられる
つまり「だれが、どうした」かを報告する表現である
意見
知らせるべきだ と考えている
感想
情けないことだ と思った
情緒があってよい と感じている
好み
〜の方がうまい と判断した
希望
〜なることを希望している
推測
嘘つきだ と思う
伝聞
雨が降ったからだ と推測する
判断
円安になる と聞いた
2-2.書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現
書き手が、出来事・事実・ことがら・人物なのに対して
抱いた考え・気持ち・好き嫌い・希望あるいは伝え聞いたこと
判断したことなどを直接的に表現するものである
意見
知らせるべきだ
感想
情けないことだ
情緒があってよい
好み
〜の方がうまい
希望
〜ならなければいけない
推測
嘘つきだ
伝聞
雨が降ったからだ
「〜である(だ)」という形をとることが多い判断
円安になるそうだ
「だろう らしい ようだ そうだ」という助動詞
「かもしれない ということだ」などの語句を使って述べる表現である
「出来事・事実の報告」
あるいは
「書き手の意見・感想・好み・希望・推測・伝聞・判断の報告」
と
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現」
とを
はっきり区別して扱うことは
文章や言葉の解釈や思考にとって大変重要である
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現」を行うときは
その内容は書き手によって異なる可能性がある
例えば
ある同じ焼きそばを
Aさんは
味が引き締まっておいしい
Bさんは
塩気が勝ちすぎて、食べられたものではない
と言うのである
だから
言葉の受けてが
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断の直接的表現」に接したとき
その内容を事実そのものとして受け取ると
誤った判断・行動に陥る危険がある
文章を書く場合
書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断を客観的に
読み手に伝えて
読み手が誤った判断をする危険性を防ごうとする
・私は、この焼きそばを、味が引き締まっておいしいと 感じた
・彼女は嘘をついていると、私は 判断した
のように
「書き手の意見・感想・好み・希望・・推測・伝聞・判断を報告」
する形で表現する
これは、物事、出来事に対する
「書き手」の意見・感想などが
「どうであるか」を報告するものであるからである
報告書には型がある
報告書には
実用的な目的がある
目的を果たすために
盛り込まなければならないこと
1.調査目的
2.調査方法・調査対象
3.調査して得られたことがら
4.考察・結論
5.関連する問題
6.調査資料・参考資料
以上の項目を盛り込まなければならない
目的が何であるのか
どういう対象に対して調査して
何がわかったか
報告書を書く目的から言って必須の内容である
調査目的、調査して得られたことがら
考察・結論がはっきりしない報告書は
読む値打ちがない
調査内容の信頼性を評価するためには
どのように調査し
何を参考にしたかも
その報告書の信頼性を
評価するために必要である
調査を行う間に
関連する問題を発見したり
調査しなければならない問題に
気づいたりすることもあろう
実用的な目的がある
目的を果たすために
盛り込まなければならないこと
1.調査目的
2.調査方法・調査対象
3.調査して得られたことがら
4.考察・結論
5.関連する問題
6.調査資料・参考資料
以上の項目を盛り込まなければならない
目的が何であるのか
どういう対象に対して調査して
何がわかったか
報告書を書く目的から言って必須の内容である
調査目的、調査して得られたことがら
考察・結論がはっきりしない報告書は
読む値打ちがない
調査内容の信頼性を評価するためには
どのように調査し
何を参考にしたかも
その報告書の信頼性を
評価するために必要である
調査を行う間に
関連する問題を発見したり
調査しなければならない問題に
気づいたりすることもあろう
願い
日本語を使って思考する能力
コミュニケーションを行う能力を
身につけることを願っている
つまり、身の回りから
1.問題を発見し
2.事実を確認し
3.事実に基づいて思考し
4.他人によく理解される表現で
コミュニケーションを行う能力である
コミュニケーションを行う能力を
身につけることを願っている
つまり、身の回りから
1.問題を発見し
2.事実を確認し
3.事実に基づいて思考し
4.他人によく理解される表現で
コミュニケーションを行う能力である
日本の国語教育に足りないもの
文部科学省が出している学習指導要領が
国語科の目的が言語の教育にあるにもかかわらず
文学作品を読むことを教えるのが中心だとすると
古くからの考え方から脱し切れずにいる
どんなこが必要なのか?
1.問題発見をどう行うのか
2.自分の知識や経験を活用して
問題をどう解決するのか
3.アイデアや認識した事実を
どう効果的に表現するか
4.どのようにして
相手との議論の中から
問題を発見し
事実に基づいて
論理的に議論を組み立てるか
こうした言語の働きに関する
技能指導は
残念ながら
現在の国語教育では
まだ十分に行われていない
国語科の目的が言語の教育にあるにもかかわらず
文学作品を読むことを教えるのが中心だとすると
古くからの考え方から脱し切れずにいる
どんなこが必要なのか?
1.問題発見をどう行うのか
2.自分の知識や経験を活用して
問題をどう解決するのか
3.アイデアや認識した事実を
どう効果的に表現するか
4.どのようにして
相手との議論の中から
問題を発見し
事実に基づいて
論理的に議論を組み立てるか
こうした言語の働きに関する
技能指導は
残念ながら
現在の国語教育では
まだ十分に行われていない
国際的な場で議論できるか?
国際的な場で議論したら
とても日本人は勝てないだろう
なぜならば
使われている言葉が英語であるといった
コミュニケーションの道具がその理由ではない
おそらく日本語を使ったとしても勝てないだろう
文が
事実を表すものなのか
意見を述べるものなのか
原因を述べるものなのか
結果を述べるものなのか
中心的な内容を表しているものなりか
それを詳しくする内容を述べているものか
これらを見分ける指導が
アメリカでは児童向けのゲームソフトでも普通に行われている
「書くこと」の指導においては
文章は
バラグラフ(段落)によって構成するもの
パラグラフは
その内容を予告するトピックスセンスを立てて
その予告の範囲内で
内容を詳しく述べることによって
構成するものであること
つまり
明快な文章・談話を作り上げる技術を教えている
とても日本人は勝てないだろう
なぜならば
使われている言葉が英語であるといった
コミュニケーションの道具がその理由ではない
おそらく日本語を使ったとしても勝てないだろう
文が
事実を表すものなのか
意見を述べるものなのか
原因を述べるものなのか
結果を述べるものなのか
中心的な内容を表しているものなりか
それを詳しくする内容を述べているものか
これらを見分ける指導が
アメリカでは児童向けのゲームソフトでも普通に行われている
「書くこと」の指導においては
文章は
バラグラフ(段落)によって構成するもの
パラグラフは
その内容を予告するトピックスセンスを立てて
その予告の範囲内で
内容を詳しく述べることによって
構成するものであること
つまり
明快な文章・談話を作り上げる技術を教えている
ダメダメ上司
ダメダメ上司は仕事ができる
あなたは部下の指導にあたって、
「いつも言ってるんですけどね」
「いくら言ってもわからないんです」
と言い訳をしたことがありませんか?
実際、
こういった発言はとても多いそうです。
そして、
こういった発言をする人は、
部下がよくならない原因を
「部下本人の意識が低いことにある」と考えがちだといいます。
部下がよくならない原因が、
『部下本人の意識が低いことにある』
と考えている人が多い中、
井上さんは、
「上司が言いたいことが、
きちんと理解されて伝わっていないことに原因があると分析します。
本書では、
その原因となっている「ものの言い方」や、
「聞き手(部下)の心理状態」を考えずにことばを発して、
その結果、
部下のやる気を削いでしまうケースについて、
2パターンの上司を例にあげて解説しています。
2パターンの上司とは、
“ダメ上司”と、“ダメダメ上司”。
ひとりは、
仕事はできるしリーダーシップも取れるのに、
部下の意見に耳を傾けず、
結果、
課全員のやる気をなくさせてしまったダメダメ上司・上田課長。
そして、
もうひとりは、
これまた仕事はできるし、
コミュニケーションも取れるのに、
何でも本人に気づかせようとしすぎるあまり、
部下のやる気を低下させてしまったダメ上司・斉藤課長です。
2人ともそれぞれに良いところはあって、
「イイ上司」になれる素養はあるのに、
なぜダメ上司、ダメダメ上司になってしまっているのでしょうか。
×できる人は
自分の発信を優先する
仕事ができるのは良いことですが、
仕事ができるだけに、
陥りやすい「ダメダメさ」があるのです。
ダメダメ上司は仕事ができるだけに、
部下の働きぶりを見ていて、
心の中では、
実はこんなことを考えています。
「私だったら、そうはならない」
「もっといい方法があるのに、なぜ気づかない」
「私の言うとおりにやっていれば大丈夫だ」
「私が決めなければダメだな」
このように、
部下のレベルが低いと感じ、
自分が引っ張らなければいけないと考えているわけです。
ダメダメ上司の特徴その2
×「できる人は自分の発信を優先する」
このタイプは、
いつも部下に言いたいことを溜めていることが多くいので、
会議や、部下が相談に来たときなどに、
溜め込んだものが一気にあふれ出してしまうんです。
ですから……こんな状態になってしまいます。
(自分の)言いたいこと > (部下を)受け入れること
*部下の言うことを受け入れることよりも、
自分の言いたいこと・考えを押し付ける。
また、
部下の仕事のレベルが低い原因は、
すべて部下の意識が低いからだと考えます。
それは、
かつて自分はできた。
意識をしっかりもっていたからだという自負のためです。
それはこんな状態です。
部下の意識改革 > 自分の意識改革
*原因は、
自分の意識ではなく、部下の意識にある。
こんなダメダメ上司ですが、
「ものの言い方」は、
3つの代表的なタイプに分かれます。
・ 受け流し型/上の空のような無関心な言い方
・ 突き放し型/受け入れてくれない無理解な言い方
・ 追い込み型/徹底的に非難する無寛容な言い方
※部下から相談されたときの会話のケース
部下「課長、A社との商談の件ですが、今いいですか?」
×「手短にね」
×「後にしてくれない?」
×「何だっけ?」
部下「思ったように進まないんですが、どうしたらいいでしょう」
×「もう少しがんばってみたら?」
×「この間言ったことはやったのか?」
×「何とかしないさい」
×「そんなの簡単、こうしなさい」
こうですから、
部下はこんな気持ちになってしまうんですね。
自分ことを見てもらえていない。 わかってもらえない。
自分の言うことは聞いてもらえない。 言ってもしょうがない。
自分がわかるように言ってもらえていない。 頭が悪いと言われているようだ。
受け流し型の上司は、
「問題意識を感じていない」か、
「過敏に反応するより平静さを保った方が、
沈着冷静ないい上司と見られると思っている」のです。
● 言い方のアドバイス
部下「課長、A社との商談の件ですが、
今いいですか?」
×「手短にね」
→ ○「困ってることがあるならそこから聞こうか」
※部下が要点を
切り出しやすいように誘導する
部下「思ったように進まないんですが、
どうしたらいいでしょう」
×「もう少しがんばってみたら?」
×「そんなの簡単、こうしなさい」
×「もう少しがんばってみたら?」
→ ○今のやり方だと何が足りないのかな?
※部下へ問いかけをすることで
自分で考えるきっかけを作る
×「そんなの簡単、こうしなさい」
→ ○こういうやり方も考えられるけれど、
他にもっとないかな?
言い方ひとつとっても、
部下が感じる印象は全然違いますよね。
また、
部下がどんな心理状態にあるのかを気づかった
ことば選びも大切なのではないでしょうか。
このあたりが、
単なる言い換えに留まらない本書の良さになっています。
※まとめ
仕事はできるし
コミュニケーションも取れるのに、
何でも本人に気づかせようとしすぎるあまり、
部下のやる気を低下させてしまったダメ上司のパターンを、
同じように分析して、解説しています。
“本人に気づかせようとする”ことは、
上司としてとても優れているようですが、
いったいどこが問題だったのか。
本書で確認してみてください。
本書は、
部下がやる気になって、
成長の手助けができる、
「ものの言い方」の工夫について書かれた一冊。
単にしゃべり方、
小手先のことばの言い換えではなく、
総合的な伝え方の技術としてまとめてあります。
・ 部下のやる気をそぐものの言い方
・ 部下が聞きたいことばとは?
・ 部下に教えてあげるべきこととは?
・ 部下がアドバイスを聞きやすい状態はどうやって作るのか
・ 部下が理解できるものの言い方とは?
このような、
実際現場で困ることや迷うことを、
ケースを用いて解説してくれています。
「自分は当てはまってないな」と思っても、
意外に陥っている場合が多そうですよ・・。
部下とのコミュニケーションをより良くしたい
チームリーダーや、
マネジメントの方はぜひ、
読んでみてください。
あなたは部下の指導にあたって、
「いつも言ってるんですけどね」
「いくら言ってもわからないんです」
と言い訳をしたことがありませんか?
実際、
こういった発言はとても多いそうです。
そして、
こういった発言をする人は、
部下がよくならない原因を
「部下本人の意識が低いことにある」と考えがちだといいます。
部下がよくならない原因が、
『部下本人の意識が低いことにある』
と考えている人が多い中、
井上さんは、
「上司が言いたいことが、
きちんと理解されて伝わっていないことに原因があると分析します。
本書では、
その原因となっている「ものの言い方」や、
「聞き手(部下)の心理状態」を考えずにことばを発して、
その結果、
部下のやる気を削いでしまうケースについて、
2パターンの上司を例にあげて解説しています。
2パターンの上司とは、
“ダメ上司”と、“ダメダメ上司”。
ひとりは、
仕事はできるしリーダーシップも取れるのに、
部下の意見に耳を傾けず、
結果、
課全員のやる気をなくさせてしまったダメダメ上司・上田課長。
そして、
もうひとりは、
これまた仕事はできるし、
コミュニケーションも取れるのに、
何でも本人に気づかせようとしすぎるあまり、
部下のやる気を低下させてしまったダメ上司・斉藤課長です。
2人ともそれぞれに良いところはあって、
「イイ上司」になれる素養はあるのに、
なぜダメ上司、ダメダメ上司になってしまっているのでしょうか。
×できる人は
自分の発信を優先する
仕事ができるのは良いことですが、
仕事ができるだけに、
陥りやすい「ダメダメさ」があるのです。
ダメダメ上司は仕事ができるだけに、
部下の働きぶりを見ていて、
心の中では、
実はこんなことを考えています。
「私だったら、そうはならない」
「もっといい方法があるのに、なぜ気づかない」
「私の言うとおりにやっていれば大丈夫だ」
「私が決めなければダメだな」
このように、
部下のレベルが低いと感じ、
自分が引っ張らなければいけないと考えているわけです。
ダメダメ上司の特徴その2
×「できる人は自分の発信を優先する」
このタイプは、
いつも部下に言いたいことを溜めていることが多くいので、
会議や、部下が相談に来たときなどに、
溜め込んだものが一気にあふれ出してしまうんです。
ですから……こんな状態になってしまいます。
(自分の)言いたいこと > (部下を)受け入れること
*部下の言うことを受け入れることよりも、
自分の言いたいこと・考えを押し付ける。
また、
部下の仕事のレベルが低い原因は、
すべて部下の意識が低いからだと考えます。
それは、
かつて自分はできた。
意識をしっかりもっていたからだという自負のためです。
それはこんな状態です。
部下の意識改革 > 自分の意識改革
*原因は、
自分の意識ではなく、部下の意識にある。
こんなダメダメ上司ですが、
「ものの言い方」は、
3つの代表的なタイプに分かれます。
・ 受け流し型/上の空のような無関心な言い方
・ 突き放し型/受け入れてくれない無理解な言い方
・ 追い込み型/徹底的に非難する無寛容な言い方
※部下から相談されたときの会話のケース
部下「課長、A社との商談の件ですが、今いいですか?」
×「手短にね」
×「後にしてくれない?」
×「何だっけ?」
部下「思ったように進まないんですが、どうしたらいいでしょう」
×「もう少しがんばってみたら?」
×「この間言ったことはやったのか?」
×「何とかしないさい」
×「そんなの簡単、こうしなさい」
こうですから、
部下はこんな気持ちになってしまうんですね。
自分ことを見てもらえていない。 わかってもらえない。
自分の言うことは聞いてもらえない。 言ってもしょうがない。
自分がわかるように言ってもらえていない。 頭が悪いと言われているようだ。
受け流し型の上司は、
「問題意識を感じていない」か、
「過敏に反応するより平静さを保った方が、
沈着冷静ないい上司と見られると思っている」のです。
● 言い方のアドバイス
部下「課長、A社との商談の件ですが、
今いいですか?」
×「手短にね」
→ ○「困ってることがあるならそこから聞こうか」
※部下が要点を
切り出しやすいように誘導する
部下「思ったように進まないんですが、
どうしたらいいでしょう」
×「もう少しがんばってみたら?」
×「そんなの簡単、こうしなさい」
×「もう少しがんばってみたら?」
→ ○今のやり方だと何が足りないのかな?
※部下へ問いかけをすることで
自分で考えるきっかけを作る
×「そんなの簡単、こうしなさい」
→ ○こういうやり方も考えられるけれど、
他にもっとないかな?
言い方ひとつとっても、
部下が感じる印象は全然違いますよね。
また、
部下がどんな心理状態にあるのかを気づかった
ことば選びも大切なのではないでしょうか。
このあたりが、
単なる言い換えに留まらない本書の良さになっています。
※まとめ
仕事はできるし
コミュニケーションも取れるのに、
何でも本人に気づかせようとしすぎるあまり、
部下のやる気を低下させてしまったダメ上司のパターンを、
同じように分析して、解説しています。
“本人に気づかせようとする”ことは、
上司としてとても優れているようですが、
いったいどこが問題だったのか。
本書で確認してみてください。
本書は、
部下がやる気になって、
成長の手助けができる、
「ものの言い方」の工夫について書かれた一冊。
単にしゃべり方、
小手先のことばの言い換えではなく、
総合的な伝え方の技術としてまとめてあります。
・ 部下のやる気をそぐものの言い方
・ 部下が聞きたいことばとは?
・ 部下に教えてあげるべきこととは?
・ 部下がアドバイスを聞きやすい状態はどうやって作るのか
・ 部下が理解できるものの言い方とは?
このような、
実際現場で困ることや迷うことを、
ケースを用いて解説してくれています。
「自分は当てはまってないな」と思っても、
意外に陥っている場合が多そうですよ・・。
部下とのコミュニケーションをより良くしたい
チームリーダーや、
マネジメントの方はぜひ、
読んでみてください。
部下を育てる「ものの言い方」
部下を育てる「ものの言い方」
部下を育てる「ものの言い方」
人を変える組織を変えるリーダー必須の条件
本当に言いたいことが、なかなか伝わらない。
上司の考えが、
部下にうまく伝わらない原因は、
2つあります。
最も大きな理由は
上司の「ものの言い方」。
実は、
ちょっと言い方を変えるだけで、
ずいぶん思ったことが部下に伝わるようになります。
そのコツを伝えるために
井上健一郎さんが著したのが本書です。
そして、もう一つの原因、
それは聞き手である部下の心理状態。
同じことを部下に伝えても、
その心理状態によって、
受け止められ方は、
全く違ったものになります。
ですから、
上司は部下の心理状態を考えて、
「やる気」のスイッチを
押すような言い方をする必要があります。
「やる気」のスイッチの入れ方で、
上司は3つのタイプに分かれる
1つ目のタイプは、
「ダメダメ上司」
自分自身は仕事のできる人に多く、
部下の気持ちを理解せず、
やる気を削いでしまうタイプです。
2つ目のタイプは、
「ダメ上司」
上司は、
自分の意見を押し付けず、
部下の意見を
尊重するイイ人だけど、
明確な意図を持って
部下を指導できません。
3つ目のタイプは、
「イイ上司」
これが本書の目指すところで、
視野が広く、妥協を許さず、
仕事感をしっかり持ち、
部下の成長を真剣に考えている。
ダメダメ上司やダメ上司が
一瞬にしてイイ上司に
変身することはありませんが、
まずは
「ものの言い方」から
変えることからスタートします。
本書には、
良い言い方、
悪い言い方を含め、
123の会話例が紹介されています。
普段何気なく
自分が使っている言い回しが、
悪い会話例に入っていたりするとドキッとします。
たいがいの場合、
本人はそこまで意識していないので、
自分の悪い言い方には、
なかなか気づかないもの。
だからこそ、
本書で自分の「ものの言い方を」チェックする
必要があるのでしょう。
言葉の力は大きい。
ほんの少し言い方を変えるだけで、
部下を失望させることも
部下を育てることも可能になります。
本書は、そ
んなことに気づかせてくれる本です。
部下を育てる「ものの言い方」
人を変える組織を変えるリーダー必須の条件
本当に言いたいことが、なかなか伝わらない。
上司の考えが、
部下にうまく伝わらない原因は、
2つあります。
最も大きな理由は
上司の「ものの言い方」。
実は、
ちょっと言い方を変えるだけで、
ずいぶん思ったことが部下に伝わるようになります。
そのコツを伝えるために
井上健一郎さんが著したのが本書です。
そして、もう一つの原因、
それは聞き手である部下の心理状態。
同じことを部下に伝えても、
その心理状態によって、
受け止められ方は、
全く違ったものになります。
ですから、
上司は部下の心理状態を考えて、
「やる気」のスイッチを
押すような言い方をする必要があります。
「やる気」のスイッチの入れ方で、
上司は3つのタイプに分かれる
1つ目のタイプは、
「ダメダメ上司」
自分自身は仕事のできる人に多く、
部下の気持ちを理解せず、
やる気を削いでしまうタイプです。
2つ目のタイプは、
「ダメ上司」
上司は、
自分の意見を押し付けず、
部下の意見を
尊重するイイ人だけど、
明確な意図を持って
部下を指導できません。
3つ目のタイプは、
「イイ上司」
これが本書の目指すところで、
視野が広く、妥協を許さず、
仕事感をしっかり持ち、
部下の成長を真剣に考えている。
ダメダメ上司やダメ上司が
一瞬にしてイイ上司に
変身することはありませんが、
まずは
「ものの言い方」から
変えることからスタートします。
本書には、
良い言い方、
悪い言い方を含め、
123の会話例が紹介されています。
普段何気なく
自分が使っている言い回しが、
悪い会話例に入っていたりするとドキッとします。
たいがいの場合、
本人はそこまで意識していないので、
自分の悪い言い方には、
なかなか気づかないもの。
だからこそ、
本書で自分の「ものの言い方を」チェックする
必要があるのでしょう。
言葉の力は大きい。
ほんの少し言い方を変えるだけで、
部下を失望させることも
部下を育てることも可能になります。
本書は、そ
んなことに気づかせてくれる本です。
「職場」に何を望むか?
「職場」に何を望むか?

図 あなたは、「職場」に対して何を強く求めますか?(複数回答)
出所:「ビジネスパーソンの就業意識調査」
(2007 年8 月)NTT データ経営研究所
「職場」において何を重視するかを尋ねた
職場のコミュニケーションが良好であること
職場の雰囲気がよいこと
が最も多く、
次いで
仕事上の役割や責任が明確であること
仕事をする環境や体制が十分に整っていること
が続いた(図表2)。
どんな組織においても問題はつきものであり、
これを完全に消去することなど不可能である。
むしろ、
より高いレベルに組織を向上させていく過程で、
さまざまな問題点が発生するのであり、
組織が成長する健全なサイクルにあるからこそ
乗り越えるべき課題も生じるのだろう。
しかしながら、
当調査では
あえて理想的とされる選択肢ばかりを設け、
その中で相対比較をしているので、
比率が高い項目は
「より重要度が高い」と断言することができる。
「職場のコミュニケーションが良好でない」、
「役割や責任が明確でない」、
「仕事をする体制が整っていない」という状況があるとすれば、
それらは重点課題であるがゆえ、
マネジメントが早急に解決すべき問題だと言える。
これらの課題に対して、
実際に何も策を講じていない企業などないだろう。
だが、
その問題意識が
組織内で共有化されていなければ、
改善に向けた
目標レベルも曖昧なものとなり、
結局は
実現しないままで終わってしまう。
要するに、
課題解決の方法に問題があるから、
このような結果になるのではないだろうか。
一つ一つの対応策や改善策を、
問題の本質を
洞察した上で検討する必要がある。

図 あなたは、「職場」に対して何を強く求めますか?(複数回答)
出所:「ビジネスパーソンの就業意識調査」
(2007 年8 月)NTT データ経営研究所
「職場」において何を重視するかを尋ねた
職場のコミュニケーションが良好であること
職場の雰囲気がよいこと
が最も多く、
次いで
仕事上の役割や責任が明確であること
仕事をする環境や体制が十分に整っていること
が続いた(図表2)。
どんな組織においても問題はつきものであり、
これを完全に消去することなど不可能である。
むしろ、
より高いレベルに組織を向上させていく過程で、
さまざまな問題点が発生するのであり、
組織が成長する健全なサイクルにあるからこそ
乗り越えるべき課題も生じるのだろう。
しかしながら、
当調査では
あえて理想的とされる選択肢ばかりを設け、
その中で相対比較をしているので、
比率が高い項目は
「より重要度が高い」と断言することができる。
「職場のコミュニケーションが良好でない」、
「役割や責任が明確でない」、
「仕事をする体制が整っていない」という状況があるとすれば、
それらは重点課題であるがゆえ、
マネジメントが早急に解決すべき問題だと言える。
これらの課題に対して、
実際に何も策を講じていない企業などないだろう。
だが、
その問題意識が
組織内で共有化されていなければ、
改善に向けた
目標レベルも曖昧なものとなり、
結局は
実現しないままで終わってしまう。
要するに、
課題解決の方法に問題があるから、
このような結果になるのではないだろうか。
一つ一つの対応策や改善策を、
問題の本質を
洞察した上で検討する必要がある。
戦略と戦術の違い
三省堂辞典より
【戦略】
戦いに勝つための大局的な方策
【戦術】
戦略に対して,
より実際的・部分的なもの
目的達成のための方法・手段.
岩波「広辞苑より
【戦略】
(strategy) 戦術より広範な作戦計画。
各種の戦闘を総合し、
戦争を全局的に運用する方法。
転じて、
政治社会運動などで、
主要な敵とそれに対応すべき味方との配置を定めることをいう。
【戦術】
(tactics) 戦闘実行上の方策。
一個の戦闘における戦闘力の使用法。
一般に戦略に従属。
転じて、ある目的を達成するための方法。
戦略と戦術の違い
戦略と戦術と「戦」という文字がついていますが、
現在では戦争に限らず、
企業の経営方針などに転用されています。
【戦略】(strategy:ストラテジー)
全体的な方針。
変更は困難。
【戦術】(tactics:タクティクス)
戦略に基づいて細かい個所を決める。
戦略に基づいていることが必須。
変更は可能。
【戦略】(全体的な方針)→【戦術】(細かい個所)と
考えや行動を進めるべきです。
ランチェスター経営の竹田先生の説明が
一番的を射ているように思います。
戦略と戦術を語源から考えると、
【戦略】 = 将軍の術
【戦術】 = 兵士の術
あいまいの違い
【戦略】
全体のことを考える
【戦術】
個別のことを考える
【戦略】
方向性を決めること
【戦術】
実行すること
これではあまりにもあいまいです。
例えば、
兵士一人一人も、
それぞれが置かれた状況で方向性を考えています。
どこまでが戦略で
どこまでが戦術なのか、
分りません・・・。
こういう意味の説明もあります。
【戦略】
先を見通すこと、
ストーリーを描くこと
これでいいのでしょうか ?
例えば、
軍全体を率いる将軍ではなく、
部隊を率いる司令官も、
敵の動きを先読みして、
戦い方を考える必要があります。
先を見通すことも、
ストーリーを描くことも必要とされます。
これは
戦略になるのでしょうか?
戦術なのでしょうか?
また、
将軍だからといって、
先が見通せるとは限りません。
見通せない状況で
判断しなければいけないこともあるはずです。
例えば、
平時の防御の配置を考えることは、
戦力のバランスや、
漏れを無くすという思考であり、
先読みとはほとんど関係ありません。
このように
「先の見通し = 戦略」 という考え方は、
戦略と戦術の違いを説明できているとは、
私には思えません・・・。
オリジナルの定義
【戦略】とは
資源の配分を決めること
【戦術】とは
与えられた資源を活用する方法
この定義であれば、
両者を混同することはありません。
※先ほど述べた、
先読みやストーリー、
方向性といったものは、
「戦略を立てるための材料」ではありますが、
「戦略」ではないということです。
具体的に言うと、
【戦略】とは、
資源の配分を決めること
= どこを攻めるか決める。
部隊をどう配置するか決める
= どの事業に参入するか、
どの事業にどれだけ人を投入するか決める
【戦術】とは、
与えられた資源を活用するための方法
= 配置された部隊で戦う方法を決める
= 部内(課内)の人員で、
業務目標を達成する方法を決める
また、この定義に沿えば、
「戦略=全体のもの」 というわけではなく、
部分の中にも
戦略的な要素が存在することになります。
例えば、
部内(課内)の人員を、
どの業務に何人割り振るかということ、
(人的資源の配分)は、
部内での「戦略」 ということになります。
※私は、これはこれで自然なことだと思います。
全体は部分の集まりからなるものですし、
全体と見えるものも、
視点を変えれば部分になるわけですから、
「戦略=全体のもの」
と限定する必要はないと思います。
【戦略】
何をやるか
何をやらないか
【戦術】
それをどうやるか
例えば、
自分が勤める会社の方針や目標に対して、
「戦略が無いなあ・・・」
と感じることはないでしょうか?
そんな方針は、
あれをやる
これをやるということは述べられていても、
どれが一番重要なのかが
分からないことが多いです。
結局、
戦略とは
「捨てるもの」を明確にして、
「注力するもの」を
決めることではないでしょうか。
良い戦略は、
「これを捨てる」と
書かれていないにしても、
それが判断できるようになっています。
逆に、
これが無いものは、
「戦略」ではなく、
単なる「スローガン」
に過ぎないのです。
やらなければいけない仕事
(やらなければいけないこと)は、
やるしかないので、
戦略は必要ありません。
しかし、
できればやりたい仕事
(やりたいこと)をどう進めるのかは、
戦略的な観点が必要です。
何をやるのか
(何からやるのか)
を決めなければ、
限られた時間の中では、
どっちもできないことになってしまいます。
私たちの頭の中には、
「できればやりたいこと」がたくさんあります。
ですから、
混乱してしまったり、
焦ってしまったりするわけです。
この頭を整理することが、
「戦略」とよく似ているのです。
【戦略】とは、
資源の配分を決めること
【戦術】とは、
与えられた資源を活用するための方法
【戦略】
戦いに勝つための大局的な方策
【戦術】
戦略に対して,
より実際的・部分的なもの
目的達成のための方法・手段.
岩波「広辞苑より
【戦略】
(strategy) 戦術より広範な作戦計画。
各種の戦闘を総合し、
戦争を全局的に運用する方法。
転じて、
政治社会運動などで、
主要な敵とそれに対応すべき味方との配置を定めることをいう。
【戦術】
(tactics) 戦闘実行上の方策。
一個の戦闘における戦闘力の使用法。
一般に戦略に従属。
転じて、ある目的を達成するための方法。
戦略と戦術の違い
戦略と戦術と「戦」という文字がついていますが、
現在では戦争に限らず、
企業の経営方針などに転用されています。
【戦略】(strategy:ストラテジー)
全体的な方針。
変更は困難。
【戦術】(tactics:タクティクス)
戦略に基づいて細かい個所を決める。
戦略に基づいていることが必須。
変更は可能。
【戦略】(全体的な方針)→【戦術】(細かい個所)と
考えや行動を進めるべきです。
ランチェスター経営の竹田先生の説明が
一番的を射ているように思います。
戦略と戦術を語源から考えると、
【戦略】 = 将軍の術
【戦術】 = 兵士の術
あいまいの違い
【戦略】
全体のことを考える
【戦術】
個別のことを考える
【戦略】
方向性を決めること
【戦術】
実行すること
これではあまりにもあいまいです。
例えば、
兵士一人一人も、
それぞれが置かれた状況で方向性を考えています。
どこまでが戦略で
どこまでが戦術なのか、
分りません・・・。
こういう意味の説明もあります。
【戦略】
先を見通すこと、
ストーリーを描くこと
これでいいのでしょうか ?
例えば、
軍全体を率いる将軍ではなく、
部隊を率いる司令官も、
敵の動きを先読みして、
戦い方を考える必要があります。
先を見通すことも、
ストーリーを描くことも必要とされます。
これは
戦略になるのでしょうか?
戦術なのでしょうか?
また、
将軍だからといって、
先が見通せるとは限りません。
見通せない状況で
判断しなければいけないこともあるはずです。
例えば、
平時の防御の配置を考えることは、
戦力のバランスや、
漏れを無くすという思考であり、
先読みとはほとんど関係ありません。
このように
「先の見通し = 戦略」 という考え方は、
戦略と戦術の違いを説明できているとは、
私には思えません・・・。
オリジナルの定義
【戦略】とは
資源の配分を決めること
【戦術】とは
与えられた資源を活用する方法
この定義であれば、
両者を混同することはありません。
※先ほど述べた、
先読みやストーリー、
方向性といったものは、
「戦略を立てるための材料」ではありますが、
「戦略」ではないということです。
具体的に言うと、
【戦略】とは、
資源の配分を決めること
= どこを攻めるか決める。
部隊をどう配置するか決める
= どの事業に参入するか、
どの事業にどれだけ人を投入するか決める
【戦術】とは、
与えられた資源を活用するための方法
= 配置された部隊で戦う方法を決める
= 部内(課内)の人員で、
業務目標を達成する方法を決める
また、この定義に沿えば、
「戦略=全体のもの」 というわけではなく、
部分の中にも
戦略的な要素が存在することになります。
例えば、
部内(課内)の人員を、
どの業務に何人割り振るかということ、
(人的資源の配分)は、
部内での「戦略」 ということになります。
※私は、これはこれで自然なことだと思います。
全体は部分の集まりからなるものですし、
全体と見えるものも、
視点を変えれば部分になるわけですから、
「戦略=全体のもの」
と限定する必要はないと思います。
【戦略】
何をやるか
何をやらないか
【戦術】
それをどうやるか
例えば、
自分が勤める会社の方針や目標に対して、
「戦略が無いなあ・・・」
と感じることはないでしょうか?
そんな方針は、
あれをやる
これをやるということは述べられていても、
どれが一番重要なのかが
分からないことが多いです。
結局、
戦略とは
「捨てるもの」を明確にして、
「注力するもの」を
決めることではないでしょうか。
良い戦略は、
「これを捨てる」と
書かれていないにしても、
それが判断できるようになっています。
逆に、
これが無いものは、
「戦略」ではなく、
単なる「スローガン」
に過ぎないのです。
やらなければいけない仕事
(やらなければいけないこと)は、
やるしかないので、
戦略は必要ありません。
しかし、
できればやりたい仕事
(やりたいこと)をどう進めるのかは、
戦略的な観点が必要です。
何をやるのか
(何からやるのか)
を決めなければ、
限られた時間の中では、
どっちもできないことになってしまいます。
私たちの頭の中には、
「できればやりたいこと」がたくさんあります。
ですから、
混乱してしまったり、
焦ってしまったりするわけです。
この頭を整理することが、
「戦略」とよく似ているのです。
【戦略】とは、
資源の配分を決めること
【戦術】とは、
与えられた資源を活用するための方法
